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9月29日(月)キャブレターにひとしずく

会社を休み、改めて入院の手続きのため病院に向かう。母親の容態もそうなのだが、いつの間にか担当が変わっており、一度も会っておらず連絡すらとれないケアマネジャーのことを考え、鬱々とした気持ちで車を走らせていると、ラジオから流れてきた曲に魂を鷲掴みにされ、一気に気持ちが奮い立つ。

なーんかちっちぇな
なーんかちっちぇな
はみだしながら
はみだしながら
ぶっ壊れても知らないぜ

それは、ザ・クロマニヨンズの「キャブレターにひとしずく」という新曲だった。

月曜日だからかたいそう混み合う病院で、30分ほど待って入院の手続きを終え、その後病院にいるソーシャルワーカーにケアマネジャーの件を相談する。

帰路、我が教会でもある埼玉スタジアムに立ち寄り、ぼんやり聖地を眺める。

午後、病院から電話がかかってくる。母親は熱も下がり、食欲もあり、とっても元気だという。これから介護施設と連絡をとり、退院の日取りを決めるそう。ひと安心。

9月28日(日)スーパーマルサン

午前中、誰もいない実家に行き、歯ブラシやコップ、割り箸など母親の入院の荷物を作る。1時を待って病院に行き、ナースステーションに荷物を預ける。母の様子はわからず。

日曜日ということでたくさんの人が面会に来ており、当たり前のことだけれど、家族に病人を抱えているのは私だけではないのだとほっとする。

来週の京都出張で大変お世話になる予定の140Bの青木さんに現状の連絡を入れると、「何かあったら車で埼玉まで送るから安心して京都に来てください」と返事があった。

帰り道、気分転換がてらテレビでも有名な激安スーパー「スーパーマルサン」に行ってみると、妻が発狂するほど安く、品数も豊富。これからの週末実家介護の楽しみがひとつ増える。

9月27日(土)起きていないことは考えない

週末介護で実家に向かって車を走らせていると、電話が鳴った。それは介護施設からで、施設でコロナが発生し、わが母親も今朝から熱が出ているというのだった。

脳梗塞のリハビリ病院から退院し、介護施設と実家での暮らしを始めて一年八カ月。これが初めての体調不良で気が動転しまう。何をしたらよいのかよくわからず頭の中がぐるぐるする。

深呼吸をして考える。とりあえず母親を迎えに行き、お医者さんの診察を受けねばならぬ。

毎月往診をお願いしているかかりつけ医に電話すると、午後にコロナの検査キットを持って受診しにきてくれるという。ひとまず安心して、介護施設へ向かう。すると防護服のようなものをきた施設の人たちが部屋中を消毒しているところだった。

いつもより弱々しく見える母親を車に乗せようとするも足腰に力が入らぬようで、両手でしっかり支えて車椅子から後部座席に身体を移す。

母親を自宅のベッドに横にし、妻に見守ってもらっている間に買い物にいく。体温計、アイスノン、それからしばらくの食糧。体調に問題ないときはお惣菜でも冷凍食品でも適当に買い物カゴに入れていたのだけれど、病人となるとなにを買っていいのかさっぱりわからない。消化にいいもの? うどんか?と冷凍うどんなどを買い込む。

車のエンジンをかけて、しばらくクーラーの中でぼんやりする。

こういう時は自分の中に高野秀行さんを召喚するにかぎる。

高野さんはトラブルが起きると一気に頭が動きだす。そしてなんでも頼れるものに頼ってピンチをチャンスにする。困難を楽しむ。あるいはどこかネタのようにとらえる。それは作家だからかもしれないけれど、客観的に自分を俯瞰して見ているように思える。

かつて高野さんに言われたことを思い出す。

「起きていないことは考えない」

それは私が先回りしていろいろなことを心配し、ストレスを感じでいた時に言われた言葉だ。

現に今も、もしこのまま母親が寝込んで自分が終日面倒を見ざる得なくなった場合、再来週の京都出張をどうしたら良いのか、その後に続く神保町ブックフェスティバルや伊野尾書店さんのイベント、奈良の啓林堂書店さんも対談もどうなるのかと最悪の事態を想定して頭を抱えているのだった。

そのどれもが、今、起きていないことなのだ。それは実際に起きてから考えればいいのだ。

「起きていないことは考えない」

結局、母親はやはりコロナで、若干肺炎を冒しているということで、入院した。

9月26日(金)木野寿彦『降りる人』

  • 降りる人
  • 『降りる人』
    木野 寿彦
    KADOKAWA
    2,090円(税込)
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    HMV&BOOKS

『降りる人』というタイトルと、「悲しみを抱いた期間工の日常と秘密」という帯のコピーに惹かれ読み出した第16回小説野性時代新人賞受賞作がとてもよかった。

地方の工場と住み込みのアパートをバスで往復する単調な日々が描かれているのだけれど、その内側にある静かな叫びが、静かだからこそとても胸に伝わってくるのだった。

それはまるで映画「パーフェクトデイズ」か令和日本のトレインスポッティングのよう。労働小説であり、友情小説であり、恋愛小説であり、そしてなにより青春小説だ。すべてがパッとしないけれども、それこそが私たちの人生だろう。

帯の裏面の端っこに担当編集者による「この小説に救われる人が、必ずいる。そう強く思えた作品です。」という言葉が記されているのだけれど、これもまた思わずこらえきれずこぼれて落ちてしまったようなささやかな叫びで、それもまたこの作品をとてもよく表している。

こんなに素晴らしい作品と木野寿彦という作家を世に送り出してくれてありがとうと角川書店と小説野性時代新人賞に感謝したくなる。私がもし文芸(小説)の編集者ならすぐさま原稿依頼するだろう。

9月25日(木)後ろ姿

  • めくれる!しかけ図鑑絵本 にんげんのからだ
  • 『めくれる!しかけ図鑑絵本 にんげんのからだ』
    ジョエル・ジョリヴェ,稲葉俊郎
    アノニマ・スタジオ
    4,950円(税込)
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追加注文いただいた『鉄道書の本棚』を持って、丸善丸の内本店さんに直納に伺う。

納品を終え、売り場で本を見ていると「万引きはダメですよ!」と声をかけられる。振り返るとブックマーケットでお世話になっているアノニマスタジオの安西さんだった。

カバンには『めくれる!しかけ図鑑絵本にんげんのからだ』という大型の絵本が入っており、児童祖コーナーのみならず、医学書売り場にも案内しているようだった。

ブックマーケットでしかお会いする機会がないけれど、安西さんも日々こうして売り場を歩き、本を案内しているのだ。売り場に向かうその後ろ姿を目に焼き付ける。

9月24日(水)本浴

代休をとって、古書現世の向井さんの買取のお手伝いに行く。

腰がくの字に曲がっても「本欲」が捨てられず、結局ほとんど整理することができず、われわれの目の前で奥様と喧嘩する姿を見て、鬱々となる。

古本屋さんは大変だ。

9月23日(火・祝)お彼岸

昼寝をしていたら枕元に置いてあった携帯がブルブル震えた。手を伸ばすと切れてしまい、着信履歴を確かめたらとある出版社の人だった。

祝日にいったいなんだろう? なにかその出版社の本を「本の雑誌」か「WEB本の雑誌」で紹介しただろうか? 帯か販促物の確認だろうと思いつつ、折り返しの電話をかける。

「あっ、杉江さん? 仕事?」
「いや、今日は...」
「じゃあ酒飲んでた?」

この人には仕事か酒しかないのかと思わず笑ってしまう。

「あのさ、イのなんだっけ?」
「えっ?」
「お墓、お墓」

お墓? あっ、目黒さんのお墓のことか。たいていの人が目黒さんのお墓参りにいくとどこだか迷い、私に電話してくるのだった。

なぜ私に電話してくるのかといえば、私が目黒さんのお別れ会で司会進行をし、その最後に想い溢れて嗚咽しながら、「ぜひお墓参りに行ってあげてください」と言ったからだった。

「イの3です。イの3の左側の7つめに、新しく本の形に彫られたお墓がありますので」
「イってどこだろう? 案内板見てもわからないんだよ」

詳しく聞けばその人が居るのは慈眼寺ではなく、お隣の染井霊園だった。

慈眼寺の場所を説明していると、電話の背後から「あっ、ここじゃないの? あっ、あっち」という女性の声が聞こえてくる。

その瞬間、寝ぼけていた私の頭が一気に動き出し、涙が止まらなくなった。

その出版社の人の奥さんは、とある有名な作家だったのだ。目黒さんのお別れ会を終えた時、ふたりは肩を並べて私のところにきて、目黒さんにたくさんの書評でお世話になったことを語っていたのだった。

電話を切って、ベッドから起き上がる。そういえばその作家が6年ぶりに出す長編のプルーフが、会社に送られてきていたのだ。

今頃きっと目黒さんは、夢中になって新作を読んでいることだろう。

9月22日(月)パブリッシャーズ・ウィークリー

午後、『本を売る技術』の矢部潤子さんと池袋の「コメダ」で「みんなの本屋講座」の打ち合わせ。

夜、東京駅に移動し、新丸ビルの「中国菜厨 エスサワダ」にて、同じく本屋大賞実行委員の高頭さんとともにパブリッシャーズ・ウィークリーの取材を受ける。海外からの取材は初めてのことで、しかも2ヶ月ほど滞在して日本の出版社や取次、そして作家を徹底的に取材している記者はポーランド系ドイツ人、現在ロンドン在住とのことで、すべて英語での質問で激しく緊張する。

本の雑誌社の前は外資系出版社に勤めていた私であるが、一切英語は話せない。もちろんヒアリングもできない。だから海外からの電話も多かった前勤務時代には、机に「ジャスト・モーメント・プリーズ」と張り出し、私以外ほぼみな英語ができる先輩たちから大笑いされていたのだった。

なので、間を取り持っていただいたH書房のY氏に通訳を頼み、鋭い質問に高頭さんと答えていく。

もしかするとこれを機会に世界中に本屋大賞ができるかもしれませんよと言われる。

9月21日(日)石川直樹『最後の山』

  • 最後の山
  • 『最後の山』
    石川 直樹
    新潮社
    2,420円(税込)
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  • 空へ―「悪夢のエヴェレスト」1996年5月10日 (ヤマケイ文庫)
  • 『空へ―「悪夢のエヴェレスト」1996年5月10日 (ヤマケイ文庫)』
    ジョン・クラカワー,海津正彦
    山と渓谷社
    1,430円(税込)
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週末実家介護をしながら石川直樹『最後の山』(新潮社)を読み終える。

山の絵が空押しされた美しい装丁に惹かれて購入した本だが、この本は旅のカバンの中や旅先の宿の本棚でボロボロになって初めて真の姿となる本だと思った。

写真家の石川直樹は旅の延長で山登りをしているうちに8000メートル峰14座を登頂していたのだ。まずその事実に驚いた。

さらに14座登頂の日本人といえば竹内洋岳(『標高8000メートルを生き抜く 登山の哲学』NHK出版新書)と思ったら、その後「真の山頂」論争があり、竹内氏をはじめ多くの8000メートル峰14座登頂者が「真の山頂」には立っていないことが判明していることに二度びっくり。さらにさらに現在では1シーズンにいくつもの8000メートル峰を登り、シェルパの人たちが仕事を超えて登山に目覚め数々の記録を塗り替えているなどといった高地登山の様相にもっとびっくりする。

かつてジョン・クラカワーの名著『空へ』(ヤマケイ文庫)がエベレスト登山の現状を描き、山岳素人である私たちに現実を知らしめてくれたけれど、『最後の山』もそれに匹敵する面白さだ。

どんなに安全になったとしても8000メートル峰14座を簡単に登れるわけではない。やはりそこには死の口が開かれている。行間から生と死が、自然への畏怖が、そしてたくさんの人々やその土地への愛情が伝わってくる。『最後の山』は、これから何十年も読み継がれる本になるだろう。

9月20日(土)お供え

週末実家介護のため母親を介護施設に迎えにいく。

今日は5万9千枚完売の鹿島戦で、妻からは自分が留守番しているから行って来なよと言われたのだが、1週間熟考してチケットを息子の友達に譲ったのだった。

昼の試合ならいい。夜の試合はやはり妻の負担が大きくなりすぎる。家族や夫婦なら甘えていいというのは一番の間違いで、身近な間柄こそ気を遣わなければならないのだ。そしてそんなことを気にしながらスタジアムに行っても100%戦えるわけでなく、そんな人間はゴール裏に必要ないのだった。

午後、母親の親友が手作りのおはぎを持ってやってくる。

去年は早速食べようとして、「お供えが先よ!」とおばさんに怒られたのだった。

忘れずに父親の仏壇にお供えする。

9月19日(金)暑さ寒さも彼岸まで

一夜明けたら突然秋になった。大変涼しくやっと人の住める世界が戻ってきた。来年のために記しておこう。暑さは9月19日まで。まさしく「暑さ寒さも彼岸まで」だ。

朝、コーヒーを飲みながら朝日新聞を読んでいたら、「日産の行方 中」と題した記事が大変興味深い。

日産はゴーン時代に、開発、企画、収益管理の三者にわけ、それぞれが主張をぶつけ徹底的に議論する仕組みにしたそう。

当初は成功したが、「徐々に収益管理の責任者が強くなりすぎ」ていく。

「三権のうち収益管理の責任者の力が強くなったことで、「一定の収益が確保できないと自身の責任になるので、販売しない方がマシ」という判断が増えていった。日産関係者はそう証言する。」

「もうかる車だけを売る──。合理的な経営判断のようにも見えるが、中西は「もうけることに偏り過ぎ、お客が喜ぶ車を作ることがおろそかになっている」と指摘する。」

9月18日(木)楽しい

  • 69 sixty nine (文春文庫 む 11-4)
  • 『69 sixty nine (文春文庫 む 11-4)』
    村上 龍
    文藝春秋
    660円(税込)
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相変わらずの暑さの中、9時半に出社。

すぐに昨日届き画面上で読んでいた単行本用の原稿を刷り出し、改めて紙の上で読む。胸を打つ文章の数々。よくぞこの文章が今まで本にならずに残っていてくれたとまるで宝物を掘り出したかの気分に浸る。

11時来客。本の雑誌スッキリ隊の事業展開について聞きたいという。スッキリ隊が事業だったのか!?とこちらが驚く。スッキリ隊はたくさんの本と読者に会えるのが楽しいからやっているだけなのだ。

12時に入れ替わるようにしてブックジャーナリストの内田剛さんがやってくる。先週より密やかにはじめたPodcast「POP王の愛と自由と平和な本語り」の第2回を収録。内田さんと本の話をするのはとても楽しい。これも楽しいからやるのだ。

午後会社を出、めんめんかめぞうで新博多ラーメンを食した後、水道橋から総武線に揺られ三鷹へ。デザイナーの松本さんとお願いしている書籍2点の本文レイアウトの確認。画面上で横組で読んでいた原稿が、その文章や内容にあったフォントや行間、上下左右の余白で組版された紙面を見るこの瞬間がなにより楽しい。

すっかり長話となり、帰路の電車の中で高野秀行さんからLINEが届く。11月の文学フリマで売り出すZINEの原稿が書けたとのこと。メールを確認すると、原稿用紙120枚分のテキストが届いていた。

早速スマホ上の小さな画面で読み出す。夢中になってあやうく電車を乗り過ごしそうになりながら一気に読了。高野さんの創作の舞台裏を覗いているようなおもしろさに、〈バックステージ〉シリーズと勝手に名付ける。すぐに感想を送ると、高野さんから折り返し電話がかかってくる。しばし原稿談義。これもまたすこぶる楽しい。

18歳の夏、私は村上龍の『69』のあとがきを人生の指針にした。そこには「楽しんで生きないのは、罪なことだ。」と書かれていた。

9月17日(水)首タオル

9時に出社。今日は終日集中し、積み重なっているデスクワークに取り組むと決める。

まずは神戸市がはじめた「みんなの本屋講座」というもので講演する矢部潤子さんのレジメ作り。これまで矢部さんとはあちこちで講演してきたけれど、それは現役の書店員さんや出版社の人が相手であった。しかし今度の受講者はこれから本屋を開けようという人が多数のようで、そうなると語るべき内容が変わってくるため、一から練り直す。昼までに作り終え、矢部さんに確認してもらう。

ふらふらと昼食に出かけると白山通りを青土社のエノ氏がやってくる。エノ氏もランチ難民らしく、一緒に蕎麦屋に入り、よもやま話。エノ氏は日本出版学会というのに所属し、出版フィールドワークプロジェクトというのを立ち上げ、自慢話でない、ささやかな、それでいて残すべき出版の話をインタビューして歩いているのだった。素晴らしい試み。

午後は伊野尾書店の伊野尾さんから単行本用に書き下ろしていただいた原稿を改めて読む。

ハンコ屋さんに注文していたハンコを取りに行った事務の浜田が、「浜田さんが首にタオル巻いてるとなんだかおしゃれに見えますね!と褒められた」とまるで中尾彬かのように喜んで帰ってくる。

6月からずっと首にタオルを巻いている浜田は、以前首にタオルを巻いて出かける目黒さんに、「首にタオルを巻いたまま甲州街道を渡らないでください!」と叱っていたのだ。

その浜田が今、首にタオルを巻いたまますずらん通りを闊歩し、靖国通りや白山通りも堂々と渡っている。

もしかすると目黒さんも笹塚のファーストキッチンの人から、「目黒さんが首にタオルを巻いているとなんだかおしゃれに見えますね」と言われていたのかもしれない。

9月16日(火)NEWoMan

ランニングしながら往来堂書店のPodcastの素粒社さんの回を聴いていると、「やっと涼しくなってきてお客さんがお店に戻ってきた」という話がで、足を止めて配信された日を確認すると2024年の9月29日だった。ということはまだ2週間近く暑い日を過ごさないとならないのだろうか。

午前中、新刊のページを作ったりとデスクワークに勤しむ。

午後は『マンションポエム東京論』の追加注文をいただいた紀伊國屋書店新宿本店さんに直納に伺う。

その足で、高輪ゲートウェイ駅に移動し、駅の目の前にオープンした商業施設NEWoManに入る「文喫」を覗きにいく。

文喫といえば「入場料のある本屋」がコンセプトだったと思うのだけれど、ここNEWoManのお店は普通の本屋で、一部がTSUTAYAの「SHARE LOUNGE」のようになっているのだった。なので営業のみなも安心して訪問するといい。

お店を見渡すと児童書コーナーが大人気。ベビーカーに子供を乗せたお母さんの姿が店内や休憩スペースに多く、既視感があるなと思ったら我が街のイオンだった。都心にありながらなんだか不思議な光景。

東京創元社の営業Mさんの姿を見かけたので、「最近は円筒形の棚が流行っているんですかねえ」などと話す。

9月15日(月・祝)ホームセンター

  • 過疎ビジネス (集英社新書)
  • 『過疎ビジネス (集英社新書)』
    横山 勲
    集英社
    1,100円(税込)
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    HMV&BOOKS

カインズにフライパンとやかんを買いに行く。日頃週末は介護にあたるため、こうした祝日以外買い出しにいけないのだった。

あまりに広すぎる店内、しかも商品がありすぎて、ホームセンター慣れしていない私には何を買っていいのかわからない。実家用に買い求めたいトイレの洗剤だけでも相当種類があるのだ。嗚呼、ふだん本を読まない人は大型書店にいったらこういう気分に陥るのか。

横山勲『過疎ビジネス』(集英社新書)読了する。これぞ新聞記者の仕事。あっぱれ。

9月14日(日)伏尾美紀『百年の時効』

  • 百年の時効
  • 『百年の時効』
    伏尾 美紀
    幻冬舎
    2,310円(税込)
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    HMV&BOOKS

読み終えた今、物語酔いにふらついている。すごい物語だった。550ページ、まったく途中で本を置くことなく、食事のときも、その食事を作っているときも、お風呂もトイレも本を手にしながらだった。

伏尾美紀『百年の時効』(幻冬舎)は、骨太で、壮大で、人間の苦しみ哀しみ、そして執念...すべてが詰まった物語だ。

昭和49年、春の嵐の夜、東京の佃島でとある一家が日本刀で虐殺される事件が起きた。その事件は主犯がひとり逮捕されるも犯行現場から推測される共犯者は見つからぬまま時は令和を迎えていた。

昭和、平成、令和と事件に司る3人の刑事が、まさしく「警官の血」で、時効が止まっている事件を追い続ける。単なる犯人探しや謎解きを超え、物語が広げる風呂敷の風圧に吹き飛ばされる放心の小説だ。

今日が休みでよかった。もし休みでなかったとしても休みをとって読んでいたことだろう。

9月13日(土)お茶丸ブックマーケット

何度も何度も天気を確認しても雨が降ると予想されており、すっかり中止かと思っていたお茶丸ブックマーケットだったが、確認するたびに雨雲がどんどんずれていき、結局時折ぱらつく雨はシートで凌ぎ、5時過ぎまで丸善お茶の水店前広場で30社の版元と本を売ることができた。

良いイベントとはなにかといえば主催者が楽しんでいることだ。この日も丸善の方々が大きな声で呼び込みをし、新たなイベントとして出版社が本の宣伝をする辻説法のコーナーも設けられ、さらにイカロス出版のMさんがギター片手に「Sweet Memories」を熱唱するという盛り上がりだった。3年目にしてマンネリになるどころか、イベント力がパワーアップしているのはなかなかないことである。

おかげで、本の雑誌社ブースにもたくさんの読者の人が来てくださり、楽しい一日となる。こういう場を設けてくださる人たちに深く感謝。

中井の伊野尾書店さんが来年3月いっぱいでお店を閉めることが、SNSで発表される。

9月12日(金)書窓展

昼前、古書会館で開かれていた「書窓展」を覗いてきた北原尚彦さんが来社。太ももの肉離れで起き上がることもできず、蔵書整理も体力のあるうちだと気づいたと語りながらも回復されればこうして古本を買い求めてきているわけで、古本者の業というものを思い知る。

北原さんが帰った後は、大阪より見本出しにやってきた140Bの青木さんが来社され、昼飯を食べながら秋以降の京都・大阪出張の予定を立てる。関西に行くとほとんど青木さんにアテンドしてもらっており、この秋は、京都、奈良、大阪と出張の予定なのだった。

午後、私も「書窓展」を覗き、田中二郎『砂漠の狩人 人類始源を求めて』(中公新書)、酒井敦『沖縄の海人』(晶文社)、児玉隆也『一銭五厘たちの横丁』(晶文社)を書い求む。

この夏、ちくま文庫で読んで感動した『一銭五厘〜』の単行本を見つけられてうれしい。

9月11日(木)なんだよ武蔵野線

東京周辺が激しいゲリラ豪雨に見舞われ、東海道線や池上線などが運転見合わせ、ほとんどの列車が遅延となっているなか、いつもはいっとう最初に運休になる武蔵野線が誇らしげに「平常運転」の文字を掲げていた。

その言葉を頼りに帰宅の途につくと、京浜東北線が遅れに遅れており、やっと動いては前の電車が詰まっているとかで、通常30分もあれば乗り換えの南浦和に着くものが、1時間経ってもその手前の蕨駅に停まったままなのだった。

しかもその蕨駅から動き出したと思ったら、いきなりの急停車でいったい何が起きているのだと思っていると、やっと辿り着いた南浦和駅で「武蔵野線がさきほど武蔵浦和駅で起こった人身事故の影響で運転見合わせとなっております」と車内放送が流れる。

それは武蔵野線さえ動いていれば大丈夫と希望に胸膨らませて帰っていた私を絶望に追いやるアナウンスであった。

仕方なくそのまま浦和駅まで京浜東北線を乗り続け、歩いて帰ることを覚悟したものの運よくやってきたバスに乗車して帰宅。結局会社を出てから2時間半近くたって家の玄関を開けることとなり、疲労困憊で就寝。

9月10日(水)インバウンド需要

朝ランし、滝のような汗をシャワーで流してから出社。今日も相変わらずの暑さ。

午前中、某所より依頼されたムックの編集案を某編集チームと練る。企画が通れば相当面白いものができあがると思うけれど、作るのはかなり苦労するだろう。

午後、銀座の教文館さんへフェア用に頼まれた本を届けにいく。

T店長さんから伺ったインバウンドのお客様が購入する本の話がたいへん興味深く、お店を出てすぐメモしてしまった。まさかそんなところにインバウンド需要があったとは。刺激溢れる情報はやはり売り場にあるのだ。

本を買って帰る。

西村亨『自分以外全員他人』(ちくま文庫)
町健次郎『奄美妖怪考』(笠間書院)
中村きい子『女と刀』(ちくま文庫)
斎藤たま『死ともののけ』(角川ソフィア文庫)
横山勲『過疎ビジネス』(集英社新書)

9月9日(火)声

昨日よりいくらか気温が下がったものの湿度ムンムンで蒸し暑い。いつになったら体に負担を感じない日がやってくるのだろうか。

9月の新刊『鉄道書の本棚』の見本が出来上がってきたので、市ヶ谷の地方小出版流通センターへ初回注文の短冊とともに持っていく。先月、高知四万十川を旅してきた担当のKさんから中村きい子『女と刀』(ちくま文庫)を薦められる。

午後、会社に戻り、ZOOMを繋げてフォークシンガーの品品さん(世田谷ピンポンズより改名)と打ち合わせ。尾道の古本屋・弐拾dBの藤井さんにご紹介いただいたのだ。本はデータではなく、縁とハートで作るのが私の作法。

本日が初対面(オンライン上ではあるけれど)のため緊張を抱えて話していると、品品さんはさすが歌を歌う人で、イヤフォンから聞こえてくる声に芯がある。

その声にしびれながら単行本の企画の話をする。

9月8日(月)不眠

週末実家で介護をしていると日曜日の夜がまったく眠くならないのだ。

理由ははっきりしており、運動量が足りないのだった。日曜日以外は毎日ランニングと営業で2万歩近く歩いていおり、それが日曜日となると母親の車椅子を押して散歩してもせいぜい5千歩くらいに減ってしまう。これでは到底体力が有り余ってしまうのだ。

悶々と夜を過ごし、4時頃やっと睡魔が訪れる。

寝不足を抱えつつ春日部から出社。9月だというのに肌が焦げるような暑さだ。

新刊の〆と本の雑誌の納品があるというかなり神経を使う一日になるため、心にはちまちを巻いて勤しむ。

どちらも3時には無事終了し、早速「本の雑誌」を駒込のBOOKS青いカバさんにお届けにあがる。

夜、九段下の「現来酒家」にて講談社の編集と営業の人と飲む。本作りと本を売ることの真剣トークに酒を飲むのも忘れて聞き惚れる。

9月7日(日)我慢

幾分涼しく感じたので掃除を後回しにして、1ヶ月ぶり以上に母親を外に連れ出し、父親のお墓参りに出かける。

しかし涼しく感じたのは日陰だけで、陽の当たるところは肌を焦がす暑さだった。それでも風が吹いていたので日陰を伝いながら30分ほど車椅子を押す。

家にもどり、掃除をしているとドアのチャイムが鳴る。母親の友達がマグロの刺身を買ってきたからとお裾分けをいただく。今夜はカレーの予定だったが、急遽マグロ方面に変更となる。

浅草で生まれ育ったおばさんの話はたいそう面白く、苦労話が笑い話として語られ、聞いてるこちらが元気になっていく。こういう年の取り方をせねばと思いつつ、先日の長崎旅行のお土産を渡すと、「まだマグロ分には届いてない」と突っ込まれ、爆笑する。

昼にチャーハンを作り、夜まで本を読んで過ごす。

息子から我慢できなくて、等々力に来たとLINEが届く。

私も我慢できないが、実家で母親の見守りをしている。

9月6日(土)罪悪感不要 

先週は旅行にいっていたので、2週間ぶりの週末実家介護。来週末はお茶丸ブックマーケットで、10月は下鴨、神保町とあり、11月もいくつかのイベントが予定されている。その間、介護施設に預けっ放しにしている母親に申し訳ない気持ちが湧いていたのだが、午後お茶を飲みにやってきたお隣の山本さんにこう話していたのだ。

「ここに帰ってきてだれも来ないでぼんやりしてるなら施設でみんなとガチャガチャ遊んだりしている方が楽しいよね」

私の耳はダンボ並みに大きくなり、心のレコーダーにその言葉をしっかり刻んだ。罪悪感なんて持つ必要はないし、今後もしかすると完全施設という道が開けるかもしれない。しかし裏を返せば私と過ごす週末は面白くないということでもあろう。

複雑な気持ちで話を聞いていると、反対側のお隣さんは両親と兄を亡くした70代のお兄ちゃん(私が子供の頃のイメージ)がアパートに引っ越し、来月には取り壊しになるという。

この家もあと数年でそういうことになるのかもしれない。

9月5日(金)台風接近

台風15号接近ということで朝から雨が降る。

午後にはさらに激しくなるとのことで、打ち合わせ一本が延期になり、本屋大賞の理事会はオンラインに変更となる。

そんな中でも古書会館で開催されている愛書会を覗くと、さすがに人影もまばらで本をゆっくり眺めることができる。

『山谷日記』宮下忠子(人間の科学社)

『山谷曼荼羅』宮下忠子(大修館書店)

『瞽女=盲目の旅芸人』斎藤真一(日本放送出版協会)

を購入。愛書会はどうも相性が良い。

こういうときしかできない仕事として、今後の刊行予定をJPROにどんどこ打ち込んでいく。

30年前はこんな作業もなく、新刊は取次の仕入れ窓口に持っていくことで初めてカウントされたわけだ。給料日を見込んだ25日前の搬入や出版点数が増える9月や12月、そして3月は仕入れ窓口から見本を抱えた版元営業があふれていた。

あれは今思えば取次の、特に流通現場は大変だっただろう。2日前か3日前にならないと全体の作業量がわからないのだ。人を集めるのも減らすのも困難なはずで、平準化というのが叫ばれるのは当然のことだ。

それが今では新刊は2ヶ月前までにはJPROに登録し、搬入連絡は取次のシステムに送り、見本も郵送となり、取次の仕入担当者と顔を合わせることなく本が出ていく。

楽ちんといえば楽ちんで味気ないといえば味気ない。どちらがよいのかわからないけれど、版元営業の仕事というのも変わっていないようでいてずいぶん変わっている。

オンライン理事会に合わせていつもより一時間早く会社を出、帰宅する。台風が抜けたのか帰る頃には雨もやんでいた。

本屋大賞もおかげさまで無事23年目を終え、24年目に突入することとなる。苦労多きものの夢のような23年間であった。これだけのイベントを23年間やって、一円も私たちの懐に入らないのが素晴らしい。本と本屋を愛する気持ち、だけで運営されている。本屋大賞は奇跡だ。

9月4日(木)文春文庫フェア

くもり時々雨。10時半には会社を出ないとならないため、9時に出社し、6社合同(晶文社、青土社、創元社、白水社、みすず書房、本の雑誌社)読書週間フェアのPOPの色を調整する。

それを終えたら『マンションポエム東京論』の電子書籍用epubデータをモバイルブックjpにアップロード。

アップロードは簡単なんだけれど、このサイトはログインパスワードが13桁以上で大文字小文字アルファベットに数字と記号を入れろ、さらにしょっちゅうパスワードの期限が切れたと変更が求められ、気づけばいつもパスワードの再発行手続きをしているのだった。「昨日浦和レッズでゴールを決めたのは誰?」みたいなパスワードにしてほしい。

10時過ぎに、トーハン、日販の新刊搬入サイトにログインし、「本の雑誌」10月号の部数を確認する。こちらは当初面倒に感じたものの、慣れてしまえば電話で確認するより気を遣わず、楽ちんなのだった。

10時30分に部数確認を終え、配本表を中央精版印刷に送り(これも先月から中央精版印刷が指定するフォーマットデータになった)、会社を飛び出す。

神保町より半蔵門線に乗り込み、二駅先の三越前で下車。11時に誠品生活にあるハッピーレモンで、イラストレーターの信濃八太郎さんと待ち合わせしているのだった。開店と同時にお店に入ると、レジに立っていた女性が困惑顔で、「私は今日が初めてでお店の人がまだ来ていないので来るまでお待ちいただけますか」と言われ、それならそれで構わず席に着く。10分ほどしてお店の人が出社し、オーダを受け付けてもらう。信濃さんとハニーレモンジャスミンティーを飲みながら、単行本の進捗状況を確認する。

一時間ほどの打ち合わせを終えると、今度は銀座線に揺られ、銀座の教文館さんへ。北上次郎『新刊めったくたガイド大大全』の追加注文分を直納。8800円もする本をお買いあげいただいたみなさんに感謝。そして売り切らずに追加注文していただいた教文館さんにも大感謝。

その教文館さんでは階段で2階に上がったところのフェアコーナーで、文春文庫の秋100フェアが開催されているのだった。これは版元が選んだ文庫以外にもいっぱい面白い文春文庫がある!と担当のKさんが奮起し、同僚や他の版元営業に声をかけ、推薦された文春文庫も並べられている。

私もお声かけいただき、以下の5点を推薦したのだった。

和田誠『銀座界隈ドキドキの日々』
海老沢泰久『美味礼讃』
高野秀行『辺境メシ』
大竹英洋『そして、僕は旅に出た。』
東海林さだお『大盛り!さだおの丸かじり 酒とつまみと丼と』

売れますように。

本日は昼メシは食べず水を飲み、小雨降る中、会社に戻り、デスクワークに勤しむ。

途中、京都新聞のIさんが、「『断捨離血風録』の書評が出てました!」と8月31日付の新聞を持ってきてくださる。代わりにこれから出る京都が舞台の小説を教えてあげる。

帰路、東浦和に着くと雨が本降りとなっており、びしょ濡れになりながら自転車を漕いで帰宅。

9月3日(水)魔法使い

通勤時の京浜東北線に揺られながら、今日やるべき仕事というのを手帳に書き出していたら気分が悪くなってくる。どう考えても今日で終わらず、それどころか金曜日までかかりそう。頭も痛くなってきた。

会社に着いてすぐパソコンを広げ、とにかく手を動かすべしと取り組んでいると、不思議なことを午後2時にすべてが片付いてしまった。神保町には小人がいるのかもしれない。

夜、埼玉スタジアムにルヴァンカップ準々決勝第1戦の川崎フロンターレ戦を観に行く。

いつものメンバーから9人も代わり、期待のルーキー・根本健太も初スタメン。その根本も素晴らしかったが怪我明けの柴戸と天才・中島翔哉がワンダフルだった。試合はロスタイムで追いつかれ非常に悔しい展開だったが、中島翔哉の魔法使いのようなゴールと、このメンバーで引き分けなら御の字と前を向いて帰宅する。

9月2日(火)旅行開眼

夏休み。旅行の疲れを癒す。

それにしても会社を1日休んだだけで2泊3日のあんなに楽しい旅行ができるなら、なぜこれまで休まずにやたら働いていたのか。

それは旅行というものが何なのかわからなかったからだ。わからなすぎて、旅行中毒の宮田珠己さんに『ニッポン47都道府県正直観光案内』という本を書いてもらったのだけれど、その取材という旅行でどこへ行ってもコンビニのおにぎりとヨーグルトを食べているうちにさらに旅行から縁遠くなり、私には「大人の休日倶楽部」もバスツアーも一生関係ないものだと旅行を封印したのだった。

ところが、今回の旅行は心の底から楽しかった。それは目的がちゃんとあったからだ。ひとつは佐野元春のライブで、もうひとつは長崎スタジアムシティホテルだ。

そうなのだ。こうしてきちんと目的があれば旅行は楽しいのだ。あの旅行特有の特に興味もないけどせっかくきたから行くかみたいな退屈な観光地めぐりもさらにそこに行ったあとに何もすることがなくて旅行にきたのになにもしないという罪悪感から逃れられるのだ。

これからは好きなアーティストのライブにあわせて旅行することを決意する。だからどんどん休むのだ。

9月1日(月)思い出

ビュフェ形式の朝食を、昨日の試合で芝がところどころめくれたピッチを眺めなからとる。まさに強者どもの夢の跡。

雨が降り出す中、始発のココウォークからバスに乗り、空港を目指す。

空港はたくさんの人で、妻と娘はお土産売り場を肩を並べて歩き、はしゃいでいる。

一昨年死んだ父親はことあるごとに私の娘が小学生の時に2人で行った山登りの話をした。

あれはどういう理由だったのかもう思い出せないのだけれど、低山ハイクが趣味だった父親が「山に登りにいくけど一緒にいくか?」と誘い、娘も何だかわからず頷いたのだろう。

とある休日に2人はリュックサックを背負って電車に乗り、栃木の大平山へ向かい、無事山を登って帰ってきたのだ。

「あいつは一度も泣き声を言わず歩いたんだよ。しっかり頂上まで登ってすごい体力だ。それで帰りに蕎麦屋に寄って蕎麦食べたんだけど、一杯ぺろっと平らげてさ。楽しかったなあ」

父親は遠くを眺めるようにしてその日のことをことあるごとに語った。そして、あの頃父親は、山に登るほど元気だったのだ。

私は妻と娘のその後ろ姿を眺めながら、ああ、俺は死ぬ時にこの旅行を思い出すかもしれないと考えていた。

8月31日(日)長崎

9時発のバスで佐世保から長崎を目指す。この旅行を計画するまで佐世保を長崎市の一地域だと思っていたのが呆れるほど遠い。高速道路を走って1時間半かけて長崎駅に着く。そして今日の旅の目的地「スタジアムシティホテル長崎」まで路面電車に乗る。

長崎県に行くと決めて一番初めに思いついたのが、「スタジアムシティホテル長崎」だった。ここはV・ファーレン長崎のスタジアムと隣接というか一体化したホテルで、ホテルのバルコニーから試合が眺められるというサッカー好きにはまるでディズニーランドのような夢の施設なのだった。

本日試合するのはV・ファーレン長崎と藤枝MYFCで、浦和レッズサポーターの私にはまったく関係ない試合なのだけれど、試合日のホテルというのを体感したかったのである。

長崎出身のサッカー好きの知人からエレベーターを降りた真正面がサッカースタジアムになっており、興奮して駆け寄るとガラスにぶち当たるから気をつけるよう注意されていたおかげで頭を割ることはなかったものの、まさしく緑の芝生とセンターラインやサイドラインなどピッチを示す白い線が見え、これで興奮するなというのは無理な話なのだった。

ずっとこのままこの場所に居たいと思ったものの、今回は家族旅行でもあるため、ひとまず荷物を預け、妻の希望によりハトシという食べ物を食べに中華街に行く。海老などのすり身をパンに挟んであげたその食べ物を食べた瞬間、妻はこの数年で1番の笑顔になり、この旅にきて本当によかったと思ったのだった。

20年ぶりくらいのこの旅行でわかったのだけれど、妻が旅先で喜ぶのは、地元のスーパーとパン屋さんとそしてエビなのだった。今後の家族旅行はこの3つを目的とするという指針がきまったので、早速娘にエビが有名な地を検索してもらい、次なる旅の目的地の検討に入る。

昨日の佐世保では、一直線のアーケードとしては日本一の商店街にあるくまざわ書店さんで村上龍の『69』と『空港にて』を購入したのだけれど、どの地で訪れるくまざわ書店さんもしっかり本が揃っており、日本の文化はくまざわ書店が守っているのだと感銘を受けた。そして今日は出島にあるBOOKSライデンさんを見て、独立系書店はその街の豊かさの象徴なのだと思い至る。BOOKSライデンさんでは、西村佳哲『増補新版 いま、地方で生きるということ』(ちくま文庫)と「BOOKS LEIDEN 3th Anniversary NAGSASAKI BOOKSHELF SNAP」(BOOSライデン)を購入した。

それにしてもどの地に行ってもスタバが目につき、そこにたくさん人がいることを思い知る。調べてみるとスタバはすでに日本に2000軒以上あるようで、書店の数がスタバに抜かれるもの時間の問題なのではなかろうか。



なぜ人はそんなにスタバに行くのか?

かつて人は暇なとき本屋さんを訪れていた。そこは立ち読みなどもでき、物を買わずにも居られる場所だったからだ。

しかし店に入って物を買わない、ということへのプレッシャーが年々勝手に強くなり、ならばコーヒーを一杯頼んでゆっくりいられるスタバに人は動いたのではなかろうか、なんて仮説を立てているうちに夕方近くとなり、路面電車に乗ってホテルに戻り、試合開始間近のスタジアムをもはや浦和レッズの社員が如く気分で視察した。

8月30日(土)佐世保

羽田発全日空663便にて空の人となる。長崎空港まで飛び、そこからバスに乗り、佐世保を目指す。10年ぶりくらいに夏休みを取り、妻と娘とともに20年ぶりくらいに旅行するのだ。

その朝、京浜東北線が人身事故により運転見合わせとなり、再開直後の満員電車に乗ったところ娘が具合悪くなり、途中下車するというアクシデントがあった。

田端駅のホームのベンチに座り青白い顔をした娘を見て、今日の旅行の手配をすべてし先頭に立って歩いていたけれど、実はとても繊細で弱い部分のある子だったと思い出した。

私はいつもそんな娘をオロオロした気持ちで見守り、娘が一日中一度も嫌なことがなく笑顔でいられることを祈り、幼稚園や学校に送り出していたのだ。

数本電車をやり過ごし、反対ホームにきたがらがらの山手線に乗り、モノレールも各駅で座って羽田空港に着く頃には、娘も元気を取り戻した。

今回の佐世保行きの発端は、とあるアーティストのライブチケットがなかなか取れなかったことだった。関東近郊のチケットはあきらめ、旅行も兼ねて地方の公演を取ろうと決意し、ツアーリストから佐世保を選んだのだった。

なぜ佐世保だったかというと、「楽しんで生きないのは、罪なことだ。」という私の人生に爆弾のような言葉を授けた作家の故郷であり、その本の舞台だったからだ。

佐世保は長崎空港から大村湾をかすめ、2時間ほどバスに揺られ着いた。駅の目の前に港があり、ここにエンタープライズが寄港することに反対した話がその小説に描かれていたのを思い出す。

昼に長崎ちゃんぽんを食べ、いざライブ会場のアルカス佐世保に向かう。

ここではまた、私の人生を支える続ける「つまらない大人にはなりたくない」と歌ったアーティストのステージを観る。なぜかわからないけれど、「SOMEDAY」と叫びながら泣いていた。

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