4月21日(日)みちくさ市

鬼子母神通りみちくさ市に出店。そもそもは昨年目黒さんの蔵書整理をしていたときに、読者のみなさんに蔵書の形見分けをしようよと古書現生の向井さんから提案があり、このみちくさ市に参加させていただいたのだった。

その縁で今年も出店させてもらうこととなり、曇り空の下、机に本を並べる。こうして読者のみなさんに直接本を売るのは、昨秋の神保町フックフェスティバル以来の約半年ぶり。

開店と同時に鬼子母神通りにはたくさんの人が集まり、あちこちの売り場で本に手を伸ばす光景が繰り広げられ、わが本の雑誌社のブースにもたくさんの方がやってきてくださる。

そんななか二桁の号のバックナンバーを手にした方が、「この号、大学を卒業して高松の実家に帰った頃に読んでいた号です。あの頃、高松で『本の雑誌』を購入するのが大変で、あちこちの本屋さんを廻って手にしたときのほっとした気持ちが忘れられません」と話すのであった。

人生の思い出の中に「本の雑誌」があることに感動する。49年続いている雑誌というものはそういうものなのだろうか。毎号、私は一生懸命作っているのだけれど、より一層、気持ちを入れて作らなければと身が引き締まるのだった。

こういう出会いこそイベントの醍醐味だ。

4月20日(土)やり過ごす

本来であれば母親を介護施設に迎えに行き、週末実家介護生活をするのであるけれど、明日、鬼子母神通りみちくさ市があるため、今週は母親にショートステイを続けてもらうことにしたのだった。

当然、胸が痛くなるのだけれど、こんなことで胸を痛めていたら介護などしていられないわけで、目を瞑ってやり過ごすことにする。

ここ数試合、春日部から自転車で埼玉スタジアムに参戦していたため、We are Diamondsも歌えずに帰っていたのだけれど、せっかく自宅から参戦した埼スタでは歌うことができず。ここは我慢のしどころ...なのだろうか。

4月19日(金)声なき声を聞け

晴天。風強し。9時45分出社。

S書店のKさんが先日椅子を貸したお礼にとお菓子をお裾分けにやってくる。事務所がお隣ですっかり町内会のよう。しばし街の本屋支援議員連盟総会について話を伺う。

本屋の人が集まってなぜに図書館の話ばかりしているのか、さらに図書館本大賞などというあまりに安易な企画がなぜ湧き起こっているのかも教えていただく。

大きな声の人が集まって、大きな声の人の話を進めてもしょうがないのである。声なき声のするところに足を向け、耳を傾け、話を伺うべきなのだ。本屋大賞を単なる思いつきだと思ったら大間違いだ。

午後、国分寺のコメダ珈琲にて、『漫画 本を売る技術』の単行本化の巻末につける対談を収録。原作の矢部潤子さんと漫画家の池田邦彦さんの関係性についてなど語り合っていただく。

4月18日(木)スッキリ隊出動!

晴天。11時15分に高田馬場駅ロータリーにて立石書店の岡島さんのワゴン車に乗車。本日は本の雑誌スッキリ隊出動なのだった。出動先はなんとライターの新保信長さんの書庫であり、コミック約1000冊を引き取るのだった。

都内某所にて作業開始。前回のスッキリ隊に腰痛で参加できなかった古書現世の向井さんが満を持しての復帰となり、なんと20分で終了。スッキリ新記録達成かもしれず。

早稲田に戻り、紙袋に入っていた分を縛り直し、岡島さんに会社へ送ってもらう。

夜は、本好きの方々の読み会に誘われ、ワインと共に話を伺う。

4月17日(水)親しき中にも原稿あり

午前中、春日部市役所に行って、母親の特別障害者手当の申請書類を提出。長かった。診断書など用意するのに2ヶ月はかかっただろうか。

午後、急遽、高野秀行さんと吉祥寺で待ち合わせし、昨日お送りいただいた『クレイジー酒ジャーニー』の感想をお伝えする。

「親しき中にも原稿あり」。

どれだけ酒を飲んで時を過ごそうが、共に雪積もる山中を練り歩き古甲州道を歩もうが、作家と編集者は原稿を間に挟んだら真剣勝負、手に持つ刀を対峙させ、作品がより良きなるものになるよう命がけで進めなければならない。

もちろん「玉稿ありがとうございました! 面白かったです!」とただ受け取ることもできるだろう。しかしそれでは作者を、自分自身を、そしてなによりも読者を裏切ることになってしまう。この三者の中で、唯一リスクがないのがサラリーマンである私(編集者)だ。リスクがない上に、さらにリスクのない仕事をしていたのでは、はっきりいって生きる意味がない。

というわけで率直に感想をお伝えすると、高野さんは一瞬眉間に皺を寄せ名刀「間違う刃」で受け止め、すぐにその太刀筋から解法を見つけ出し、あっという間に問題点を解決する術を語りだしたのだった。

いつぞやいく人ものベスセラー作家を世に生み出してきたベテランの編集者に聞いたことがあるのだけれど、「売れる作家は直しが上手い」と言っていたのだった。ちょっと提案するとそこだけでなく、全体を書き換え、素晴らしくブラッシュアップした原稿が届くのだそうだ。

まさしく今、私が、吉祥寺の喫茶店で目の当たりにしているのはその光景だった。

感動に打ち震えつつ、「仕事」というものから得られる幸福を味わっていた。

« 前のページ | 次のページ »