2月22日(木)100冊も1000冊も1万冊も一冊から

  • スカウト目線の現代サッカー事情 イングランドで見た「ダイヤの原石」の探し方 (光文社新書 1294)
  • 『スカウト目線の現代サッカー事情 イングランドで見た「ダイヤの原石」の探し方 (光文社新書 1294)』
    田丸 雄己
    光文社
    1,056円(税込)
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  • 福島第一原発事故の「真実」 ドキュメント編 (講談社文庫)
  • 『福島第一原発事故の「真実」 ドキュメント編 (講談社文庫)』
    NHKメルトダウン取材班
    講談社
    935円(税込)
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  • 福島第一原発事故の「真実」 検証編 (講談社文庫)
  • 『福島第一原発事故の「真実」 検証編 (講談社文庫)』
    NHKメルトダウン取材班
    講談社
    1,815円(税込)
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寒い。強烈に寒い。数日前は20度あったと思うのだが、あの20度はどこに行ってしまったんだろうか。しかも今日も氷雨。

昨日途中まで作ったパネルをちまちま修正していく。デスクワークというのはまず手を動かすこと。動かしているうちに徐々にやる気が滲み出てきて、答えが見えてくる。手を動かさないでうだうだ考えていると考えているだけで1日が過ぎ去ってしまう。

昼に出来上がったので刷り出して、貼りパネくんに貼っていく。こんなの作って意味あるのかと考えてはいけない。絶対あると信じることが大事。一冊でも売れたらそれは成功と思え。100冊も1000冊も1万冊も一冊から始まるのだ。

傘をさして営業。売れるものがたくさんあるのにお店は空いていてちょっと残念。

夜、本を買って帰る。

本というのはすごい。まず、本屋さんに入っただけで森にいるかのように癒される。本を選ぼうと棚を見るとアドレナリンだかなんだかの脳内物質が出始め。そしてずらりと並んだ本を見つめていると自己と会話をはじめ、なにやら坐禅しているかのような境地を迎える。さらにこれだという本を見つけレジに行きお金を払い自らのものにした瞬間激しいエクスタシーに襲われる。

もはや本を買っただけで、定価以上の何かを得ているのだ。これをやめるわけにはいかない。というわけで本を購入する。

田丸雄己『スカウト目線の現代サッカー事情 イングランドで見た「ダイヤの原石」の探し方』(光文社新書)

NHKメルトダウン取材班『福島第一原発事故の「真実」 ドキュメント編』 (講談社文庫)

NHKメルトダウン取材班『福島第一原発事故の「真実」 検証編』 (講談社文庫)

講談社文庫についているビニールパックをレジの書店員さんがなかなか外せず、しまいには本のうねうね歪ませだしたのには思わず声をかけそうになった。このビニールパック、なかも確かめられないし、ゴミは増えるし、こうしてレジで書店員さんに手間をかけているわけで、そろそろやめてもいいんじゃなかろか。

2月21日(水)氷雨

いきなりまた真冬に戻ってしまった。しかも氷雨。のんきな薄着で出社してしまい激しく後悔する。

震えながら高田馬場の芳林堂書店さんに『古本屋台2』のサイン本を届けにゆくと、御礼におせんべいをいただく。人の暖かさに涙がでる。

夕方、会社に戻り、『古本屋台2』のパネルを作成する。

2月20日(火)手帳をもらいに

会社を休んで、春日部市役所へ申請していた母親の障害者手帳をもらいにいく。

一年前まで、いやつい最近まで何も考えずに毎日仕事に行けたのは、私の周りがみな健康であるという奇蹟の中にいたからであった。

あるいは誰かが私の代わりに仕事を休んだりして、手続きや世話をしていたからだろう。心置きなく仕事やスタジアムに行けていたあの日々に感謝。

というわけで障害者手帳をもらう。母親の場合は手と足が麻痺しているということで一級が交付された。いろいろ減免やらサービスが受けられるようなので親切に説明してもらう。感謝。

しかしこうして手続きのためだけに春日部市役所に通うのももったいないので、ここはひとつ『クレヨンしんちゃんがおすすめするこれが面白い本だじょ』という子ども向け書評誌を創刊し、毎号3500万円くらい買い上げいただくというプランを考えなければならない。

午後、自宅に帰り、一か月ぶりにぼーっとする。脳みそが溶けていくようで、じわじわと回復していくのがわかる。

2月19日(月)砂原浩太朗『夜露がたり』を読む

砂原浩太朗『夜露がたり』(新潮社)読了。

帯に「著者初の江戸市井もの」とあるけれど、いわゆる市井ものから想像されるような人情味あふれるいい話なんてものではない。『高瀬庄左衛門御留書』で彗星の如く時代小説界に現れた砂原浩太朗はそんな話は書かないのである。いや書いたら困るのである。砂原浩太朗にはもっと突き抜けたものを書いてほしいのだ。

その期待どおりの出来映えなのが本書である。さすが砂原浩太朗!

人情ほっこり話なんてものにはまったく向かわず、人間の業、深淵を描いている。幼馴染をなくした女も、必死に下働きを耐えた小僧も、そう簡単に欲望を抑えることはできない。一編一編の余韻が、短編と思えぬ大きさで、胸にずーんとくる。まるでノワールのようだ。

もちろん砂原浩太朗だから文章はピカイチだ。その文章を読んでいるだけでも小説を読む喜びが湧いてくる。

2月18日(日)いい息子

家に遊びに来る母親の友達が口々に「杉江さん、いい息子をもったねえ」という。

どうやら私がその「いい息子」らしいが、どこがいい息子なんだろうか。おそらく親の面倒を見ていることを指して「いい息子」と言っているのだろうが、私は正直にいえば、母親に一日でも長生きしてほしいなんて思っておらず、時にはこんな生活は一年か二年が限界だから、それまでの間にぽっくり逝ってくれないかなんて考えていたりするのだ。

さらに入院時からほとんど面会もせず、退院後も一切連絡すらなく、介護に関して精神的、金銭的、具体的にまったく手助けしないどころか姿をくらませている兄夫婦に対しては、末代まで天罰がくだるよう祈っていたりするのである。

だからはっきりいって私は「いい息子」などではない。どちらかというと邪悪で、悪魔的な人間なのだ。だからこそ、逆説的に母親の面倒を見ているといってもいいのかもしれない。こういうことをしてないと本当に私はサタンになってしまうかもしれないのだった。

私はいい息子だから親の面倒を見ているのではなく、ただただほっとけないから面倒を見ているだけなのだ。

しかし、お茶を注いだり、食事の用意したりしている姿を見て、みな「いい息子」という。その言葉が、今、私を一番苦しめているとも知らずに。

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