« 2025年3月 | 2025年4月

4月26日(土)コーラス

朝、週末介護で実家に行き、庭を掃除していたら、家の前を歩いて通り過ぎて行ったおばあさんが、戻ってきて声をかけてきた。

「すみません。私、コーロ桐の花でお母さまと一緒にコーラスやっていた大西と申します。杉江さんにはすごくお世話になって、旅行に行ったりもしたんですよ」

コーロ桐の花というのは母親が立ち上げた合唱団なのだが、それは私が中学生くらいの時の話だった。

大西さんと名乗るおばあさんは、二つ先の駅に住んでいたのだけれど旦那さんを亡くし、ひとりで家で過ごすのも心配で、最近この近くのサービス付き高齢者向け住宅に引っ越してきたという。

その施設は出歩くのは自由なのでこの辺りを毎日散歩しているそうで、シャッターが閉まった我が家を見ては、私の母親のことを心配していたのだという。

ボケはじめている母親に会わせたところで噛み合わない会話になったりしないか不安に思いつつ、家に上がってもらった。

すると顔を合わせるなり、ふたりは40年以上前のコーラスの話を、時間を忘れて話し出したのだった。

「いろんな歌をうたってねえ。紫のドレス着てさ。グレーのドレスも素敵だったわよね。本当に、いい思い出。私、春日部の文化会館で団員募集のポスターを見て連絡したのよ。ただ練習する公民館が遠かったでしょう。初めて見学に行った日のこと私一生忘れないの。杉江さんと中原さんが武里駅で待っててくれたの。今でもあの光景、思い出すわよ」

1時間ほど話して帰って行った大西さんは帽子を忘れた。

施設まで届けに行こうかと思ったがやめた。忘れ物があった方がまた来やすいだろう。

4月25日(金)大迷惑

代休。

夜、埼スタへ。サヴィオのドリブルと金子の爆走で1対0の勝利。3位に。

しかし、我が前列の兄ちゃんが、コールリーダー気取りで後ろをやたら振り返り煽ってくるので試合に集中できず。息子の友達が何度も前を向けと押し返すが、酔っ払っていて言うことを聞かず。煽られなくても我々はお前の1000倍声を出し、飛んでいるのだ。

4月24日(木)鶯谷・信濃路

日曜日に鬼子母神通りで行ったみちくさ市の荷物を立石書店の岡島さんが車で運んできてくれたので、台車を転がし古書会館へ引き取りに伺う。

午後、銀座の教文館さんへ。担当のKさんおすすめの北方謙三〈日向圭一郎〉シリーズを買い求む。全巻、池上冬樹さんの解説がついているようで、これも楽しみ。

夜、鶯谷の信濃路にてKADOKAWAの山田先生と一献。「この酒やばいんですよ」と言いながら青リンゴサワーを飲みつつ、西村賢太さんの話をする。山田先生はいつもキモ貝氏が食べていた「朝の飯田橋駅の×××××カレー」をペロリと食していた。

4月23日(水)お店の力

朝、5時に起きて、頼まれ仕事に没入。

出社後は昨日のDMの続き。印刷会社から日下三蔵『断捨離血風録』と小山力也『古本屋ツアー・イン・日下三蔵邸』の色校と念校が出たので諸々手配。

両著のサイン本受付をスタートした西荻窪の盛林堂書房さんから予定冊数に一日で達してしまったため、早速の追加注文をいただく。

それにしてもサイン本はすでに本の雑誌社のWEBストアで受け付けており、しかも盛林堂さんは2冊セットのみの申し込みなのだった。それがたった一日で本の雑誌社がこれまでに受け付けた冊数を超えており、いやはやお店というものの凄さを改めて思い知るのだった。

結局、本を売るのは本屋さんであって、版元ではないのだ。お客さんはお店についており、出版社についているわけではない。そのお店を信頼するお客さんが、そのお店を通して本を購入するのである。

4月22日(火)本の雑誌創刊50周年記念イベント

6月刊行の大山顕『マンションポエム東京論』のチラシを作り、書店さん用にDMの準備に勤しむ。

ひと段落ついたところで5月18日に開催する本の雑誌創刊50周年記念イベントである『日下三蔵×小山力也「劇的⁉︎魔窟ビフォーアフター」』『大森望×吉田伸子×本の雑誌社スタッフ「目黒考二と目黒さんの書評は永遠に不滅なのだ。』のチケット制作と電子チケットを登録。初めてのことなので、いろいろと神経がすり減り疲労困憊。

夜、歌舞伎町の「地下ん家」という酒用のケースに電灯を灯しガムテープで補修した看板を掲げる居酒屋で、古書現世の向井さん、イラストレーターの信濃八太郎さんと酒。

店内は一切内装費をかけていない作りながら、気づけばお店は超満員で、向井さんのおすすめ通り、安くて美味いのだった。新宿というのは本当に不思議な場所だ。

なぜかずっと金曜日の気がしていたのだが、まだ火曜日だった。しかし私は9日連続働いているのだった。

4月21日(月)猿との遭遇

  • 愛猿記 (中公文庫 し 15-18)
  • 『愛猿記 (中公文庫 し 15-18)』
    子母澤 寛
    中央公論新社
    968円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS
  • 警察官のこのこ日記――本日、花金チャンス、職務質問、任意でご協力お願いします (日記シリーズ)
  • 『警察官のこのこ日記――本日、花金チャンス、職務質問、任意でご協力お願いします (日記シリーズ)』
    安沼 保夫
    フォレスト出版
    1,430円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS

朝ランしていると、すれ違った自転車の人が、「あそこに猿がいるから気をつけてください」と声をかけてくる。

「あそこに猿がいるから」というのは私の人生で初めて聞いた警告である。なにせここは住みたい街ランキングベストテン入りする浦和(のはずれ)の、たとえ緑区と名がついたとしても立派な住宅地なのである。

しかも私がランニングしているのは国道463号線、通称浦和所沢線であり、すでに6時を過ぎた二車線道路には、通勤の自家用車はもちろんのこと、トラックに路線バスにと渋滞一歩手前の交通量なのである。

そんな道に猿なぞ......と視線を先に向けると、歩道に1匹の茶色いけむくじゃらな生き物が座っていたのである。そのシルエットはまさしく猿だった。

思い返せば前日、SNSで埼スタ付近で猿出没が話題になっていたのだ。埼スタはここから約7キロほどで、その猿が今私の目の前にいる猿だろうか。

ランニングコースはその国道を越谷方面に向かうしかなく、そこには1匹の猿がいる。私はどうしたらいいだろうかと立ち止まっていると、小休止を終えた猿のほうからこちらやってきたのである。それも二足歩行でだ。

その姿はまるでランニングしているようであり、これはただ普通にランナー同士としてすれ違い、「おはようございます!」と挨拶でも交わせばいいのではと思い私も一歩踏み出したのだけれど、そこはやはり猿である。突然襲いかかってくるかもしれないし、噛みついてくるかもしれない。話せばわかるかもしれないが、残念ながら私は猿語ができない。

悩んでいるうちにも猿は二足歩行でやってきて、30メートルの距離が、15メートルになり、5メートルとなった。もしかすると箱根駅伝中で襷を渡されるかもしれない。

私は慌てて、しかし背中は向けずに後退りで、脇道に隠れた。猿は一瞬私のほうを見たものの、そのまま所沢方面に向かって二足歩行で過ぎ去っていった。

市街地で猿と会ったときどうしたらいいのだろうか──。とりあえず家族のLINEに写真を送ると、妻からすぐに返事が来た。「警察に連絡したほうがいいよ」

警察署はここから走って5分ほどのところにあり、私はランニングコースを変更し、警察署に向かうことにした。

いつもよりハイペースで走ったせいか警察署に着いたときには汗が滴り落ちていた。しかも呼吸も乱れており、いかにも悪いことをやって自首しにきた犯人か、あるいは悪者に襲われて逃げてきた被害者のようであった。

始業前の警察署は部署によってはシャッターが閉まっており、「当直」と掲げられた場所のみ5、6人の警察官が机に座っていた。その警察官たちが汗みどろで息絶え絶えの私を見て、一斉に立ち上がり、一番奥に座っていた「太陽に吠えろ!」でいえば石原裕次郎ポジションのデカ長が私の前に駆け寄ってきた。

「そ、そこに猿がいました」

私が報告すると、なぜか一気に緊張が解けてしまい、デカ長以外は興味をなくしたように自席に戻ってしまった。

「すでに通報がありまして、見回りにいっております。ご報告ありがとうございました」

あっけない幕切れであった。

安沼保夫『警察官のこのこ日記』(三五館シンシャ)を読んだから知っているのである。猿を捕まえたところでポイントにならないのだ。

すっかり時間を取られてしまったので、そのまま自宅に戻る。娘が言うには、私が遭遇した猿は左手のない猿として有名な猿らしかった。

ちなみに猿本といえば子母澤寛『愛猿記』(中公文庫)が面白い。

定時に出社し、仕事に励む。5月下旬刊行の小山力也『古本屋ツアー・イン・日下三蔵邸』を印刷会社に入稿する。

夕方、東武伊勢崎線竹ノ塚駅のスーパーブックス竹ノ塚店さんに『酒を主食とする人々』を直納する。こちらでは現在、高野秀行さんの著作を集めたフェアを開催しており、『酒を主食とする人々』が、本屋大賞受賞作『カフネ』、ご当地本『ルポ足立区』に続いて週間ベストセラー堂々の3位にランクインしているのだった。本を売るとはそういうことなのだ。

4月20日(日)鬼子母神通り「みちくさ市」

鬼子母神通り「みちくさ市」に出店。昨日の妙蓮寺「本や街」に負けない人出で、古本フリマのひとたちと一緒になって本を売る。

ネームプレートをつけてお店に立っていたら、「本の雑誌」の裏表や奥付を真剣に見ていた女性のお客さんから、「あっ!」と声をかけられる。

これはもしやファンの人!?とニコニコ近寄って行くと、「私、昔、取次の雑誌課で勤めていたんですけど、この雑誌にすごく迷惑させられたんです!書店から問い合わせがきてどんだけ雑誌台帳見ても載ってなくて、本当に雑誌ですか?って聞くと「雑誌って書いてあるから雑誌だろう!」って怒られて、これがその現物だったとは!」と叱られたのだった。

そう、「本の雑誌」は、本の雑誌と名乗りながら、雑誌コードをとっておらずISBNしか記してないため、出版流通上では書籍なのだった。

平謝りすると、積年の「恨みが伝えられてすごくスッキリしました!」と笑って帰っていかれた。

取次店の仕入以外の人の生の声を聞いたのは初めてのことだった。

4月19日(土)妙蓮寺「本や街」

週末実家介護をお休みし、出店した妙蓮寺の「本や街」無事終了する。

各駅停車しか停まらない駅で、しかも会場が分散、さらに本の雑誌社が出店する古民家は靴を脱いで上がらなきゃならないのに、11時のオープンから18時まで常に満杯のすごい熱気だった。

段ボール二箱送った本は一箱になり、ありがたいかぎり。売れることとイコールなのだけれど、版元にとって在庫が減るというのは本当にありがたいことなのだ。

ただし、個人としては「本や街」で共に本を並べて売っていた出版社(者)に完全に打ちのめされた。

私は20代のはじめに「仕事」として出版社を選んだ。そして給料を得るために仕事をしている。仕事というのは給料をもらうためにあるものだと自然に考えていた。

どうせ働かなきゃいけないのなら好きなことがいいというわけで、出版(社)を選んだ。そして幸運にも入ることができた。消極的な積極姿勢とでもいえばいいだろうか。

しかし「本や街」で本を作り売っている出版社(者)の人たちは、そもそも本が作りたい、作らざる得ない衝動や想いが先にあって、結果として出版社をしているのだった。

主催者であり、本屋生活綴方と出版社三輪舎を営む中岡さんにそのことを話すと、「僕らは(世代的に)本に関わる仕事を選んでる時点で家なんて買えないと思ってるし、ここでやってる人たちの中には月曜から金曜まで他の仕事をして、土日に出版社として活動している人たちもいます」と教えられ、やはり絶対勝てないと思った。

お前はフルタイムで出版をやってるのに勝てないのか?と問われるもしれない。

もちろん営業や部数や点数なら勝てるかもしれない。しかし彼らより楽しんで本を作って売っているかと問われたらどうだろう。1ページ1ページ、一枚一枚仔細に隅々までこだわって、本を作っているかと問われたらどうだろう。

突き詰めれば、自分のお金で本が作れるか?ということなのかもしれない。

気のせいかもしれないがこの日この部屋で本を並べて売っていて、私の前だけお客さんがいない時間があった。お客さんにその覚悟の違いが伝わっているのではと思い、背筋が凍りついた。

そんなところに高野秀行さんから電話があり、切々と今感じている悩みを伝えると、高野さんはそれを遮って訊いてくる。

「それって、杉江さんがビジネスで本を作ってるってこと?」

「はい」と答えたら爆笑が返ってきた。

「誰もそう思ってないし、そもそも杉江さんビジネス知らないでしょう」

どうやら杞憂だったようだ。

4月18日(金)調整

同日発売により同時進行で制作している日下三蔵『断捨離血風録』と小山力也『古本屋ツアー・イン・日下三蔵邸』のカバー等を入稿。

みちくさ市の荷物を積んだ台車を押して、古書会館へ。みちくさ市の実行委員でもある立石書店の岡島さんの車に積み込む。

夕方、丸善お茶の水店さんを伺うと入り口すぐの新刊台に辻村深月『あなたの言葉を』(毎日新聞出版)が多面積みされていた。この本はちょうど一年前に出た本なのだけれど、棚前に積んでいたら1ヶ月で30冊も売れ、ならばもっとよいところへと展開場所を変更してみているところだとか。

実際その場所で売れるかどうかはわからないけれど、こうして日々、一冊でも多く売れる可能性を探り、売り場を調整されているのだ。

4月17日(木)本屋イトマイ

日曜日に鬼子母通りで開催される「みちくさ市」の準備。坪内祐三さんの自宅にあった自著も箱詰め。

午後、東武東上線ときわ台駅にある本屋イトマイさんに直納。静かなカフェに次々とお客さんがやってくる。

棚と会話したい人、本と会話したい人、そして自分と会話したい人には、ぜひ訪れてほしい本屋さん。

4月16日(水)盛田軒

夜、埼玉スタジアムへ。

先に来ていた息子に誘われ、バックアッパー2階の埼スタ横丁に出店している盛田軒にて、ホタテのバターしょうゆラーメンを食べる。

元浦和レッズの選手にて現ハートフルコーチの盛田剛平さんが黙々と調理場でラーメン作っており、元サッカー選手のラーメン屋さんというより、ラーメン屋さんがたまたまサッカー選手だった?と勘違いするほど美味。

試合はラーメン効果で京都に勝つ。久しぶりに楽しく、あっという間に90分が過ぎ去った。今夜の埼スタは、まさしく「そこにいるだけでワクワクするような非日常的空間『レッズ・ワンダーランド』」だった。

4月15日(火)Jリーグ飲み会

朝、TBSテレビ「THE TIME,」で本屋大賞発表会の密着映像が流される。当日の様子はもちろん、その仕組みなど丁寧に紹介していただく。

夜、出版業界のJリーグサポーターで集まり、神保町の「カドクラ商店」で飲み会。サッカーのことを話しているかと思えば突然出版界のことを熱く語りあったりして、久しぶりに深酒。本屋大賞の問題点などを指摘されるも、こういう酒は嫌いじゃない。

4月14日(月)トム・クルーズ

朝、介護施設の車が来るまでテレビを見ていた母親が、「トム・クルーズが来日するって!」と興奮した様子で話しかけてくる。

私の母親が最後に映画を観たのはおそらく若い頃の石原裕次郎の映画で、「トップ・ガン」はもちろん洋画なんて観たことないのだった。

どうした母親?

4月13日(日)雨

雨。
終日、車椅子の母親を見守りながら本を読んで過ごす。

4月12日(土)三回忌

晴天の中、父親の三回忌の法要を営む。お寺には母親と私と妻、そして父親の親友である前川さんご夫妻が参列。

滞りなく法要は終わり、実家に席を移して、父親の思い出話に花を咲かせる。

午後、お隣の山本さんがいらして線香をあげていただく。

さらに夕方、親友のダボもやってくる。

父親が呼んだかのような千客万来の日。

4月11日(金)吉川英治文学賞

  • 方舟を燃やす
  • 『方舟を燃やす』
    角田 光代
    新潮社
    1,920円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS

本屋大賞発表会の荷物が返ってきたので、その整理をしていると、小山力也さんと北原尚彦さんが連れだってやってくる。古書会館で開かれている「まど展」を物色してきたらしい。

小山さんから5月刊行の『古本屋ツアー・イン・日下三蔵邸』の再校ゲラを預かり、カバーのデザインの確認などしていただく。北原さんとは別の書籍の打ち合わせ。古本者の人との打ち合わせは金曜日(神保町)にかぎる。

合間を縫って『たずねる』の初回注文〆作業をし取次のシステムに登録、そして再校ゲラの整理をしていると、笹塚在住の読者の方が遊びにくる。目黒さんがカキフライを楽しみにしていた「とんかつ江戸家」が、店主高齢により先日閉店したと聞き腰が抜けるほど驚く。

目黒さんがあまりに急かすものだからか、店先に掲げた「カキフライはじめました」の手書きの文字が、「カキフライはじました」と「め」が抜けてしまっていたのが懐かしい。

夜、帝国ホテルへ。吉川英治文学賞の贈呈式にお招きいただいたので、角田光代さんのお祝いに伺う。

受賞スピーチでは、数年前、小説を書けなくなるスランプに陥り、このまま書けなくなったら再就職もままならないと駅ビルで開催されているエクセルとワードの使い方教室に通い始めた話をユーモア交えて真剣に語られる。エクセルの課題を必死にやっていたものの、それ以上にエッセイなどの〆切も多く、今はとにかく原稿執筆に取り組むべきではと考え直し教室通いはやめたそう。

そうした不安を抱えた中で執筆されたのが『方舟を燃やす』(新潮社)なのだが、しかし選考委員の選評を読むと「豊饒な文学世界を感じる」(浅田次郎)、「抑制を持って人間を描き切る力量に、私はいくらか羨ましさを感じた」(北方謙三)、「作品世界を完全に構築しようとする律儀さ、真面目さにおいて、空恐ろしい執念が感じられる」(桐野夏生)、「独自の文学世界を持ち、それが多くの読者に受け入れられる稀有な作家である」(林真理子)、「「これこそが小説!」と喝采を叫びたくなるような作品」(宮部みゆき)と絶賛の言葉が並んでいるのだった。

おそらく角田光代という作家が目指している「小説」とは、誰もが見たことのないさらなる高みにあるものなのだろう。

4月10日(木)おつかれさまでした

朝ラン5キロ。疲れているときこそランニングだ。

編集の松村は、昨日帰りに反対方向の電車に乗り、一駅過ぎたところで気づき慌てて降りて折り返しの電車に乗ったそう。しかし今度は数駅行った先で、自分がバッグを持っていないことに気づき、発表会会場に戻ったらしい。

控え室にポツンとひとつ残るバッグがあったからいいものの、年々発表会による疲労困憊度が増しているのは加齢のせい。

『酒を主食とする人々』の3刷目の重版がやっと出来上がってきたので早速直納に勤しむ。紀伊國屋書店新宿本店さん、丸善丸の内本店さん、タロー書房さんと訪問する。

あちこちで「昨日はおつかれさまでした」と声をかけられる。その一言で疲れがとれる。

しかしそうはいっても額を不健康な感じの汗が流れ落ちる。これはまさしく疲労困憊の証だ。

本も読まずに21時にとっとと就寝。

4月9日(水)2025年本屋大賞発表会

  • カフネ
  • 『カフネ』
    阿部 暁子
    講談社
    1,870円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS
  • 本屋大賞2025
  • 『本屋大賞2025』
    本の雑誌編集部
    本の雑誌社
    880円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS

本屋大賞発表会。晴天。桜も満開。

過去一番の来場者数で、会場の隅までぱんぱん。第2回目の神楽坂・日本出版クラブで開催し、人が多すぎて会場から「もう勘弁してください」と言われたことを思い出す。

滞りなく発表会は終了し、怒涛の片付けの後、打ち上げは「魚民」、二次会は「目利きの銀次」で、10時過ぎまで実行委員の人たちと本屋大賞と本のことを語り合う。

驚いたのは有志で発表会の手伝いにいらしてくれた10代の書店員さんが、子供の頃から本屋大賞が好きすぎて大学生になったら絶対本屋でアルバイトすると決めていたという話だった。

本屋大賞受賞作が好きというのはわかるけれど、本屋大賞自体が好きとはどういうことなんだろうか。私が特定の選手が好きなわけでなく浦和レッズを愛するように、われわれ本屋大賞から何かしらのアイデンティティを感じ、いわゆる「箱推し」の対象になっているということだろうか。

他にも若い書店員さんがたくさんお手伝いに来てくださっており、すでに生まれた時には本屋大賞があった世代(誰かが「本屋大賞ネイティブ」と呼んでいた)が書店・出版業界で働き出しており、そもそももはや書店・出版業界で働いている人たちの大半が、本屋大賞ができてから入社した人たちなのだった。

22年というのはそういう年月なのだ。この22年の間には東日本大震災があり、コロナもあり、中止にするかどうか議論したり、ソーシャルディスタンスをとって超少人数で怯えながら撮影して録画発表したこともあった。10回を終えた時にもう役割をまっとうしたのではないかと解散を真剣に検討したし、私の娘と息子は成人し、父親は亡くなり、母親は脳梗塞で半身不随になって要介護4になった。

本屋大賞を続けてきてよかったとしみじみ思う。本屋大賞が毎年あるって、やっぱりいい。

家に帰り着いたのは12時過ぎだった。角を曲がると暗闇の中にリビングの明かりが灯っている。毎年、本屋大賞の日は帰宅するまで起きてくれているのだ。

今日だけは、「おかえり」ではなく、「おつかれさまでした」と妻と娘が迎えてくれるのだった。

4月8日(火)下り坂人生

  • 本の雑誌503号2025年5月号
  • 『本の雑誌503号2025年5月号』
    本の雑誌編集部
    本の雑誌社
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS

「本の雑誌」5月号搬入。本の雑誌社には1997年10月に入社したので、50周年のうち約27年関わったことになる。

97年というのは出版業界のピークから売上が下がっていく分岐点の年であり、私の本の雑誌社の人生は下り坂との戦いなのだった。

明日が本屋大賞発表会ということで、テレビ局からの問い合わせ多し。

4月7日(月)50周年

本の雑誌50周年記念号が出来上がってくる。定期購読者のみなさんへの封入作業「ツメツメ」をした後、駒込のBOOKS青いカバさんに納品に伺う。

そしてここから歩いていける目黒さんのお墓に無事50周年を迎えたことを報告する。

目黒さんや椎名さんから「本の雑誌」を引き継いだ時に一番に考えたのは、もし休刊や廃刊になってしまったら目黒さんや椎名さんを悲しませることになるので、それだけは絶対避けたいということだった。

でも今は違う。この雑誌がなくなって一番悲しむのは読者であり、最後のひとりでも悲しませたくないのだ。

そして今日は父親の命日で、三回忌でもあった。

4月6日(日)台風の目

雨予報ながらどうにか降らずにもつ。ただし風強く、散歩は諦める。洗濯物が乾くのが、大変気持ちいい。

いろんな人から毎週介護大変だねと言われるけれど、実はそうでもなく、今週のように本屋大賞という嵐に揉まれている中での週末のイノセントな時間というのは台風の目に入ったような何事にも変え難い時間になっているのだった。

4月5日(土)2度目の桜

朝、週末実家介護のため介護施設へ母親を迎えに行く。

桜が満開なので、車椅子を押して花見に出かける。

去年の今頃、これが母親にとって最後の桜かもと考えたものの、今年もこうして桜を眺めることができた。

介護している身からすると、正直、良いことなのか悪いことなのかはよくわからない。

4月4日(金)村祭り

午前中、発表会を間近に控え、本屋大賞のオンライン会議。

素人である我々なのでまるで文化祭のような事務局なのだが、本屋大賞というものがあまりに大きく立派なものとして受け止められているため、そのギャップの渦潮に飲み込まれそうになる。本屋大賞なんて村の祭りだからね。

午後、新宿の紀伊國屋書店さんに『酒を主食とする人々』を直納する。

夜、新宿三丁目の「ふじ屋ハナレ」にて「現世会」。まるで政治団体のような名称であるが、古書現世の向井さんを中心とした飲み会である。

新入社員が入社して初めての金曜日であり、街中は同期と飲みにいく若者で溢れていた。

4月3日(木)祐天寺のばん

午後2時、祐天寺の「ばん」にて、読売新聞による『酒場とコロナ』の大竹聡さんの著者インタビューに立ち会う。

「まあまあとりあえず」といって店主の小杉さんが差し出す炭酸と氷と焼酎(キンミヤ)とレモンの絞り汁という至ってシンプルながらめちゃ美味なレモンサワーを促されるまま飲んでいると、すっかり酔っ払いになってしまった。

小杉さんがおっしゃった、「お客さんさえ来てくれたらなんとかなる」という言葉が頭の中をぐるぐる回る。それは裏返せばお客さんに来てもらうために死に物狂いで働いたということだ。

「本を知ってもらう」ために、あるいは「手にとってもらう」ために、さらには「本を店頭にならべてもらう」ために、私は死に物狂いで取り組んでいるだろうか。

4月2日(水)竹ノ塚

『本屋大賞2025』の見本を持って、市ヶ谷の地方小出版流通センターへ。市ヶ谷の土手は桜は満開だが、あいにくの天気で花見をしている人は少なめ。

その後、秋葉原で日比谷線に乗り換え、直通で東武伊勢崎線の竹ノ塚駅を訪れ、スーパーブックス竹ノ塚駅前店さんに『酒を主食とする人々』を直納する。週末より高野本フェア開催とのこと。

4月1日(火)一万円

「父ちゃんこれ。鹿島戦と町田戦のチケット代」と言って、晩飯を食べている私に息子が五千円札一枚と千円札五枚の束を差し出してくる。

これまで浦和レッズのチケット代はすべて私が支払っており、もちろんそれを催促することもなかった。

先月より息子は働き出し、どうやら初めての給料がでたらしい。これからは自分のチケット代は自分で払うということだろうか。

この一万円は、「北の国から」で黒板五郎が純を東京まで乗せていってくれるトラックの運転手に渡した泥付きの一万円札に匹敵するのではなかろうか。泥はついていないけれど、寒風吹き荒ぶ中グラウンドに立って、サッカーボールを追いかけて息子が手にしたお金だ。

「おう」と何気なく受け取りつつ、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、グラスに注ぐ。津田梅子と北里柴三郎を眺めながら喉に流し込んだ。

3月31日(月)二週連続

朝日新聞の次回の読書面を確認すると、昨年11月に刊行した八木健治の『羊皮紙をめぐる冒険』が掲載されていて驚く。

一昨日の『酒場とコロナ』の紹介に続いて、2週連続で朝日新聞読書面に書評掲載されるなんて本の雑誌社始まって以来のことではなかろうか。

3月30日(日)ユニテ

夕方5時半に三鷹のユニテに到着。6時半より高野秀行さんと『身近な薬物のはなし』(岩波書店)を刊行した松本俊彦さんとのトークイベントに立ち会う。

お客さんから夢に見た組み合わせのトークイベントですと褒められるが、ユニテの方が企画発案段取りしてくださったイベントなのだった。

« 2025年3月 | 2025年4月