11月30日(土)祖母
週末実家介護で春日部の実家へ。バイトが休みだという娘もついてくる。
月に一度程度、こうして娘は私の介護に付き添ってくれているのだった。単にバイトが休みなのだと思っていたのだが、週末の書き入れ時に休みになるわけがなく、娘がお店に希望を伝えて休んでいるのだと気づいた。
なぜ休んでまで来ているかといえば、娘なりに限られた時間である祖母と交流する時間を作ろうとしているのだった。
私の父、娘にとっての祖父が亡くなった時、娘はドイツに留学していた。「帰国は無用です。今いる場所で空を見上げておじいちゃんのことを想ってください」とLINEで祖父の死を知らせると、娘はすぐに電話してきたのだった。留学してから初めて聞く娘の声だったけれど、号泣と嗚咽でほとんど言葉になっていなかった。
娘の嗚咽を聞きながら私は自分の祖父が死んだ時のことを思い出していた。祖父は父の兄の家に生活しており、私が物心ついた頃には足が悪くて寝たきりのような状態だった。お盆と年始の挨拶くらいしか顔を合わせることもなく、私が小学6年生のときに亡くなったのだが、悲しいという気持ちは湧いてこなかった。娘のように泣くことも嗚咽することもなかったのだ。
娘の慟哭はいったいどこから来ていたのだろうか──。
子供たちが幼き頃、月に2度は実家に顔を見せにいっていた。少し成長してからは毎週のように埼玉スタジアムで一緒に浦和レッズを応援してきた。そういう交わりの中から娘は娘なりに、祖父や、今こうして介護が必要になっている祖母に対して想う気持ちが湧いてきていたのだろうか。
不思議な思いで、娘と母親の会話を見守る。
ここ二週間誰も訪れてこなかった反動か、昼過ぎから夕方まで入れ替わり立ち替わりで母親の友達がやってくる。