雨のため伊野尾書店さんで開催される予定だった「本の産直市」が、明日、明後日に順延となる。先週は神保町ブックフェスティバルで土日出勤していたので、あやうく14連勤になるところが12連勤で済んだので、私と事務の浜田にとっては恵みの雨となった。
バイト先に娘を送り、午前中だけパートにいく妻を見送ると、昨日観てすっかり魂を持っていかれた「THE FOOLS 愚か者たちの歌」を最初から観直す。
自分がいつから真面目に生きるようになったのかというと、八重洲ブックセンターでアルバイトを始めたときからだった。それまでの学校生活では遅刻早退欠席繰り返し、先生とは毎日反目し合っていたのだ。
それがアルバイトを始めて一気に真面目になったのは、八重洲ブックセンターの人たちがそれだけ誇りをもって働いていたからだ。何も知らずにバカにしていたサラリーマンと呼ばれる人たちが、こんなにかっこよく生きているとは思いもしなかった。実際の社会に出た私は、レジに立てば膝が震え、お客さんの問い合わせには何も答えられず、使いものにはならなかった。
「THE FOOLS 愚か者たちの歌」は、金の匂いのするメジャーシーンに背を向け、演奏する自分たちと呼応するオーディエンスと、そして爆音を鳴らせる箱(ライブハウス)さえあればいいと、長きに渡ってアンダーグラウンドの帝王と君臨してきたバンドを追ったドキュメント映画だ。
恥ずかしながら告白すると、私はひと月前までTHE FOOLSを知らなかった。映画のことも知らなかった。40年前埼玉の郊外に住んでいた中学生には、この伝説のバンドは届かなかったし、映画を観ない私には異例のロングランとなっている話題も耳に入らなかった。
毎日聴いているロバート・ハリスのラジオ「Otona no Radio Alexandria」に、この映画の監督である高橋慎一氏が出演し、映画の話と一曲だけかかったTHE FOOLSの曲を聴いて、衝動的に予約ボタンを押したのだった。
映画はバンドのボーカリスト、伊藤耕の出所シーンから始まる。伊藤は覚醒剤取締法違反などで何度も捕まっているのだが、画面を通して私は一瞬怖気づいた。
その時は何に怖気づいたのかわからなかったのだけれど、後にインタビューを受ける当時ブルーハーツの甲本ヒロト氏の言葉でその理由がわかった。
甲元ヒロト氏は、対バンとして一緒のライブで出た時、THE FOOLSを見て、こう思ったのだそうだ。
「なんか、ほ、本物?っていうのは変な話ですけど、本物じゃねえなあ、本物というのとはなんか違うな、本当の感じがしたの」
そう、私は「本当」に怖気づいたのだ。
出所後のライブのシーンが映る。
よれよれの伊藤はがなりながら歌う。その歌は上手いとか下手とかの歌ではない。魂の歌だった。
「お前の自由のために時間を使え
お前の自由のために愛を使え
お前の自由のために金をはたけ
俺の自由のために俺が仕事でもしよう」
この伊藤の、いや伊藤だけでなく、ギターの川田良、そのほかTHE FOOLS全メンバー、THE FOOLSに関わったすべての人から伝わる「本当」の姿に怖気づき、引き込まれ、再視聴にも関わらず、2時間固唾を飲んで観た。
ここに映し出されるのは、すべて本当の人間の姿だった。本当の人生だった。本当のロックだった。
普通の人からみたらここに出てくる人みんな、だらしがない人たちに見えるかもしれない。ドラッグもあれば、酒もあり、タバコもあり、経済的に裕福には見えない。
しかし、人生のすべてを音楽に捧げ、その音楽を求める人たちがいて、最後にはたくさんの人たちに見送られてあの世にいくこの人たちを超える人生をあなたは送れるのか。
私は送れるのか。
カヌーイストの野田知佑さんが若い頃、日本中の川を旅していたとき、役人かサラリーマンに「真面目に生きろ」と言われて、「あんたより真面目に生きているよ」と言い返したことがあったという。
真面目に生きるとはそういうことだ。
自分の人生に責任を持つということだ。
THE FOOLSほど真面目に生きてきた人たちはいないと思った。
私ももっと真面目に生きようと思った。