« 前のページ | 次のページ »

9月1日(木)

 早稲田の古本屋「古書現世」の店主・向井透史さんに初めて会ったのはいつ頃だっただろうか。本屋大賞を始めたか始めてないかの頃だった気がするので、15年から20年くらい前だったか。どこかの出版社の営業マンに誘われた飲み会に向井さんがどんと座っていたような記憶があり、場所はたしか今はなき神保町の洋食店「アミ」だったと思う。あの頃からひと際目を引く包容力のある体型をしていた。

 同席していたのは神保町の三省堂書店のSさんだった。おそらくそのSさんを囲む飲み会だったのではないかと思うのだが、Sさんが企画した古本フェアの品揃えを向井さんがしていると紹介された。なんて書くと簡単そうに見えるが、当時新刊書店に古本を並べて販売するというのはとんでもない出来事であり、新刊書店の売り場は頑なに「一物一価の法則」を訴えていて、かなりチャレンジングな前代未聞のフェアだった。

 同世代ですごいことをする人がいるなあと感心したものの、目の前に座っている向井さんは決してやり手のビジネスパーソンでもなく、雲をつかむような絵空事をいう夢見る夢子さんでもなく、ケタケタ笑いながらおもしろおかしく古本屋業を語る古本屋の二代目店主だった。

 向井さんはそのようにしてとっても気分のよい人だったのだが、出版社の営業である僕が在庫を持ち込むわけにもいかず、そうそう顔を合わすことはなかった。高田馬場の芳林堂書店さんに伺った際に、たまたまBIGBOXで古本市をやっていれば覗き、向井さんの姿を見かける程度だった。たいてい向井さんはレジの片隅で居眠りしていた。いかにも二代目店主らしい姿だと船をこぐ姿を僕は見つめていた。

 いつ頃からだろうか。別冊『古本の雑誌』を刊行したのが2012年だからそれより数年前からだろう。「本の雑誌」で古本屋さんのひとたちの原稿が載ることが増えていった。古本屋さんって面白いなあと感じるようになったのと、それらのことを書評誌である「本の雑誌」の誌面に載せても違和感がなくなったのだろう。あるいは「彷書月刊」が2010年に休刊したその影響もあったのかもしれない。

 そうなると向井さんにお願いすることも少しずつ増えていった。座談会に出ていただいたり、原稿をお願いしたり。向井さんが書ける人なのは、2006年に『早稲田古本屋日録』(右文書院)や『早稲田古本屋街』(未来社)を刊行していたのでわかっていた。

 極めつけは「本の雑誌スッキリ隊」の結成だった。あれはたしか向井さんたちが主催しているイベントに僕がお呼ばれし、本屋大賞の話を姫乃たまさんとした流れで、いろんな話をするようになった結果だったと思う。2019年6月号で告知し、9月号ではその蔵書整理のユニット「本の雑誌スッキリ隊」が特集となった。本の雑誌社の浜本と僕(杉江)に、古書現世の向井さん、立石書店の岡島さんの4人で、読者の方の蔵書整理をお手伝いに参る企画だった。

 初めは神奈川、次は埼玉、そして山梨と行動を共にするうち、僕は向井さん(と岡島さん)の魅力に取り憑かれていった。お二人の古本に関しての知識はもちろん、現状や相場に関して等など、どんなに聞いても話は尽きないのだった。そしてなにより作業が早い。あっという間に本を縛り、車に積み込んでいく。値踏みした金額に間違いもなく、まさしくプロフェッショナルなのであった。ふたりとも仕事に誇りと厳しさを持っていた。

 忘れられないのはスッキリ隊初出動の時のことだ。庭付きの大きなお宅にお邪魔し、あちこちにしまわれた本を片付けているときだった。僕がお客様の前で何気なく「処分」という言葉を使ったことに岡島さんが帰りの車のなかできっぱり注意したのだった。「処分はダメなんですよ。整理と言ってください」。

 それはお客さんに本を手放すことをネガティブに感じさせないための気遣いだった。あるいはネガティブな印象をもたせた結果、本を整理することを突然やめてしまうことにもつながるのだった。実際その後スッキリ隊の活動で当日その場で心変わりする人もいた。それほど蔵書整理というのは繊細なものなのだった。僕は「処分(☓)、整理(○)」と手帳に記し、注意されたことがなんだかとってもうれしく、車の窓から外を眺め、笑みがこぼれた。

 日頃お会いしている新刊書店の人たちともまた違った自由な空気を纏う向井さんや岡島さんの生き様に僕は魅了されていった。気づけば用もないのに向井さんのお店に顔をだし、1時間も2時間もしゃべっていた。

 そんな向井さんが「原稿溜まっているんだけど本にならないかなあ」とつぶやかれたのは昨年のことだった。聞けばとある月刊誌に15年近くに渡って連載している原稿が本にならずにあるという。僕はすぐにその原稿をコピーしに図書館に走った。

 原稿を読んでみると前半の5年分はコラム的な内容で、残り10年分は日記になっていた。ユーモアとペーソスの滲み出る日記には、日頃会っているときにはまったくわからなかった向井さんの姿があった。店のシャッターを下ろしたあと、ひとり孤独に買い取ってきた古本の整理をする日常が記されていた。

 正真正銘、飾りのない"古本屋の姿"がそこにあった。なによりも弱さを堂々と見せられる向井さんの強さにしびれた。思ったように本が売れないこと、人生がうまく行かないこと、そういったことをなにひとつ飾ることなく向井さんは記していた。そして向井さんがいつもうたた寝している理由もわかった。

 読めば読むほど「向井さん、大好き!」という想いが募っていった。50過ぎたおっさんが50になろうとするおっさんを好きになるというのもおかしいのだけれど、僕は向井さんにどんどん魅了されていった。だからこの半年、好きな人の本を作れる嬉しさでいっぱいだった。

 今日も、百円の本を売って、日々の糧に変えていく──。向井さんがそこにいる、と思ったらなんだかがんばれるような気がするのだ。『早稲田古本劇場』はそんな本だと思う。

« 前のページ | 次のページ »