8月21日(水)鈴本演芸場
夕方、上野の鈴本演芸場で高野秀行さんと待ち合わせし、8月下席夜の部を観覧する。昨日、高野さんに落語にハマったことを報告したら、なんと本日寄席にいくというので、ご一緒させていただくことにしたのだ。
高野さんの目当てはトリの林家きく麿さんと三遊亭白鳥さんとのことだそうだが、私は人生初の寄席であり、ついふた月ほど前に春風亭一之輔さんの落語に出会いApple MusicとYouTubeで聴いているだけなので、初めから最後まで知らない人ばかりなのだった。唯一知っていたのはきく麿さんの師匠で特別出演した林家木久扇さんで、この人だけは笑点で見たことがあった。
そんな超初心者の私だけど、一番最初の林家きよ彦さんからトリの林家きく麿さんまで笑いっぱなしだった。途中挟まれるジャグリングや紙切りや奇術といった色物も大変面白く、月一で観覧することを誓った。なにせ鈴本のある上野は通勤路なのだから、通うのは簡単なのだ。
なぜにこんな突然落語に目覚めたのだろうと不思議に思っていると、高野さんの落語鑑賞仲間のひとたちと向かった飲み会で、高野さんがこう言うのだった。
「杉江さん、最近酒の美味さがわかったっていっていたじゃん?」
「はい。酒の味自体が美味いというか、これまでそもそも酒を飲んでいる時間をすごい無駄な時間だと感じていて、飲み会が始まると早く終わらないかなあって時計ばかりみていたのですが、ここのところ酒も飲み会も愛おしく感じるようになって」
「落語も一緒だと思うんだよね」
「なにがですか?」
「がんばっても解決できないことがあるってわかったときに人間おとなになって、それで酒とか落語がさ、楽しくなるんだと思うんだ」
高野さんが言うとおり、私が酒と落語に目覚めたのは父親の死と母親の介護が始まってからで、それはまさしく自分ががんばっても解決しないことだった。自分ではどうすることもできないことに出会ったのは、もしかすると人生で初めてだったかもしれない。
これまで私は強いものに憧れ、困難を薙ぎ倒すヒーローになりたいと願っていたし、いつか自分もそうなれると信じて生きてきた。
しかし、実際に自分の努力ではどうすることできないことに相対したとき、私はそこから逃げるというか、がんばらないというか、戦わないというか、流れに身を任せることにしたのだ。
酒も酒場も落語も寄席もそんな私を優しく受けとめてくれた。寄席は、大人になった私の第三の居場所になるような気がする。