9月8日(木)
「すごく憂鬱なのよね」
老老介護が限界を迎え、10日前に父親を介護施設に預けた母親が、通院による父親との久しぶりの対面を前に不安そうにこぼす。
その気持ちは私にもよくわかった。なぜなら私も昨夜からずっと憂鬱だったからだ。
もし父親が「家に帰りたい」と言ったらどうするのか、ボケが急激に進んで私や母親のことがわからなくなっていたらどうするのか、考えだしたら眠れなくなってしまい、今朝もぼんやりしたまま車を実家まで運転してきたのだ。
車が大きな病院に着くと、すぐに母親が入り口を指差した。
「あの車じゃない?」
ロータリーの向こうに一台のワゴン車が止まっており、男性がバックドアを開けようとしているところだった。
駐車場のゲートをくぐったところで車を停めると、母親はひとり助手席のドアを開け、早足に向かった。
車を駐車して入り口に向かうと、介護施設から介護タクシーでやってきた父親は車椅子に乗せられ、病院の前に降ろされたところだった。母親が父親の耳元に口を寄せ、「ツグも来てくれたよ」と声をかけている。
10日ぶりに対面する父親は、うつむきながら言葉を漏らした。
「ツグさんの顔見たら涙出ちゃうよ。おれさ、悪い方悪い方考えちゃってさ。」
私のことを「ツグ」と呼んでいた父親が「さん」をつけて呼ぶようになったのはいつ頃からだろうか。私の名前もしっかり覚えており、体調も10日前よりは良さそうだった。母親が受付をしている間、仕切りに私に訊いてくる。
「ツグさん、今日会社休んだのか? 大丈夫なのか?」
今日は日曜日だよと嘘をつこうかと思ったけれど、半ばボケがはじまっているとはいえ混乱させても悪いので、「夏休みだよ」と返事をした。
父親は18歳から働き始め40歳で独立し、町工場を立ち上げ、それから2年前の77歳まで働き続けた。
思ったよりも元気そうに見える父親が、掠れた声でつぶやく。
「飯がまずいとかトイレがどうとか施設に関してはなんの不満もないんだけど、あの膨大な時間がな......。だからやっぱり悪い方悪い方に考えちゃうんだよ。」
父親はどこか内臓が悪いわけではなく、腰の圧迫骨折の痛みがひどく、歩けなくなってしまっただけなのだ。「安静にして、リハビリをしっかりすればまた歩けるようになるよ。そしたら家に帰れるから」と肩を叩いて励ました。
「なんだかツグさんの顔を見るとほっとしちゃうんだよ。やっぱり涙が出るよ」
そう言って父親はしばらくすると、また「おい、ツグさん、今日会社休んだんじゃないのか?」と訊いてきた。
声に出さなかったが、私はずっと心の中で叫び続けていた。
「会社なんて、仕事なんて、どうだっていいんだよ、父ちゃん。」