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炎の営業日誌特別篇『本をはさんで 版元営業という人生』第1回 浅利清

本をはさんで 
版元営業という人生

はじめに

版元営業という仕事に就いて32年の年月が過ぎました。その期間すべて小さな出版社で働いてきたので、特に研修もないまま新刊チラシと注文書を持ってあたふたと本屋さんをまわる日々が始まりました。

そんな私に版元営業という仕事を教えてくれたのは、他の出版社の先輩たちでした。もちろん手取り足取り教えてくれるわけではなく、売り場で見かける背中や酒の席での振る舞いで教えてくれたのです。

時が過ぎ、改めて、そんな先輩たちに話を聞いてみたいと思いました。どんな風に本を売ってきたのか、そもそもどうして版元営業になったのか、そして版元営業という仕事はなんなのか──。いや本当は先輩たちからいろんな話を伺いたいだけなのです。

それが、この「本をはさんで 版元営業という人生」です。居なくても本はこの世に生まれ、またお客様に直接本を売るでもない版元営業という仕事を続けてきた大好きな人たちに話を伺って参ります。


第1回 浅利清

浅利さんと出会ったのは、確か山下書店渋谷店の店長さんを囲んでの飲み会だったと記憶します。

自分の父親とたいして変わらない年代にも関わらず、まだ書店さんとの飲み会に慣れていなかった私に優しく話しかけてくださいました。浅利さんの話は、営業ときいて思い浮かべるような押しの強いトークではありません。軽妙な語り口で落語や映画といった趣味の話をしながら、その場を明るく楽しくしてくれるのでした。飲み会をまたやりましょうといって、その店長が退職するまで続きました。

それ以来、飲み会だけでなく、営業先の書店でばったり会い、お茶を飲んだりしてきましたが、今回「版元営業という人生」として一番最初に話を聞いてみたいと思ったのが浅利さんでした。RCサクセションの曲に「ぼくの好きな先生」というのがありますが、浅利さんは「ぼくの好きな先輩」です。

すでに定年退職して、公民館などで文化事業の企画を立て、相変わらず忙しそうにしている中、相模大野のくまざわ書店さんで待ち合わせし、近くの喫茶店に向かいました。


── 何年生まれですか?

浅利 昭和二十二年。一九四七年ね。

── 昭和二十二年ということは今七十...。

浅利 七十七歳になってるかな。(二〇二四年十一月現在)

── ご出身は?

浅利 生まれは大井町。

── あっ、大井町なんですか。僕の母親も大井町で。

浅利 えっ、そうなんだ。あの頃の大井町って駅に馬券買いのおっさんが結構いてね。相乗りのタクシー乗ったり。「なにやってるのかなぁ」って思いながら見てました。

── そういう感じだったんですね。

浅利 羽田のそばには海苔の養殖場とかあってね。干してあるんだ。

── 天日干しってことですか?

浅利 そうそう。ガキの頃、俺はあの辺で泳いで遊んだもんですよ。

── 生まれも育ちも大井町だったんですか?

浅利 そう。親たちは舞鶴から移ってきて、それで俺は大井町で生まれたんだろうなって思ってるだけの話だけど。訊いたことがねぇんだよ、どこで生まれたかっていうのは。おそらくガキの頃から大井町にいるからさ。兄弟の中で俺だけが大井町なのかな。

── ということは上に兄弟がいらっしゃるんですか?

浅利 四人いたんだけど、みんな死んじゃったからね。

── それは子供の頃にとか?

浅利 いえいえ、一等上の兄貴は十年近く前かな。次の兄貴が十五年前ぐらいにね。

── はい。

浅利 で、お姉ちゃん、姉がいたんだけど、一昨年に亡くなって。小さい頃にひとつかふたつぐらいで亡くなったのもいたんだけど、俺は知らないからね。

── 浅利さんは海で遊ぶくらい活発な子だったんですか?

浅利 というか遊ぶところがないんですよ。だから今のお台場、あんなきれいになる前だけれど、ああいうところでみんな遊んでたんだよ。お台場で俺らは野球やったクチだから。

── 少年野球?

浅利 少年野球じゃない。遊びのね。棒っきれの。海ッ端で、遠浅だったからさ。そのあたりで野球をやってた。で、中学もすぐそばの東海中学っていうんだけど、その頃は学校出たら二〇〇メートルぐらいで海だったかな。今はもうとんでもないけどさ(笑)。

── 埋め立てられているってことですね。

浅利 そう。いい時代だったよ。

── 子供の頃は本を読んでいたんですか?

浅利 漫画ばっかり。貸本屋に行ってた。漫画の貸本屋があったんですよ。さいとう・たかをだとかちばてつやだとか影丸譲也だとか。あれはなんて本だったんだろうなあ。単行本みたいになっていて、それを借りてさ。一冊五円だったかな、あの当時。

── そうなんですか。

浅利 借りれるのが一晩か二晩か一週間だったのかな。もう忘れちゃったけど五円で借りて。『まぼろし探偵』に『イガグリくん』とか知らないだろうけど。

── 僕の子供の頃には貸本屋というのはもうなかったんですよ。

浅利 そうでしょう。俺は貸本の世代だから。

── 本を買うなんていうのは?

浅利 そういう感覚はなかったよね。買えるようになったのは、「少年サンデー」とか「少年マガジン」とかああいうのが出始めた頃かな。だから今思うよ。当時の漫画をとっておけばなって(笑)。とんでもない値段になっていたと思うけど、当時はそんなことわからないからさ。

── そういう子供がどういう経緯で出版営業の仕事に就いていったんですか? 元々出版社を目指していたんですか?

浅利 いやあ全然。中学校を卒業して。俺、中卒だから。

── あっ、そうなんですか。

浅利 実は中卒なんです。春陽堂に入ってから夜学の高校に通ったんですよ、4年間。

── じゃあ、働き出したのは15歳?

浅利 そうそう。昭和二十二年生まれ、団塊の世代っていうのはみんな貧乏だったから。

── 戦争が終わって、一番大変な頃ってことですかね。

浅利 停電が多かったから俺らが生まれたんじゃないの?(笑)

── えっ?(笑)

浅利 言うんだよ、みんなで冗談を。やることがなかったんだろうって(笑)。

── あはは。それじゃ中学を出て働きに出る同級生っていうのもいっぱいいらしたんですか?

浅利 いっぱいいたね。幼稚園も行けなかったから、小学校に行くのが楽しみでさ。給食が楽しみでね。

── お腹減ってますもんね。

浅利 そう。でね、中学を卒業するときに、いすゞを受けたんだよ、自動車の。

── はい。

浅利 兄貴がいすゞにいたんで俺も兄貴のアレで入れるかなと思って行ったら、ウチの兄貴は組合にいて。その当時は組合ってアレじゃない。昭和三十五、六年頃だからさ。

── 会社とバリバリ戦っていたわけですね。

浅利 兄貴は一生懸命やっていたから「あいつの弟が来た。とんでもないことになるんじゃないか」っていうので、俺はダメだったんだけど。

── 採用されなかった?

浅利 そうそう。それで中学校行って、「どこかいいところない?」って就職担当の先生に訊いてさ。それでいろいろ紙を渡されて、その中に「倉庫番」って書いてあったんですよ。

── 倉庫番?

浅利 それを見たら「春陽堂書店」って。当時の俺は聞いたこともなかった。ただ俺、「倉庫番」って。「あっ、こりゃいいや、楽できるな!」なんていうので受けたわけ。

── ええ? じゃあ出版業じゃくて、倉庫番っていう仕事に惹かれたってことですか?

浅利 そう! とにかく働かなきゃならなかったからね。

── 倉庫はどこにあったんですか?

浅利 中目黒。当時はけっこう売れてたみたいで。鉄道弘済会でね。当時は弘済会って言ってたキオスクを。

── はい。

浅利 弘済会への納品がすごい多かったんだよね。返品も多かったけど、結構ああいうところで売れてたんだね。山手樹一郎だとか時代劇とか、乱歩とか大衆本がね。

── その頃にはもう春陽文庫ってあったんですか?

浅利 あったね、俺が入る前から春陽文庫っていうのはあったよね。

── 大井町から中目黒までは、どうやって通っていたんですか?

浅利 それはもう大井町線で自由が丘まで行って、自由が丘から東横線の渋谷行き。だから千代田線ができる一年前ぐらいかな。

── 倉庫の仕事っていうのはどんな感じだったんですか。

浅利 何をやりゃいいんだろうって思ってたら、要するに本の品出しだよ。

── 注文短冊があったりとかですか?

浅利 今から思い出すと東・日販(トーハンと日販)の連中が売れたカード、補充カードを持ってきてたんだよね、会社に。それを俺らは補充として出してたの。

── はい。

浅利 当時は機械がなかったから荒縄で縛って。

── 本を?

浅利 そう。荒縄っていうか、もう少しいいのなんだけど、縄で縛って。それでトラックに来てもらって、神田村に持っていったの。

── そのトラックは運送業者がくるんですか?

浅利 そうそう。三共運送っていう。

── 三共さんが来るからそれまでにちゃんと荷造りしておかないといけないみたいな?

浅利 そうそうそう。まだ当然日販にしてもトーハンにしても今みたいな倉庫? 物流センターっていうの? ああいうのがなかった時代だから。

── じゃあ売れた本は出版社の倉庫から出ていくみたいな?

浅利 そういう感じだったね。当時トーハンが九段下にあったのかな。

── 九段下にあったんですか?

浅利 九段下。日販の今の場所は確か店売だったはずなんだよ。

── 御茶ノ水駅前の?

浅利 今、日販のビルがあるでしょ? あそこがね、まだ俺らのときは店売だったかな。もしあれだったら確かめてみて。

── はい。

浅利 俺の思い違いかも。もううすらとんかちになってるからね。

── はい(笑)。浅利さんが納品にいくわけではない?

浅利 いや、そのトラックに一緒に乗って。

── そうなんですか。

浅利 九段下行ったり、日販に行ったり、神田村行ったり、栗田なら栗田に下ろして。

── 栗田も神田にあったんですか?

浅利 神田にあった。

── そうなんですか。仕事としては大変なんですか?

浅利 いやあ。品出しとかああいうのは嫌いじゃなかったね、今から思うと。

── 何冊出して、みたいな?

浅利 棚ごとでこれはこれ、って入れればいいんだから。あと補充カードを入れて、三十冊くらいになれば縛るんだ。

── 先輩はいたんですか?

浅利 いたよ。五、六人はいたかな。

── みんな男の人ですか。

浅利 男、男。で、あとは検印貼りってわかる?

── わからない(笑)。

浅利 昔の本は全部はんこ押してあるでしょ。奥付のところに著者のはんこ。

── はい、押してありますね。

浅利 その検印の紙を作家先生のところに貰いに行くわけ。それで先生が、まあお女中さんか秘書が捺すのか知らないけど、千冊分とか捺してあるのをもらって、それで製本所から入ってきた本の後ろにいちいち、こうやって糊の付いてる札みたいな板があって、全部糊で貼っ付けて、一枚づつ切って。

── ああ!そういうことですか。あれを貼るのは出版社の仕事だったわけですね。

浅利 そうそう。いろいろ思い出してきたけれど、面白かった時代だわな。

── それじゃあ乱歩とかの検印が置いてあったってことですか? 山手樹一郎とか。

浅利 山手樹一郎だとか、司馬遼だとか。あの頃は司馬遼が売れてたなあ。

── 司馬遼って春陽堂から出てたんですか?

浅利 『上方武士道』、『梟の城』、『風神の門』か。うちがもってたんだよね。もう「うち」じゃないけど(笑)。それが結構売れてたね。あとは源氏鶏太。知ってる?

── はい。

浅利 それからあの頃は川内康範の『骨まで愛して』って知ってる? 「平凡」「明星」で連載小説を書いたやつ。あれを春陽堂が出していた時代でね。だから考えれば楽しかったね、あの頃はね。

── 当時のお給料ってどのくらいだったんですか?

浅利 初任給がね、一万円いかなかったかな。昭和三十八年で、ひと月九千いくらだったかな。

── それはでも稼いだ感じはありましたか?

浅利 あったね、やっぱりね。おふくろに持っていったら嬉しがってね。

── はい。

浅利 本をさ、紐で縛って出してたなんてわからないでしょ?(笑)

── わからないです。古本じゃないんですから(笑)。それは習ったんですか? 縛り方を。

浅利 うん。

── 先輩っていうのは、恐かったですか?

浅利 そうでもないよ。いい加減だよ、みんな(笑)。鼻歌歌いながら板ついたり、そういう時代。みんなもう。

── ギスギスせず?

浅利 うん。まだ文庫屋さんも多くなかったし。岩波、創元、春陽堂、ぐらいだったのかな。角川文庫はもうあったか? 文庫が少ないから春陽堂みたいな大衆本は売れたわけよ。

── はい。

浅利 新潮にしろ角川にしろ創元にしろ、固い本でしょう。創元なんか洋物だからね。チャンバラ小説なんてなかったわけよ、文庫でね。

── そうだったんですね。

浅利 だから山手樹一郎は売れたね。あとは乱歩。

── そういうのは読んでたんですか?

浅利 読んでなかった。

── 仕事としてやってた感じですか?

浅利 仕事やって、夜はだって夜学にいくじゃん。

── ああそうか。時間ないですね。高校に通って卒業して、その後もずっと倉庫をやってたんですか?

浅利 途中で、三、四年経ったら経理をやれって言われて、経理をやったんですよ。

── それは簿記が得意だったからとか?

浅利 そうじゃなくて、人がいなかったんじゃないかな(笑)。

── その頃、春陽堂書店ってどれくらいの人数の会社だったんですか?

浅利 中目黒だけだと、十五、六人かな。

── 本社みたいなのもあったんですか?

浅利 本社は一応日本橋に。

── そこはもっといっぱいいたんですか?

浅利 一人か二人だったんじゃないかな。

── えっ、そんな人数で?

浅利 それはさ、どこの会社だってそんなもんだったんじゃないの? 岩波だ角川だってところは違うかもしれないけど、春陽堂クラスの会社っていうのはそんなに社員がたくさんいなかったんじゃないかな。

── はい。

浅利 だからおまんま食えてたんじゃないかな。

── そんななか経理をやり。

浅利 経理をやり、それで昭和四十四年に茗荷谷へ移ったわけよ。

── 自社ビル?

浅利 自社ビルね。それで俺もそっちへ行って。そこからは品出し係で、本を入れたり出したり、その頃もペタペタペタペタ検印紙貼ってさ。

── まだ検印紙があったんですか?

浅利 あったのよ。

── 伝票っていうのは手書きで書いてたんですか?

浅利 手書きで書いてたはず。俺、そこまでは見てなかった。

── それはまた別の担当がいて?

浅利 担当がいた。だからいい時代だったかもしれない。まだまだね。

── はい。

浅利 それで結局、角川が『犬神家の一族』を出し始めた頃から、「あんたの所に本を多く渡すから、角川の本を置け」みたいになっていったのよ。書店は欲しいじゃない。売れる本。

── はい。

浅利 横溝はうちにもあったんだよ。

── 角川の『犬神家の一族』が売れて、春陽堂の横溝も売れるってことはなかったんですか?

浅利 あんまりなかったんじゃないかな。今から考えると装丁が悪かったのか何なのか知らないけど、やっぱりあの宣伝力には敵わなかったよね。

── 春陽堂の棚が少しずつ減るとかは?

浅利 あまりなかったね。結局それよりチャンバラ小説が売れてたわけよ。

── それはサラリーマンが読んでいた?

浅利 そうだね。おじさんたちが読んでいた。でもさ考えてみりゃ山手樹一郎なんて9ポだよ。9ポって小さい字があるでしょ。あれの二段組だったわけよ。

── 文庫で!?

浅利 そう文庫で。それでも売れてたんだよ。信じられないでしょ、いま。俺も信じられない。読めねぇよ、あんなの。うちに何冊か置いてあるけどさ。本当に小さくてさ。

── そうですよね。

浅利 でも、あれが売れてたわけなんだよね。長編も一冊で全部済んだわけよ、9ポで二段だから。だから良かったんじゃないの、買う方はね。上下巻じゃないんだから。

── 外回りの営業っていうのはいつ頃からなんですか?

浅利 それが思い出せねぇんだよ。若いアルバイトや社員がどんどん入ってきたからそういう連中が品出しとか倉庫の業務をするようになって、営業があまりいなかったっていうので、俺がやることになったのか。いなかったんだよな、たしか。営業が。

── そうなんですか。

浅利 要するに書店回りがさ。だからそろそろやらなきゃいけないんじゃないかっていうことで俺がやるようになったんだよね。だから書店台帳なんてそんなカッコいいもんなかったよ。

── 訪問する本屋さんのリストがなかった?

浅利 うん。それだから俺が作ったりね。

── それは何歳ぐらいですか?

浅利 三十三、四歳ぐらいで営業やるようになったかな。

── 昭和でいうとだから......。

浅利 昭和の四十何年? ぐらいだよね。昭和五十年になったかどうかぐらいかな。営業部長ってのはいたけどさ、営業部長はコッチの方で忙しくて。

── 呑む方で。

浅利 うん。だから俺が本屋に行って。

── そういうのは嫌だとは思わなかったですか?

浅利 思わなかったね。営業自体は人と......こう見えてもね、人と話すのは苦手な方なんだよ?(笑)。

── ええ?(笑)

浅利 信じらんないだろうけど人見知りなの(笑)。でもね、商売だから。やれって言われたらさ。

── 「春陽堂です」って名刺出して、訪問して歩いたんですか?

浅利 そう。その頃は春陽文庫って名が通ってたわけよ。「ああ、来た」って。売れてる売れてないってはっきり言われてね。よく注文取れてたよな、今思うと。

── 注文書っていうのを自分で作ってたんですか?

浅利 いや、それは誰かが作ってくれてたんだけどね。

── あの頃ってパソコンってないわけですよね。注文書ってどうやって......手書きで?

浅利 印刷したよ。そのぐらいは印刷屋に頼んで作ってた。

── 営業のトークっていうのは誰かに教わったんですか?

浅利 「売れてます~?」って。それだけ(笑)。

── それだけ(笑)。

浅利 それで本屋さんもはっきり売れてる売れてないを言ってね。そうすればなんとかなるじゃない? 売れてるなら売れてるで補充注文もらったり、欠本取ってとか。そういうことをやってたね。とにかく、行き当たりばったりに。

── どんな書店に行ってましたか?

浅利 大きなところには行かなかったね。

── ええ??

浅利 そりゃ、いくらあたしだって、気後れしたから(笑)。

── 僕の記憶だと浅利さんは栄松堂さんと仲が良かったような。

浅利 そうそう。栄松堂はもうすごい売れてたから。東京駅に行けば、なにせ注文が取れたのよ。あの時は地下に三軒ぐらいあったのね。それといっしょにキオスクもあったから。弘済会のね。

── はい。

浅利 あそこに行けば一日の稼ぎになるから(笑)。

── 稼ぎ? いいですね(笑)。

浅利 それでちょっと「じゃあセンちゃん、飯食おうよ」って言ってさ。それとあの頃弘済会は単位が大きくて、「これ、五十冊入れて」とか注文くれてさ。

── それは何を?

浅利 文庫をね。十冊、二十冊と入れてくれっていうので。

── キオスクっていうのは、ホームにあった売店に営業に行くんですか?

浅利 そう。

── あの回転灯みたいな?

浅利 そうそう。あの頃キオスクも地下に倉庫があったわけよ。納品するところが。

── それじゃそこに行って補充をする?

浅利 うん。まず書店に行って、売り場に行ってチェックして、で、会社に持って帰ってチェックして、それでさっきも言ったようにトラックでね。

── そうやってだんだん自分なりの営業コースっていうか、パターンみたいのができていったんですか?

浅利 そうね。動物的勘があったんだろうね。あるでしょ? ここだったら大丈夫だろう、みたいなのが。

── はい。

浅利 やっぱり外れるのは嫌じゃん(笑)。

── はい(笑)。

浅利 ちょっとまた話はずれるけども、これだけ今もいっとう頭に来てるのがあってさ。神戸の方の本屋に行って、「どうですか売れてますか」って訊いたら、「おめえの所みたいな、こんなような人が読むような本はうちにはないよ」って言われたんだよ。

── 手を震わせて?

浅利 そう。要するにじいさんばあさんしか読まないような本は無いよっていうわけ。ふざけんじゃねえコノヤロー、それならお前のところには二度と売るもんかって。こっちだって意地があるじゃない。

── それはその場では言わないで?

浅利 そこでは我慢するよ。言っちゃったら終わっちゃうからさ。でもいいんだけどね。終わったら終わったで違うところで売ればいいやって思ったけどね。

── そういう思いはありましたか?

浅利 あった。いい加減だね俺なんか。営業の話を俺に訊くようなあれなんてないんだよ。

── いやいや。

浅利 そういうふうにしてないと気持ちがやりきれないっていうかさ。俺だって注文取らないと給料の分さ。

── はい。

浅利 それからだんだん、給料も年に一万ぐらい増えていって。

── そうするとちょっとはやりがいなんて感じたものですか?

浅利 そうだね。一日中会社にいなくてすむっていうのがね。

── ははは(笑)。

浅利 いい加減なもんだよ(笑)。でもさ、ちゃんと本屋に営業には行ってたよ。言っておくけど(笑)。

── 本屋へ行くのは好きだった。

浅利 そう。だからああいうのが好きなんだろうね、俺はね。だからいまだに近所のくまざわ書店に行って、ああこういう本が売れているのかって考えちゃう。まあ、俺がやっていたのは本の売上が右肩上がりで、文庫本なんか売れ始めた頃だけど。

── キャリアのほぼ全部で、業界が好景気で昇っていくのを見ている。

浅利 一応見てるね。

── 「売れてるな」って実感はありましたか?

浅利 ありましたね。やっぱり前の月入れたのがほぼなくなってるとかそういう書店もあったし。だからあの頃は流通がうまく行ってなかった時代なんだよね。補充っていうか。

── 間に合わなかった?

浅利 書店が取次へ補充カードを送ってたんだろうけど。

── それがすぐ納品されない。

浅利 そうそう。だからやっぱり取次の流通センターができたのは大きかったよね。日販なら王子、トーハンなら五軒町。倉庫ができて、きちんと各版元の文庫を置き始めてからスムーズに本屋に流れるようになったんじゃない?

── そうなんですね。

浅利 だから出張の時は各地の取次の支店に行ってね。「補充しに来ました~」って、十冊、二十冊と注文を取ってきてね。『桃太郎侍』を十冊とか、乱歩のこれを十冊とかね。今はほとんどなくなっちゃったでしょう? 地方の支店が。

── ないですよね。春陽文庫のよく売れるエリアってどこだったんですか? 東京駅と。

浅利 東京駅と......あとは渋谷の大盛堂も売れたかな。でも大どころでは売れなかったよ。三省堂とか紀伊國屋。ああいうところはあまり売れない。

── そうなんですか?

浅利 大衆専門で売るような本屋と、高級専門の文庫を売るところっていうのがあるんですよ。だから営業ではうちの文庫が売れるようなお客様のところに行く。

── 僕が浅利さんと初めてお会いしたのは、山下書店の店長さんを中心とした飲み会で。

浅利 ああ、そうそう。山下書店も良く売ってもらった。だんだん思い出してきた。山下は春陽堂を良く売った。

── 忙しいなって感覚はありましたか?

浅利 ない。

── ないですか(笑)。

浅利 自分で忙しいと思っちゃダメだと思ってたから。

── 残業はしてました?

浅利 残業? してたよ。

── それを忙しいとは思わない?

浅利 思わなかったね。まあでもそれでも一時間ぐらいかな。五時おしまいで六時ぐらいまでとか。中卒で働き出した時なんかは、土曜日は三時までだったからね。それから半ドンになって......半ドンってわかる?

── 知ってます。はい。

浅利 半ドンになって、午前中で終わってね。それから週休二日で土曜日も休みになって。そういう時代だったから。

── 半ドンの頃って、仕事終わった後みんなどうしてたんですか?

浅利 帰ってた。

── 飲みにいったりしていたのかと思ってました(笑)。

浅利 三時までっていうのが一等面倒くさかった。半ドンよりね。半ドンはまだ帰れば時間があるじゃない。三時って時間が無いんだよ(笑)。

── そうですよね。

浅利 そういう時代だよ。いろいろ面白かったよ。今から考えると。

── 浅利さんは、お酒のお付き合いは?

浅利 結局ね、センちゃん達と飲みに行ったくらいかな。

── 栄松堂のセンザキさんという人と。

浅利 かなり仲間になったやつがいて。

── それはどういうきっかけで仲良くなったんですか?

浅利 それがね、ある女性の書店員さんが、「春陽文庫は売れるよ」って薦めてくれたの。

── それはお店の人ですか?

浅利 お店の人。当時の......名前忘れちゃった...。大事な人だったんっだけどなあ。その人が、「春陽文庫は置けば売れるよ」って、他の店の連中に言ってくれて、それで置き始めたの。

── 東京駅にあった三軒が?

浅利 そう。そうしたら本当に売れちゃったわけ。やっぱり電車に乗って遠くに行くときに時代小説なんてちょうどよかったのかも知れない。

── はい。

浅利 だからその女性のおかげです。春陽文庫が東京駅で売れるようになったのは。

── それでそのセンザキさんとかと懇意になっていくわけなんですか。

浅利 そうそう。あと二、三人いるけどね、懇意になったのはね。そいつらとは良くコレやって。

── 飲みに行って。

浅利 うん。やっぱりお礼がしたいじゃん。

── はい。同世代ぐらいですか?

浅利 いや、下だったかな。「ちょっと昼行かない?」「ちょっと夜行かない?」みたいな。それで飲んだり食ったりしたかな。

── 他の出版社の人と飲みにいくとかは?

浅利 あんまり知り合う機会がなかったかな。ほぼ一匹狼だからね。

── はい。

浅利 人よりも売りたいなって俺でも思うから(笑)。これでも。

── 他の出版社と仲間になってっていうんじゃなくて?

浅利 仲間になってもね。

── 他の会社の文庫をどかしてうちのを並べてくださいなんて営業は?

浅利 そういうのは絶対しない。そういうなんていうかね、仲間内の仁義はあったよね。他の文庫屋でも......これどかしてくださいなんて、角川ぐらいからじゃないの?

── そうなんですね(笑)。

浅利 「読んでから見るか 見てから読むか」とかやり始めてじゃない? そういう事をやりだしてから、なんかおかしくなったよね。俺から言わせればね。

── 売り場の取り合いみたいな?

浅利 売り場の取り合いね。その前はみんな仲良くやってたよ。お互いうまく生きられるようにね。でもそれじゃ済まなかったんだよね、時代的に。

── 「これは売ったなぁ」って記憶にある本ってあります?

浅利 やっぱりさっき言った司馬遼さんと乱歩と山手かな。山手も装丁を全部浮世絵にしたんですよ、九十四点か。そしたらまた余計に売れるようになったんだよね。

── へえ。

浅利 それ以前は北条誠、川内康範、そういう清純小説、島倉千代子の歌で言えば「からたち日記」とか「東京の人よさようなら」とか「骨まで愛して」だとか、そういうような「平凡」に書いていたような連中の小説を文庫にするとこれまた売れてたんですよ。

── そうなんですね。

浅利 あとは源氏鶏太、中野稔、そのあたりだね。ユーモア小説。城戸禮って知ってる?

── 知らないです。

浅利 これが「拳銃刑事三四郎」シリーズなんですけどね、赤木圭一郎の映画は知ってます?

── それも知らないです、すみません。

浅利 知らない! 「抜き射ちの竜」っていう赤木圭一郎の有名な映画があるんですけど、その原作本を出していて、ああいう拳銃小説とかね。

── はい。

浅利 火野葦平だとかさ、『無法松の一生』とかね。

── それを春陽文庫で出していた。

浅利 出してた。それがまた売れててねえ。さっきも言ったように、「明星」「平凡」を読むお姉ちゃんたちが、文庫で出たものを買ってくれてたんですよ。

── あっ、女性も買ってくれてたんですか?

浅利 そうそうそう。「平凡」「明星」に載ってた小説をね。うちが文庫にして、それを出して、そのお姉さんたちが買って頂いてたと。当時はね。

── じゃあ客層としては両極がいたってことなんですね。サラリーマンと女性と。

浅利 そういうことだね。

── 今みたいにマーケティングとかっていって、何歳の何々世代、なんて考えたことは?

浅利 考えたこともない。ここら辺って、俺はだから場所で見てたかもしれないね。

── 場所?

浅利 「この辺はこういうような本が売れるんじゃねえかな」みたいなね。

── そういうものを考えていた。

浅利 そうそう、勘で行ってたの。場所を見てね。

── 売れないだろうけど注文取れればいいやって感覚はなかったですか?

浅利 ない。無駄なことはしたくなかったから。

── それはお互いにとって無駄っていうことですよね。

浅利 そういうこと。食品ロスじゃないけど(笑)。やっぱり、本だってかわいそうじゃん。売れてくれないと。

── ええ。

浅利 売れてねぇのに長く置いてあったりとかさ。

── あと八重洲ブックセンター本店の文庫担当の方と仲が良かったような。

浅利 Tさん?

── そうです、そうです。年齢もかなり違うのに親しそうだなと思ってました。

浅利 これさ、俺が辞めるときTさんがくれたんですよ。

── 文庫のカバー。革製の立派なものですね。

浅利 うん。俺が「辞めるんだよ、今度」って言ったらこれをくれてさ。

── いまカバーかけてるのは、池井戸潤の『オレたち花のバブル組』ですね。

浅利 これはもう、ブックオフで百円だったから(笑)。今は俺、金が無いから新刊が買えないからね。

── そうやって、なんていうんですか、書店員さんと仕事を離れて付き合うっていうのはどんな感じでされていたんですか。「今度ご飯でも行きますか」みたいな感じなんですか?

浅利 やっぱりね、自分のところの本の話はあまりしないの、俺は。何が売れてるかは訊くよ。それは。

── はい。

浅利 例えばTさんは落語が好きなんだよ。そうすると落語の話ばっかり。

── 浅利さん、落語大好きですもんね。

浅利 そうそう。それでセンちゃんは映画が好きなのよ。となると映画の話ばっかりよ。あとはジャズが好きなやつとかね。だから俺の趣味の合うやつと行ったかな。それが功を奏していた部分はあるよね。

── どういうやり取りの中でわかるものですか。

浅利 ううーん。なんとなく話しているうちに「この人はジャズが好きなのかな」とか、喋り方がそういう様な喋り方だから「落語が好きそうだな」とかね。

── 感じ取る(笑)。

浅利 そう。「俺は実は志ん生が好きんだよ」って話したら、「オレもだよ」みたいな。「こういう映画が好きなんだよ」とか。今じゃ通用しないような営業術(笑)。

── 今は雑談できないくらい忙しいですからね。浅利さんは結局春陽堂に何年勤めてらしたんですか?

浅利 四十......何年かな。

── 十五歳で勤めはじめて?

浅利 そうそう。辞めたのは五十五、六歳だから。六十前だからね。四十年、四十年以上はいたってことだね。

── 五十五歳で辞めたのは?

浅利 もう定年だったからね。

── 定年だったんですか?

浅利 たしか五十五が定年だったな。

── そうだったんですね。

浅利 その前にいろいろあって退職金を頂いちゃったわけ。

── はい。

浅利 それで子どもたちを私立大学に行かせられて、俺ら夫婦もなんとかマンションを買えて。

── それは五十歳ぐらいの頃ですか。

浅利 いや、もっと前かな。それから少し働いて、五十五歳で定年になって、それじゃあもういいかってんでBOOKS SAGAに行ったんだったかな。

── えっ? なんですか?

浅利 本屋さんよ。

── えっ!? 書店員になったってことですか?

浅利 そういうこと! 実は。

── ええええ。どこにあったんですか?

浅利 武蔵小杉。

── そうだったんですか。知らなかった。

浅利 そこの店長と仲良くなってたから、じゃあ来ないかっていうことで行ったんだけど、もうダメよ。私ももう五十いくつで、暗算で全部やるのよ、無理(笑)。

── レジが?

浅利 何百何十円から何円引いてお釣りとか、無理。

── まごつきましたか?

浅利 それはもう。

── それはどれくらいやったんですか?

浅利 一ヶ月でもういいや、辞めるって。向こうもそう思ってたらしいから、ちょっと色をつけて辞めさせてくれたからね。

── それでコスミックに行くんですか。

浅利 そう。それは春陽文庫に大栗丹後って作家が本を出してたわけ。その人とどこかで会って、「先生、就職先いいところない?」って訊いたら、今コスミックで書いてるから、紹介してやるって言われて。それで行ったわけよ。

── はい。

浅利 偉そうな態度してね(笑)。

── 浅利さんが(笑)。

浅利 それでも社長が会ってくれて、春陽堂にいたって経験を買ってくれて、当時人が足りなかったのか即雇ってくれて。

── それは社員で雇ってくれたんですか?

浅利 契約社員みたいなもんだな。

── へえ。

浅利 それで十年間。

── 六十五歳過ぎまで出版営業をしていたんですね。

浅利 自分の知ってるお店を回ってね。また時代文庫だからさ。

── 僕の記憶だと浅利さん、その頃DVDを書店さんに営業してましたよね?

浅利 そうそう、俺が入って四、五年経って五百円DVDってのを売り出したんだよ。

── 廉価版のやつですよね。

浅利 廉価版のやつ。それがバカ売れしたんだよね。

── なんか大宮でばったりお会いした記憶があります。

浅利 押田謙文堂とかあの対面のビル、なんていったっけ。

── ロフトですかね。ジュンク堂さんがあった

浅利 ロフト! ジュンク! あそこも売れてた。DVDがね、本よりもね(笑)。あの辺は結構行ったなあ。浦和の須原屋さんも売ってくれたなあ。

── DVDを売るのは嫌だとか、そういうへんなプライドはなかったんですか?

浅利 ない。

── それは売れるのが面白いみたいな?

浅利 そう。売れれば楽しい。やっぱり営業だもん。選んでちゃダメだよ。俺から言わせれば。

── はい。

浅利 まあ、たまたま俺の性格と合ったものが売れてね、俺はよかったんだけど。

── 時代物と映画と。

浅利 そうそう。DVDもまあ映画じゃん。映画は俺好きだし。

── はい。

浅利 だからそういうことじゃないかなぁ。俺はここまで来れたのもね。

── 他の職種につこうとか考えなかったんですか?

浅利 なかったね。なぜか、なかった。やっぱりどこかで、歌の歌詞じゃないけど「どうにかなるさ」ていうところがあるんだよね。

── それは出版の中で「どうにかなるさ」っていう。

浅利 そう。転職して行ったところで俺の好きなDVDがあったりさ。そういうのがね。

── DVDはどうやって営業していたんですか。欠本取るんですか?

浅利 取るよ。

── あれの欠本取るの、めっちゃ大変じゃないですか。

浅利 商品を並べる棚をコスミックで買って、それを貸し出したわけ。それで一セット売り出して。

── 一セット入れる。

浅利 それで補充表があるから、欠本調査して。

── それを六十五歳までやってたじゃないですか。いつまでこんなことやってんだ、みたいな気持ちにはならなかったですか?

浅利 ならない。

── なんでですか?(笑)。

浅利 なんでだかわからないけど(笑)、だからある日、会社から「もう六十五過ぎたからいいだろう、お疲れさん」って言われて。

── 管理職になりたいとか、そういうのは?

浅利 全然ない。なんもないです。

── 「事務の人っていいなぁ。会社に一日いてパソコンの前に座ってられて」みたいなのは、なかったですか?

浅利 ない。「それじゃちょっと行ってくるから」なんつって会社を出て行っちゃって、で、夕方帰ってきて、時々は直帰ね。それもできたし。

── じゃあ偉くなることよりも、自由のままのほうが。

浅利 そういうことだね。俺はまったくそれ。人を使いたいなんて気は全然なかったから。

── だけど冬だって寒い中コートを着て行ってお店の前で脱いだり、暑い日はそりゃあもうヘロヘロになりながら本屋さんに通うわけですよ。そういうのは全然苦にならなかったですか?

浅利 ならなかったねぇ。なんだろう、能天気なんだよ、俺は。ある意味。

── 年齢とかを気にしたことも?

浅利 あんまりなかったね。若くても話してる中から人柄を感じ取って、それで「最近こんな映画観た?」とかさ、そうすると向こうもさ、そういった話題だとちょっと話してくれてね。

── はい。

浅利 でもそれがだんだん効かなくなってきた時代に辞められたからよかったんだろうね。

── そういう変化は感じました?

浅利 感じた。そもそもは取次の経営がおかしくなり始めた頃かなあ。仕入に行ったって相手にされないとかさ、そういう時代になりつつあったからさ。

── 営業のトークなんて考えてましたか?

浅利 しゃべることじゃなくて、相手が何を思ってるのかは考えるよね。俺、合わせるのが上手いんだよ。

── 上手いですよね(笑)。

浅利 実は(笑)。

── 人見知りのはずなのに(笑)。

浅利 そう。人見知りのはずだったのが、いつの間にか。

── きっかけってありました?

浅利 ない。俺、無理しないから。なんだってね。

── 合わないなって人もいましたか?

浅利 そりゃあいたよ。いたけど、みんながみんな気が合うやつなんているわきゃねぇと思ってるから。

── はい。

浅利 向こうだってそうだよ。

── そうですよね。

浅利 だから気にしてもしょうがないと思ってた。気が合うやつとしゃべればいいや本を売ればいいやって思ってた。

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