1月1日(日)
川口の角上魚類で寿司を買い、実家へ向かう。ただし父親は未だ入院中により、母親と妻と息子の四人で新年の祝い。年末年始は一軒家でひとり過ごすのが特に寂しいらしい。
父親が入院して3ヶ月の間に母親とのコミニケーションでひとつわかったことがあった。否定系の質問を投げかけてくることがあるのだが、それを肯定して答えても意味がないということ。
たとえば「入院費は次に病院に行ったときに払えばいいよね?」とか「今年はお父さんがいないから松飾もしなくていいよね?」といったことだ。
はじめはこれに対して、できないことを責められたくないから「そんなことしなくていいよ」と肯定してもらいたいのだと思って、「そうだね」と答えていたのだが、それだと永遠と同じ問いかけを繰り返すのだった。
あるときあまりに同じことを言い募るのでさすがに頭に来て、「じゃあ、俺が今から病院に行って入院代金払ってきてやるよ」と病院に向かうと、すごくほっとしている様子だったのだ。
要するに不安で不安で仕方ないから言っているのであって、早く解決してほしいというアピールなのだった。なので本日「毎年お父さんが買っていたダルマもなくていいよね?」と言い出したので、すぐさま神社に行って、ダルマを買い求めた。おそらく父親は、母親が不安を募らせる前にすべて解決していたのだろう。
夕方、帰宅。妙に寒気がするのですぐさま布団に入る。30日に忘年会で行った居酒屋が煙草OKのお店ですこぶる空気が悪く、喉をやられたようだ。コロナでないことを祈りつつ、布団に包まり、フリート横田『盛り場で生きる』(毎日新聞出版)を読了。