6月26日(木)ふて寝
代休。10時からクラブワールドカップ、モンテレイ戦を観る。自分はアメリカに行けてないので何も言えない。
観戦後、久しぶりに介護も何もない休暇ということで、心置きなくふて寝というか昼寝をする。昼寝ほど気持ち良いことはない。毎日昼寝するべきだ。
井上章一『京都ぎらい』(朝日新書)と川本三郎『マイ・バッ・クページ』(平凡社ライブラリー)を読む。両著とも読み始めと読み終わりの感想がまったく異なる本だった。
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代休。10時からクラブワールドカップ、モンテレイ戦を観る。自分はアメリカに行けてないので何も言えない。
観戦後、久しぶりに介護も何もない休暇ということで、心置きなくふて寝というか昼寝をする。昼寝ほど気持ち良いことはない。毎日昼寝するべきだ。
井上章一『京都ぎらい』(朝日新書)と川本三郎『マイ・バッ・クページ』(平凡社ライブラリー)を読む。両著とも読み始めと読み終わりの感想がまったく異なる本だった。
北上次郎さんが47年に渡って記した「新刊めったくたガイド」を一冊の単行本にすべく編集作業をしているのだが、今日は著者名索引ができてきた。それだけで21ページ、1632人の名前がずらり。作品名索引を足したら索引だけで50ページを超えてしまうのではなかろうか。
書店さんに営業に行って、その北上次郎『新刊めったくたガイド大大全』の案内をしていると、書店員さんが予定しているページと値段を見て、「これ、初めの反応(売れ行き)で判断しちゃいけない本だね。すぐ買うお客さんも当然いるだろうけど、この値段だと自分へのご褒美みたいなときに購入されるから、長く積んでおかないとね」と話されるのだった。
こういう視点は日々読者=お客さんと対峙しているから持てるものであって、営業である私には考えにも及ばなかった。たしかに言われてみれば自分も3000円を超えるような本は図書カードをもらったり、何か仕事でひと段落ついた時に購入したりしているのだ。
刊行して3ヶ月くらいの売れ行きだけでなく、もっと長い時間軸、季節やタイミングを考えて販促していかなければならないと肝に銘じる。
もうひとつ、先日、イベントで書店さんに2日間立ってわかったのは、人通りが多いところが決して売上がいいわけではないということだった。
出版社の人間としては、ここに置いてもらいたいと思うような、例えばお店の入り口付近でいつも人がいるようなところが、実はお客さんがまったく足を止めないところだったりする、というのを一日中本屋さんにいて気づいた。
もちろん目につくという視覚的効果はあるかもしれないが、そこはあくまで人「通り」なのだった。
立ち止まらせ、手に取ってもらい、購入していただくというのは、たいへん難しいことだ。
目的買いに対しては出版社もアプローチできるけれど、それ以外の購入を促すのは書店員さんの技術である。
なんて話を書店員さんにしたら、「いや、きっとスーパーやコンビニはもっとしっかり研究してるよ」と謙遜されるだった。
夜は南浦和の居酒屋「ひと声」にて、第一回版元営業浦和会を開催。
浦和と名のつくところに住んでいる版元営業が集う飲み会で、今回は南浦和、東浦和、浦和美園在住者が揃った。浦和制圧のために、浦和、北浦和、西浦和、武蔵浦和、中浦和在住の版元営業を求む。
「ひと声」は殺風景な外観に反して、もつ焼きの大変な人気店であり、カウンターもお座敷もいっぱいだった。「専用のサーバーから直接注ぎ きめ細やかな泡となめらかな味わいが特徴」の「樽詰め生ホッピー」なんてものまであり、とても美味。
出張明けで出社すると、事務の浜田が電話で何やら大声で話していた。
「ええええ、そんなに面白いですか?」
「ええええ、本になんてしませんよ。するわけないじゃないですかっ!」
ずいぶんとひどいいわれようの連載なのだ。そんな連載が「本の雑誌」にあっただろうか。
すると浜田が私に視線を向けた。
「あっ、ちょうど今会社に来たんで、電話変わりますよ。いえいえそんな立派な人間じゃないですから気楽に話してください」
そう言って電話を保留にする。
「杉江さん、炎の営業日誌のファンだという珍しい人からの電話です」
ホテルをチェックアウトしようとすると、窓を叩く土砂降りの雨が降り出す。雨雲レーダーを確認すると京都上空は真っ赤になっていた。どこかしらから雷鳴も聞こえてくる。しばらくロビーで新聞を読んで待機する。
出張の間は昼飯を食べない。集中力が切れるのと時間がもったいないのだった。
だからホテル選びは朝食が豊かなところだ。朝ごはん命なのだ。
京都はこの2月に高野秀行さんと泊まったホテルが、高野さんが20年の付き合いで初めて褒めてくれるほどの立派な朝食だった。そのホテルに今回も泊まったのだが、朝食のビュッフェで湯葉入りの茶碗蒸しをお盆に乗せていると、同様に茶碗蒸しを手にしたお婆さんがひそひそ声で話かけてきたのだ。
「お兄ちゃん、このホテルの朝食すごいよね」
おばあさん、だから私は京都はこの宿と決めているのですよ。
ちなみに出張の夜は、コンビニの弁当を食べるのが楽しみなのだった。外食よりも、ひとり気楽にホテルで開放された気分でつつくコンビニ飯は最高だ。
10時を過ぎて、雨脚が弱くなったので、傘を出して外に出る。今日は書店さんを廻って、午後は京都に完全移住した永江朗さんと新連載の打ち合わせなのだった。
6時にすべてを終えて、新幹線に乗車する。
今回も「生きててよかった」と思える出張だった。
4時に起きて京都のホテルでクラブワールドカップ、インテル・ミラノ戦を観る。自分はアメリカに行けてないので何も言えないが、ドーハの悲劇以来の衝撃を受ける。
「会いにゆける出版社フェス」二日目。
昨日今日とお隣は新興出版社のライツ社さんで、料理研究家リュウジのレシピ本や『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』がベストセラーとなった三宅香帆のデビュー作、そして20万部近く売れた『認知症世界の歩き方』と話題作がずらりとワゴンに並ぶ。売り子の営業も若者が元気よく声を出し、本を手にするお客さんもやたらと多い。
イベントは残酷でもある。目を惹く本がなければ、当然ながらお客さまは足を止めてくれない。お客さまはほとんど出版社名など興味がない。隣のブースには人垣ができているのに、自分のところは誰もいないなんてこともあり得るのだった。
昨日はライツ社の繁盛な様子を見て、若くて元気のある出版社はいいなあと羨ましく思っていたのだ。
朝、負けたとはいえ必死に戦った浦和レッズの選手の姿を思い出し、今日は俺もがんばるぞと気合を入れ直す。
すると午前中から本の雑誌の読者の方がたくさんやってきて、本の雑誌社のブースの前に人垣ができるのだった。なかにはお土産をくださる人までいて、いったいこれはなんなんだろうかと胸が熱くなる。
さらには目黒さんの『青が散る』(宮本輝著)の書評を読んで本を読み出し、その後は冒険小説を読み漁り、30年来本が好きで来れられたのは目黒さんのおかげですと涙を溜めて話すお客様もいらっしゃった。
「読者の人が会社目掛けて来られるなんてすごいですよね」と隣のライツ社の営業の方がぽつりと漏らす。
そうなのだ。それは椎名さんと目黒さんが作った「本の雑誌」という稀有な雑誌のおかげであり、そして50年という長い続けてこられたからこその力なのだった。
反対側の隣で本を売っているのは法蔵館だった。創業400年を超える出版社だ。
朝、7時18分のぞみ297号に乗って(ということは東浦和から5時59分の武蔵野線に乗車し)、大垣書店イオンモールKYOTO店さんで行われる「会いにゆける出版社フェス」に参加する。9時29分に京都駅につき、入館証をもらって店内に入り、ワゴンに本を並べて店頭販売するのだった。
イベントで売り子をしているといつも考えてしまうことがある。
もしここに、私でなく椎名さんや目黒さんが立っていたらと。
あり得ないことなのだけれど、椎名さんや目黒さんが本屋の店頭に立ち、こうしてワゴンに本の雑誌社の本を並べて売っていたらどうなっていただろうか。
それはもう物販のイベントというよりはサイン会になってしまい長蛇の列ができるだろう。売上はダントツの1位で、書店さんもきっと大喜びするはずだ。
しかし、実際に売り場に立っているのは私であって、私が立ったところで行列ができるわけもない。
結局いつものように、「自分は椎名さんになれなかったなあ。目黒さんにもなれなかったなあ」と自己嫌悪に陥るのだけれど、ぼんやり売り場を眺めているとそこには本屋大賞の看板が掲げられて、今年の大賞受賞作である阿部暁子の『カフネ』(講談社)がどんと積まれているのだった。
そうしてふと思ったのだ。僕は本屋大賞を作ったんだよなあと。椎名さんにも目黒さんにも本屋大賞は作れなかったよなあと。
もちろん、知識や教養、経験、人間的な器はまったくかなうわけではない。けれど自分だって少しくらいは何か成し遂げたこともあるだろう。そういえばこんなちび出版社で講談社ノンフィクション賞受賞作を作ったのも僕だけなのだ。
本屋の中心で、自己肯定感を高める。
夕方、中学校時代の友達Hから神宮球場で野球を観るから来ないかと連絡が届く。
明日は出張で朝7時18分発の新幹線に乗らなければならないのだった。ナイターを観に行けば、たとえ9時に試合が終わったとしても、私が家に帰り着くのは10時半を過ぎてしまうだろう。
Hから連絡が来たのは2年ぶりだった。チケットが余っただけかもしれないが、何か話したいことがあるのかもしれなかった。私は毎日朝四時に起きているので、早起きは苦ではなかった。寝不足は新幹線で解消できるかもしれない。
神宮球場に着くとすぐに試合が始まった。「ヤクルトひどいよねえ」と挨拶を交わしていると、いきなりオリックスの宗にツーランホームランを打たれ2点取られた。
私が持ち込んだ紙パックのワインで乾杯し、Hが買ってきたかっぱえびせんをつまむ。
3回裏にヤクルトが追いついて3対3になったところで、Hは東京音頭で掲げたミニチュアのビニール傘をカバンにしまいながら、「オヤジが2月に亡くなったんだ」とつぶやいた。
Hのお父さんとは高校生くらいのときに駅の本屋さんでばったり会ったことがあった。おじさんは頭をかきながら、「明日、採用面接をしなきゃならないんだけど、何を聞いたらいいのかわからないから面接の本を買いにきたんだ」と棚の前で笑っていた。たしか製薬会社に勤めていたと思うのだけれて、自然体で生きてる感じの人だった。
ヤクルトはせっかく追いついたのに直後に小川が満塁のピンチを招き、そこからヒットとホームランで5点取られてしまった。
Hは「つば九郎も同じ頃死んじゃったしさ」とワインを飲み干した。
すんなり負けてくれればいいものの、ヤクルトは8回に追いつき同点とし、あろうことか延長戦に突入してしまった。
10回表にオリックスが2点取ったところで家路についた。
Hは「8月にまた神宮で会おうよ」と手を振った。
午前中、出張の準備。販促用のパネルを作る。
午後、版元営業の大ベテランSさんに話を伺う。
海外にいる高野秀行さんから電話。どうやらまた間違う力を発揮しているらしい。要件はメールが来ていたテレビ局のインタビュー依頼について。
4時に起きてDAZNにてクラブワールドカップ、リーベル・プレート戦を観る。自分はアメリカに行けてないので何も言えない。
先週の続きのスッキリ隊出動で、立石書店の岡島さんと板橋区の向原へ。猛暑の中、大きな段ボールに詰め込まれた本を25箱をトラックに積み込む。全身から汗が吹き出す。
神保町の古書会館で下ろし、会社に戻る。
それほど疲れた気はしていなかったのだけれど、帰路、南浦和駅の階段で躓き、激しく転倒しそうになる。隣を歩いていた女性が腕をとって支えてくれて、どうにか転ばずに済んだ。恥ずかしさが込み上げてくるも命の恩人に頭を下げてお礼を伝えた。
キンマサタカ氏と新連載のリサーチで、北区西ケ原へ。その後、打ち合わせ。
猛暑の中、ふらふらになって帰宅すると注文していたカーナビが届いていた。自分の車はもう15年ほど乗っており、カーナビの地図が古いのは当然のことなのだが、画面をタッチしても反応しなくなってしまっていたのだ。
遠出しない私はそれでもいいのだけれど、この春から車に乗り出した息子はあちこちのサッカーグラウンドを移動しており、ナビがないのは不便というか危険なのだった。そこで後付け用のカーナビを注文していたのだ。
説明書を読むのが苦手なので娘に読んでもらい、取り付け方法のレクチャーを受ける。高い買い物だけれど、息子の安全を考えたら安いものだ。
春日部から出社。今週末は出張で迎えにいけないと母親に伝えることに、私が勝手にナーバスになってしまい、気まずい気分で介護施設に送り出すことになってしまった。いつ今生の別れになるかもしれず、こういう見送りはよくないと深く反省する。
午前中、デスクワークをし、午後は中井の伊野尾書店さんへ。伊野尾さんと諸々打ち合わせをする。
午前中、母親の友達がやってくる。
午後は別の友達が、父の日だからといって私に卵焼きを持ってきてくれる。
朝、週末実家介護のため介護施設に母親を迎えにいく。
昼にすき家の牛丼を食すが、新製品に目移りし自分のみ豚生姜焼き丼というのを購入するも、残念ながら口に合わず。
母親は牛丼を食べるたびに「お父さん好きだったよね」と話す。父が外出ができなくり、私と母親だけで埼スタに見に行くようになってからは、いつも留守番をしている父親のために牛丼を買ってあげていたのだ。父親は並盛りでは飽き足らず、牛皿を足していた。あの頃はまだ元気だった。
午前中、8月号で発表する上半期ベスト10の社内座談会を収録。
午後は『マンションポエム東京論』のサイン本30冊を持って、ジュンク堂書店池袋本店さんに納品にあがる。一冊450グラムとなかなかの重さで、この本の直納の限界は40冊かもしれないと思う。
直行で高野秀行さんのお宅へ。先日、実家のお父さんの蔵書整理をしたのだが、その空いた本棚に今度は高野さんのあふれてしまった蔵書を並べるという玉突き蔵書整理のお手伝い。
床に積まれた本を古本屋さん御用達の"スズラン"と呼ばれる幅広ビニールヒモでくるくると縛っていると、「杉江さん、その縛り方すごい!」とこの秋からNHKで『平成犬バカ編集部』のドラマ化が決まっている高野さんの奥さんの片野ゆかさんが驚き褒め称えてくださる。
この賞賛はいつもスッキリ隊の古書現世の向井さんがひとり締めしていたのである。ついに私もこの時が来たと鼻の穴を多いに広げてみたのだが、版元営業が古本屋さんのように本が縛れたところでまったく意味がないのだった。
約20本ほど本を縛り、レンタカーのROOMYに積み込む。誰が運転するのだろうと思っていたら、高野さんが運転席に座っているのだった。
かれこれ20年以上高野さんと付き合っているが高野さんが車を運転できるとは知らなかった。宮田珠己さんも含めて3人で奄美大島に行った時も確か宮田さんと私が運転し、高野さんはずっと後部座席にいた記憶がある。
聞けばなんと大学一年のときに免許をとり、その後長い間ペーパードライバーとなり、ペーパーが風化しそうになった頃運転を再開、ここ数年は年に一度、家族旅行の際に青森やら北陸などに超長距離運転をしているらしい。
まるで蝉のようなドライバーではないか。
レンタカーなので登録していない私が運転するわけにもいかず、運を天に任せ、全身を硬直させて助手席に乗り込むしかないのだが、私の足は頑なにそれを拒むのだった。
エンジンがかかったことに喜び、またギアを変えることを忘れつつも、現代の車の進歩により車は無事走り出し、あろうことか高速道路も走って(高野さんは運転免許だけでなく、ETCカードも持っていた!)、八王子の実家に滞りなく到着。
迎えに出てきた高野さんのお母さんが、「ええええ?? 秀行が運転してきたの?!」とびっくりしていたことに、私は仰天したのだった。どうやら親にも免許を持っていることをひた隠しにしていたらしい。
お父さんの書斎に本を運びこむ。そこは壁一面本棚になっており、しかもお父さんが使っていた重厚な机も備わっているのだ。窓からは心地よい風が吹き込み、緑豊かな丘陵が一望にできる。
まさに文豪の部屋。
ここで缶詰になれば毎年3冊くらいソマリランド級の書き下ろし大作が生み出されるのではなかろうかと思ったが、本を運び終えると高野さんはなぜか庭先にこれも車に積んで運んできたSUP(空気をいれて膨らますカヌー)を置き、「これで老人ひとりが住んでると思われないでしょう」とご満悦の様子なのだった。
防犯対策をするにしても他にいくらでも方法があるだろうと、その「間違う力」にツッコミを入れようと思ったが、高野さんのお母さんは「あははは」と笑って喜んでおり、高野家の親孝行は私の常識の外にあるようだった。
とにかく私は今日無事に帰れればいいわけで、カゲロウのような高野さんの運転に身体と運命を任せ、帰路についた。
雨降る中、8時に出社。DM作成の続き。どうにか11時前に終える。
11時に大山顕さんが来社。できたばかりの『マンションポエム東京論』150冊にサインをしていただく。
13時に終了。すぐに市ヶ谷の地方小出版流通センターさんへ見本と短冊を持って訪問。その後、営業。
『マンションポエム東京論』の見本ができあがってきたので、初回注文の〆作業に勤しむ。
今回の〆から昨秋頓挫した日販のBookEntry事前申込サービスが再開されたのだけれど、よくよく考えてみれば本の雑誌社は指定注文のみの配本なので、ほとんど関係ないことであった。ただし、計算数の確認やら書店申込数の確認など搬入までに行う手間は増えており、1ヶ月に何冊も新刊を出す出版社の人は面倒がかなり増えたのではなかろうか。
無事データをアップロードしたところに、事務の浜田から昨日の直納した書籍が間違っていたので再納品に行って欲しいと言われる。
いやはや二度手間と思いつつも、「ミスこそチャンスなり」の鉄則に従い、書店さんに向かう。「謝る」というのは最大のコミニケーションなのだ。
夜、高校からの親友であるシモザワくんと浅草橋の西口やきとんで酒。カシラ、レバー、つくねの串を頬張りながら、出会って39年の月日を振り返りつつバカ話に花を咲かせる。
ゴミ出し前に梅の木を剪定し、一緒に捨てる。どこを切っていいのかわからずネットで検索すると、「桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」という諺を知る。庭に木があるということはそれだけでこんな面倒ごとを産むのであった。
母親を介護施設に送り出し、春日部から出社。
1時半から点検のためエレベーターが止まると告知されており、それまでに定期購読者様分の「本の雑誌」7月号が届くかひやひや見守っていると、12時45分に到着。助っ人アルバイトの鈴木くんと封入作業に勤しむ。
今号の特集は、「メニューを読書する!」で、構想5年、編集部に無視され続けた企画がやっと実現し、うれしいかぎり。
3時過ぎにツメツメ作業終了し、その間にとある書籍を注文いただいた書店さんに本を届けにあがる。
一昨年死んだ父親は驚くほど几帳面だった。旅行に行く1週間前には準備をし、旅行カバンは3日前から玄関に置いていた。家や自転車や車の鍵をかけるフックは等間隔で壁に打ち付け、仕事を終えて帰ってきた際には財布や腕時計を並べる場所も寸分違わず決まっていた。
母親の介護で週末実家で暮らしていると、父親の几帳面の痕跡をそこかしこで見つけることになる。
家事というものはやらなければずっとそこにあるわけで、すっかり気温の上がった今日、重い腰を上げて納戸から扇風機を出し、その代わりに石油ストーブを片すことにした。
まず扇風機を箱から出す。その箱は買ったままのぴかぴかの状態で、中に入っている緩衝材の発泡スチロールやビニール袋もそのまんまである。あまりにきちんとしているので片付けることに悩まぬよう写メしたのだった。
扇風機を出し終え、今度は石油ストーブの箱を納戸から取り出す。
そこには父親の字で、「灯油注意」と記されたメモ書きが貼られており、いったいなんのこっちゃと思いながら、石油ストーブを箱にしまった。
納戸の棚に収めるため、石油ストーブの箱を持ち上げる。いくらか灯油が残っていたので、意外と重い。両手でバーベルを上げるように持ち上げたとき、なぜか私の頭に汗が噴き出した。「今日は暑いから...」と汗を拭ったところ、鼻を曲げるほど灯油の匂いが襲ってきた。どうやらこのストーブは少しでも傾けると灯油が勢いよく漏れてくるのだ。
だから、「灯油注意」なのか!
慌てて風呂場に駆け込み、シャワーを浴びる。それでも灯油の匂いはなかなか消えない。
父親の唯一残した遺言が、「灯油注意」って...。
しかし「灯油注意」とわざわざ書いたということは、あの几帳面な父親も頭から灯油を浴びたということだ。
シャワーを浴びながら私は腹を抱えて笑った。
そして泣いた。
週末介護で実家に向かい、借りている駐車場に車を停めたら、駐車場に隣接したお宅の庭を整理していた植木職人さんが声をかけてきた。
「浦和レッズのサポーターなんですか?」
私の車に貼ってある浦和レッズのステッカーが目についたらしい。
ここは春日部とはいえ埼玉なので、いきなり他クラブのサポーターがタイマンを申し込んでくることもないだろうと、素直に「そうです」と答えた。
するとその植木職人さんは、自分も浦和レッズサポーターだとうれしそうに話を続けた。
植木職人「シーチケ買って応援に行ってるんですよ」
私「そうなんですね。僕もシーチケです」
植木職人「どこで観てるんですか?」
私「ゴール裏です」
植木職人「北ですか、南ですか?」
私「北です」
植木職人「じゃあ一緒ですね。埼スタで会ってるかも」
私「そうですね。僕は208ゲートの辺りでいつも応援してます。
植木職人「208っていうと右の方ですね。僕は210と211のあたりでやってます」
私「おお、それは熱いっすね」
植木職人「クラブワールドカップも行きたかったんですけど、さすがに費用がかかりすぎで」
私「そうそう、100万円くらいかかりますもんね。とても行けないです」
植木職人「だからこの間埼スタで送り出ししてきました」
私「僕もいきました」
植木職人「前から5列目くらいでやってました」
私「リーグ取れるように頑張りましょうね!」
一見サポーター同士の和やかな会話に見えるけれど、実はわかる人にはわかるマウティングの取り合いの勝負が繰り広げられているのだった。
まさかの連日のスッキリ隊出動となる。本日は板橋区のお宅へ参上。1500冊と伺っていたのだが、昭和11年建築の立派な母屋に約2500冊+段ボール15箱、ご自宅に約1000冊とたいへんなボリュームで、一度では無理なので、本日は母屋の2500冊を縛って運び出す。
岡崎武士さんも本の雑誌連載の「古本屋になる!」の取材ということで、何本か本を運んでもらうがしばらくすると公園のベンチに座り肩で息をしている。古本屋開業には、どなたか若い相棒が必要なのではなかろうか。
2時に運び出しを終えて、安楽亭で昼食。夕方、神保町の古書会館に搬入。本日もカーゴ積みまで任され、私のほうが古本屋になれるかも。
9時半。江古田で立石書店の岡島さんの運転するバンに乗り込み、高野秀行さんのお父さんの蔵書整理のため八王子に向かう。途中、渋滞などもあって2時間ほどで到着。すぐに別ルートに浜本と古書現世の向井さんもやってきて、まずはこの春お亡くなりになった高野さんのお父さんにお線香をあげる。
お父さんの蔵書はスライド本棚3本に収まっており、その大半は研究していたギリシア神話に関するもの。早速、岡島さんと向井さんが縛りはじめ、高野さんと浜本、そして私が運び出す。丘陵の上に建つ高野さんのご実家は風の通り道になっているようで、心地よい風が吹き抜ける。
約1時間で作業終了。バンいっぱいの蔵書をお預かりして、神保町の古書会館へ舞い戻る。途中、ドキュメント72時間の撮影でつかわれた南京亭で昼食。帰りは大変道路が空いており、あっという間に古書会館に到着。2台のカーゴに本を積んで、岡島さんが古書会館に運び入れる。私は出社。
夜、6時より社内でキンマサタカ氏主催のたこ焼きパーティ。10人ほど集まり、たこ焼きを肴に9時まで酒を飲む。
午前中、とある文学賞の候補作を決めるため社内で選考会議をする。本の話はやはり楽しい。
午後、テレビ局の人たちとオンラインの打ち合わせ。慣れないことなので緊張する。
午前中、母親の友達がロールキャベツを持ってやってくる。晩御飯の用意が不要となり大変ありがたい。
その友達帰った後、車椅子を押して、父親の墓参りと散歩。
昼過ぎに妻が来てくれ、見守りを交代。私はクラブワールドカップ出場前、最後の試合となる横浜FC戦を観戦するためママチャリを漕いで埼スタへ。
この試合を終えると試合はナイターとなり、夜の試合は介護があるため参戦できず、なのでまた秋になって日中開催されるまで、土日の観戦はお預けになるのだった。
不自由である。大変不自由である。しかし、仕方なし。
全身全霊を傾けて、応援する。
2対1の逆転勝利。埼スタより、クラブワールドカップに送り出す。
雨降る中、3週間ぶりに母親を介護施設に迎えにいく。特に不平不満を吐き出すこともなく、自分がどれだけ預けられていたのか気づいていない様子で、うれしそうに車に乗る。
終日、母親を見守りながら読書する。
いつだか版元の飲み会で、年に数回無性に寂しくなる時があって、そういう時はプリンセスプリンセスの『M』と森高千里の『渡良瀬橋』聞くんですよと言ったら、目の前でビールを飲んでいた女性ふたりが吹き出す勢いで、「あれ、ファンタジーです。絶対昔の彼氏なんて覚えてないから」と爆笑されたのだったが、金子玲介『流星と吐き気』(講談社)は、まさしく別れた相手がいつまでも自分を想っているというキモい勘違いを打ち砕く、最恐の恋愛小説で面白すぎた。
金子玲介、やっぱり天才なのだ。『死んだ山田と教室』『死んだ石井の大群』『死んだ木村を上演』の〈死んだ〉シリーズだけでなく、デビューから4作すべて傑作というのは凄過ぎる。しかもほぼ一年でこれらの本が刊行されており、すべて物語のスタイルが違うのだ。今回は初の連作短編となっている(その連作短編の中でも書き方を変えている!)。
新作がでたら必ず読む作家、そして期待を裏切らないどころが超えてくる作家。それが金子玲介だ。
久しぶりに何もなく、ゆっくり落ち着いて深呼吸できるような日。心置きなく営業にでかける。
帰りにコーヒー豆を買って帰る。10年くらい前から、朝一杯のコーヒーは少しだけ贅沢しようと成城石井のプレミアムマイルドブレンドというのを買って飲んでいたのだが、私が買い出した頃は確か1000円ちょっとだったものが、今では2500円以上もするのであった。
これでは少しだけ贅沢を超えてとんでもない贅沢になってしまうので安いコーヒー豆に変えたのだけれど、そのことを書店員さんに話したところ、その方もコーヒー豆の値上がりに頭を抱え、しかし質を下げるのは難しく、飲む回数を減らしたというのであった。
なるほど毎朝飲んでいたコーヒーを週3回にするという防衛策はあるのだ。そういえばわが家も米の高騰を受け、週に一度晩ごはんが麺類になったりしているのだった。
しかし、何も値上がりしているのはコーヒーやお米だけでなく、われらが本や雑誌もどんどん値段が上がっているのだった。
そうなればコーヒーを飲む回数を減らしたように、本を買う冊数を減らすというのは当然起こる選択だろう。3冊が2冊、2冊が1冊、1冊が0冊。気づけば無料のコンテンツに心移りされていたりするのではなかろうか。
夜、埼玉スタジアムへ。
後半60分過ぎからセレッソ大阪に攻められっぱなしで、大変印象の悪い引き分け。
試合終了のホイッスルとともに、まるで上司が帰った残業タイムのごとく、一斉に人が帰宅していく。
代休。
古書現世の向井さんの買取のお手伝い。小平にて約1500冊の本を引き取る。エレベーターなしの建物のため、3階から階段を使って本を下ろす。しかし本日はなぜかイラストレーターの信濃八太郎さんが手伝いに来ており、二人で荷運びするので苦労は半分なのだった。
早稲田で本を下ろしたのち3人で昼酒。こういう酒が一番美味い。