5月27日(月)『しぶとい十人の本屋』
荻窪の本屋Titleで先行発売中の『しぶとい十人の本屋』(朝日出版社)を購入する時、著者でもある辻山さんが、「面白いですよ」とおっしゃっていた。
それが昨夜手にとると、本当にめちゃくちゃに面白く、ほぼ徹夜で一気読みした。読んだ後、頭がぐるんぐるん回って、こんなに考えさせられる本も久しぶりで、まったく眠れなくなってしまった。
お店を開けて8年が過ぎた辻山さんは、かつてのような手応えが感じられなくなり、自分の仕事について考え直していた。そんなときに同様に本屋を営んでいる人たちに会いに行こうと旅に出るのだった。そこで交わされた対話が本書であり、そして辻山さんは対話する度に本屋について改めて考えていく。
その話を聞いた九人の本屋さんの個性が強烈なのだ。それは気を衒うというのとはまったく異なり、生身の人間がもつ本来の個性であり、思考である。
もうそれがめちゃくちゃに面白い。ある本屋さんは教師ようであり、ある本屋さんは哲学者のよう。また別の本屋さんはパンクロッカーのようであり、さらにプロレスラーのような本屋さんもいる。
辻山さんがレジで釣り銭を用意しながら自著を「面白いですよ」と言ったわけは、そういうことだ。「自分の中からはでてこない言葉(考え)がでてくるので」とおっしゃっていたのだ。
私からすると、同時代の、隣のクラス(本屋さんと出版社)に、こんなに考え、実行している人たちがいたのかと驚き、憧れることしきり。また、私自身、こんなに深く、丁寧に考えて、本と向き合っているか?と強く反省もした。
そして本屋と出版社というものが圧倒的に別物だと思い知った。
この本の中で何人もの本屋さんが、あの人がこの本を買うだろうという個人を思い浮かべて本を仕入れていると話されている。
しかし出版社である私は本を作る時、売る時にそんな個人を想像することは正直言ってない。まったくないのだった。
例えば高野秀行さんの本を作る時は高野さんのファンとそのときのテーマに興味ある人が、そして初めて本を出す著者ならば、きっとこの感じの本を好きな人が手に取ってくれるだろうくらいの感覚でしかない。営業としてはどうにか一人でも興味を持つ人を増やそうと考えてはいるが。
ならば誰を思い浮かべて本を作っているかと言ったら、第一に著者だ。著者が満足する、あるいは著者に恥をかかせない、さらに著者が想像する以上の本を作りたいとは常々考えている。
それから自分自身が胸を張って、この本は私が作りました、と言える本にしようと思っている。
そこに特定の個人というものは、やっぱり想像したことがない。本屋さんと違って本を買う人と接することがほとんどないので、特定の個人を想像しようがないのだ。
ここで思い出すのは夏葉社の島田潤一郎さんだ。島田さんが本(出版社)を作ろうと思ったのは、兄弟のようにして育ったいとこが亡くなり、それで大変落ち込んでいる叔父さんと叔母さんを励ますためだった、というのは著作で何度も記されている。
これは完璧な個人であり、私的な対象だ。そこまで明確な読者対象というはその一冊だけかもしれないが、夏葉社の本は、この本を見つけたあなたのためにある、という空気をまとっている。夏葉社の人気の一部はこの姿勢にあるのかもしれない。
というのも、『しぶとい十人の本屋』の中で、これもまた何人かの本屋さんが語っているのだけれど、やはり今、コミニケーションが求められていると。その救いの場として本屋が必要とされているのではないかというのだった。
もしそれがそうなのであれば、島田さん=夏葉社というのは、その役割も引き受けているように思える。転職が思うようにいかない人から手紙をもらい、その人を週一で一年雇い、ブックマーケットなどで出店している夏葉社のブースはいつも島田さんと話す人であふれている。
私はそれを見て、出版社を作りたいという人の相談にのってるんだなあと思っていたけれど、実はもっと個人的な話をしている気がしてくる。夏葉社は、出版社でありながら本屋なのだ。
何の話をしているかというと、本を作るとき誰を思い浮かべるか、ということだ。
前述のとおり、私は特定の読者を思い浮かべない。思い浮かべられない。それでも受け取ってくれる人がいる。
先日、閉店を控えたオークスブックセンター南柏店で高野秀行さんのサイン会を開いたけれど、その際、かなり多くの人が、『謎の独立国家ソマリランド』で高野さんを知ったと話していた。男性も女性もいて、年輩の人も若い人もいた。この誰ひとりとして思い浮かべずに、私は『謎の独立国家ソマリランド』を作っていた。
島田さんのように誰か思い浮かべて作った方がいいのかも、とこの本を読みながら少し考えたけれど、それは本屋さんがすることなのかもと思い直した。役割分担だ。
責任放棄のように聞こえるかもしれないし、そんなマーケティングもできないで本を作るなとお叱りを受けるかもしれないが、いかんせん私は、本を買う人と接してないのだから、やはりそこは毎日接している人に任せるしかない気がしてくる。
読者と接するということと、その土地で商売をするという感覚(これはウララの宇田さんがこの本の中で指摘しているように東京に向けて本を作っている可能性は大いにあるが)は、出版社(私)はなかなか持ちようがない。そのことを改めて深く深く思い知った。
本屋さんはもちろん、出版社の人はこの『しぶとい十人の本屋』を読んだ方がいい。
われわれが作る本を、こんなにも真摯に受け止めてくれる本屋さんが、そして個性いっぱいの本屋さんがいることを知ることで、改めて本というものを強く信じられることだろう。
「自信を持ってあなたが信じる本を作りましょう!」という声が聞こえてくる。
さらに深く耳をすますと、「あなたはそこまでの覚悟を持って作りたい本はありますか?」という恐ろしい声も聞こえてくる。