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9月27日(月)まったく微動だにしないのも在庫ならば、あっという間に消えてなくなるのも在庫なのだった

 9時に出社。すでに編集の高野が出社しており、品切れ期間中に届いていた読者からの直接注文分の出荷準備をしている。本日、『10代のための読書地図』の重版(3刷)ができあがってくるので、届き次第発送するのであった。彼女は編集者なのだけれど出荷作業が大好きなのだ。ありがたいかぎり。

 週末に届いていたFAXを確認するも、書店さんから期待していたほどの注文は届いておらず。これは嵐の前の静けさなのか、それとも金曜日だけであさイチ台風は熱帯低気圧に変わり、嵐が過ぎ去ってしまったのかしばし頭を悩ませる。

 たいていのサッカーのサポーターがそうであるように、私は何度もスタジアムで残酷なまでに期待を裏切られてきており、3対0から大逆転で敗戦をきすとか後半ロスタイムに逆転ゴールを決められるなど悲劇の目撃者になっているので、かなり激しい悲観主義者である。

 もしや金曜日の時点で注文殺到の嵐は過ぎ去り、本日よりピタリと止まってしまうのではないかと不安の波に飲み込まれていく。

 9時半を過ぎると電話が鳴り出す。書店さんが週末の間に店頭で受けたであろう『10代のための読書地図』の客注である。それが一本切ると、また一本とかかってくる。

 マニュファクチュアな本の雑誌社では、電話で注文を受けた際には、まずメモ紙に書名、注文冊数、書店名、番線、コード、担当者、そしてあれば客注名や客注NOを記す。そしてそのメモ紙を元に、二枚複写になっている注文短冊に書き起こすわけだが、書店名などをネットで検索し確認しつつ書き起こすにしても、1件、1分か2分程度である。しかし今日はその時間が取れず、メモ紙が溜まっていく一方なのだった。

 私はこの注文短冊を書き起こすのを保留しておくというのが苦手で、おそらくそれはメモ紙を失くす恐怖感(メモ紙といってもしっかり束ねているので失くすわけないのだけれど)を一刻も早く拭いさりたい一心なのだけれど、それができず、次から次へと電話を取って、メモが溜まっていく。

 こんなに注文の電話が続くのは、『謎の独立国家ソマリランド』以来だろうか。あの時とちょっと違うのは店頭の補充分より断然に客注が多いということか。

 そうこうしているうちに印刷所から『10代のための読書地図』の重版分が届き、これでひとまず安心。さあ、注文どんと来いとすっかり受注センターの人となりきり、電話を取り続ける。

 12時を過ぎると一旦電話注文が止まる。本の雑誌社は好きなときに昼食をとるシステムなので、別に12時だから休憩しているというわけでもないのだけれど、書店さんから「昼時にすみません」と電話が来るときもあるので、出版社によってはきっちり12時に休憩をとるところもあるのだろう。

 本日はその恩恵にあずかり、このタイミングで溜まっていた注文を短冊に書き起こす。そうして、そのうち直納で伺うべく注文分を用意し、ひとり直納部隊を結成、両手に本を持って、直納の旅路に向かう。

 一軒、二軒と書店さんを訪問し、納品して回る。こうして直納をすると売れている実感をひしひし感じることができ、だからこそ私は直納が大好きなのだった。

 電車で移動しつつスマホでメールをチェックすると、重版の案内をしていた書店さんから注文が届いている。なかには大量部数の注文もあり、今日重版ができあがったにも関わらず、在庫が心配になってくる。

 電卓を取り出し、これまで受けた注文の数と今日できてきた部数を照らし合わせていくと、どうもあやしい。もしやこれは......と思っていると、夕刻、浜田から連絡があり、本日会社で受けた注文分の数を知らされる。

 なんとまさかの重版出来日に、在庫が空っぽになってしまった...。まったく微動だにしないのも在庫ならば、あっという間に消えてなくなるのも在庫なのだった。

 その後、帰宅しながら、自分の判断ミスがなかったか考える。重版のタイミング、部数ともに誰がやってもこれ以上早くもこれ以上多くもできなかったはずだ。しかしそれでも次の重版出来まで10日ほど品切れ期間を作ってしまったのは営業の痛恨のミスではなかろうか。

 最も晴れがましい気分になっていいはずの日なのに、激しく反省しているのであった。

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