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9月5日(金)台風接近

台風15号接近ということで朝から雨が降る。

午後にはさらに激しくなるとのことで、打ち合わせ一本が延期になり、本屋大賞の理事会はオンラインに変更となる。

そんな中でも古書会館で開催されている愛書会を覗くと、さすがに人影もまばらで本をゆっくり眺めることができる。

『山谷日記』宮下忠子(人間の科学社)

『山谷曼荼羅』宮下忠子(大修館書店)

『瞽女=盲目の旅芸人』斎藤真一(日本放送出版協会)

を購入。愛書会はどうも相性が良い。

こういうときしかできない仕事として、今後の刊行予定をJPROにどんどこ打ち込んでいく。

30年前はこんな作業もなく、新刊は取次の仕入れ窓口に持っていくことで初めてカウントされたわけだ。給料日を見込んだ25日前の搬入や出版点数が増える9月や12月、そして3月は仕入れ窓口から見本を抱えた版元営業があふれていた。

あれは今思えば取次の、特に流通現場は大変だっただろう。2日前か3日前にならないと全体の作業量がわからないのだ。人を集めるのも減らすのも困難なはずで、平準化というのが叫ばれるのは当然のことだ。

それが今では新刊は2ヶ月前までにはJPROに登録し、搬入連絡は取次のシステムに送り、見本も郵送となり、取次の仕入担当者と顔を合わせることなく本が出ていく。

楽ちんといえば楽ちんで味気ないといえば味気ない。どちらがよいのかわからないけれど、版元営業の仕事というのも変わっていないようでいてずいぶん変わっている。

オンライン理事会に合わせていつもより一時間早く会社を出、帰宅する。台風が抜けたのか帰る頃には雨もやんでいた。

本屋大賞もおかげさまで無事23年目を終え、24年目に突入することとなる。苦労多きものの夢のような23年間であった。これだけのイベントを23年間やって、一円も私たちの懐に入らないのが素晴らしい。本と本屋を愛する気持ち、だけで運営されている。本屋大賞は奇跡だ。

9月4日(木)文春文庫フェア

くもり時々雨。10時半には会社を出ないとならないため、9時に出社し、6社合同(晶文社、青土社、創元社、白水社、みすず書房、本の雑誌社)読書週間フェアのPOPの色を調整する。

それを終えたら『マンションポエム東京論』の電子書籍用epubデータをモバイルブックjpにアップロード。

アップロードは簡単なんだけれど、このサイトはログインパスワードが13桁以上で大文字小文字アルファベットに数字と記号を入れろ、さらにしょっちゅうパスワードの期限が切れたと変更が求められ、気づけばいつもパスワードの再発行手続きをしているのだった。「昨日浦和レッズでゴールを決めたのは誰?」みたいなパスワードにしてほしい。

10時過ぎに、トーハン、日販の新刊搬入サイトにログインし、「本の雑誌」10月号の部数を確認する。こちらは当初面倒に感じたものの、慣れてしまえば電話で確認するより気を遣わず、楽ちんなのだった。

10時30分に部数確認を終え、配本表を中央精版印刷に送り(これも先月から中央精版印刷が指定するフォーマットデータになった)、会社を飛び出す。

神保町より半蔵門線に乗り込み、二駅先の三越前で下車。11時に誠品生活にあるハッピーレモンで、イラストレーターの信濃八太郎さんと待ち合わせしているのだった。開店と同時にお店に入ると、レジに立っていた女性が困惑顔で、「私は今日が初めてでお店の人がまだ来ていないので来るまでお待ちいただけますか」と言われ、それならそれで構わず席に着く。10分ほどしてお店の人が出社し、オーダを受け付けてもらう。信濃さんとハニーレモンジャスミンティーを飲みながら、単行本の進捗状況を確認する。

一時間ほどの打ち合わせを終えると、今度は銀座線に揺られ、銀座の教文館さんへ。北上次郎『新刊めったくたガイド大大全』の追加注文分を直納。8800円もする本をお買いあげいただいたみなさんに感謝。そして売り切らずに追加注文していただいた教文館さんにも大感謝。

その教文館さんでは階段で2階に上がったところのフェアコーナーで、文春文庫の秋100フェアが開催されているのだった。これは版元が選んだ文庫以外にもいっぱい面白い文春文庫がある!と担当のKさんが奮起し、同僚や他の版元営業に声をかけ、推薦された文春文庫も並べられている。

私もお声かけいただき、以下の5点を推薦したのだった。

和田誠『銀座界隈ドキドキの日々』
海老沢泰久『美味礼讃』
高野秀行『辺境メシ』
大竹英洋『そして、僕は旅に出た。』
東海林さだお『大盛り!さだおの丸かじり 酒とつまみと丼と』

売れますように。

本日は昼メシは食べず水を飲み、小雨降る中、会社に戻り、デスクワークに勤しむ。

途中、京都新聞のIさんが、「『断捨離血風録』の書評が出てました!」と8月31日付の新聞を持ってきてくださる。代わりにこれから出る京都が舞台の小説を教えてあげる。

帰路、東浦和に着くと雨が本降りとなっており、びしょ濡れになりながら自転車を漕いで帰宅。

9月3日(水)魔法使い

通勤時の京浜東北線に揺られながら、今日やるべき仕事というのを手帳に書き出していたら気分が悪くなってくる。どう考えても今日で終わらず、それどころか金曜日までかかりそう。頭も痛くなってきた。

会社に着いてすぐパソコンを広げ、とにかく手を動かすべしと取り組んでいると、不思議なことを午後2時にすべてが片付いてしまった。神保町には小人がいるのかもしれない。

夜、埼玉スタジアムにルヴァンカップ準々決勝第1戦の川崎フロンターレ戦を観に行く。

いつものメンバーから9人も代わり、期待のルーキー・根本健太も初スタメン。その根本も素晴らしかったが怪我明けの柴戸と天才・中島翔哉がワンダフルだった。試合はロスタイムで追いつかれ非常に悔しい展開だったが、中島翔哉の魔法使いのようなゴールと、このメンバーで引き分けなら御の字と前を向いて帰宅する。

9月2日(火)旅行開眼

夏休み。旅行の疲れを癒す。

それにしても会社を1日休んだだけで2泊3日のあんなに楽しい旅行ができるなら、なぜこれまで休まずにやたら働いていたのか。

それは旅行というものが何なのかわからなかったからだ。わからなすぎて、旅行中毒の宮田珠己さんに『ニッポン47都道府県正直観光案内』という本を書いてもらったのだけれど、その取材という旅行でどこへ行ってもコンビニのおにぎりとヨーグルトを食べているうちにさらに旅行から縁遠くなり、私には「大人の休日倶楽部」もバスツアーも一生関係ないものだと旅行を封印したのだった。

ところが、今回の旅行は心の底から楽しかった。それは目的がちゃんとあったからだ。ひとつは佐野元春のライブで、もうひとつは長崎スタジアムシティホテルだ。

そうなのだ。こうしてきちんと目的があれば旅行は楽しいのだ。あの旅行特有の特に興味もないけどせっかくきたから行くかみたいな退屈な観光地めぐりもさらにそこに行ったあとに何もすることがなくて旅行にきたのになにもしないという罪悪感から逃れられるのだ。

これからは好きなアーティストのライブにあわせて旅行することを決意する。だからどんどん休むのだ。

9月1日(月)思い出

ビュフェ形式の朝食を、昨日の試合で芝がところどころめくれたピッチを眺めなからとる。まさに強者どもの夢の跡。

雨が降り出す中、始発のココウォークからバスに乗り、空港を目指す。

空港はたくさんの人で、妻と娘はお土産売り場を肩を並べて歩き、はしゃいでいる。

一昨年死んだ父親はことあるごとに私の娘が小学生の時に2人で行った山登りの話をした。

あれはどういう理由だったのかもう思い出せないのだけれど、低山ハイクが趣味だった父親が「山に登りにいくけど一緒にいくか?」と誘い、娘も何だかわからず頷いたのだろう。

とある休日に2人はリュックサックを背負って電車に乗り、栃木の大平山へ向かい、無事山を登って帰ってきたのだ。

「あいつは一度も泣き声を言わず歩いたんだよ。しっかり頂上まで登ってすごい体力だ。それで帰りに蕎麦屋に寄って蕎麦食べたんだけど、一杯ぺろっと平らげてさ。楽しかったなあ」

父親は遠くを眺めるようにしてその日のことをことあるごとに語った。そして、あの頃父親は、山に登るほど元気だったのだ。

私は妻と娘のその後ろ姿を眺めながら、ああ、俺は死ぬ時にこの旅行を思い出すかもしれないと考えていた。

8月31日(日)長崎

9時発のバスで佐世保から長崎を目指す。この旅行を計画するまで佐世保を長崎市の一地域だと思っていたのが呆れるほど遠い。高速道路を走って1時間半かけて長崎駅に着く。そして今日の旅の目的地「スタジアムシティホテル長崎」まで路面電車に乗る。

長崎県に行くと決めて一番初めに思いついたのが、「スタジアムシティホテル長崎」だった。ここはV・ファーレン長崎のスタジアムと隣接というか一体化したホテルで、ホテルのバルコニーから試合が眺められるというサッカー好きにはまるでディズニーランドのような夢の施設なのだった。

本日試合するのはV・ファーレン長崎と藤枝MYFCで、浦和レッズサポーターの私にはまったく関係ない試合なのだけれど、試合日のホテルというのを体感したかったのである。

長崎出身のサッカー好きの知人からエレベーターを降りた真正面がサッカースタジアムになっており、興奮して駆け寄るとガラスにぶち当たるから気をつけるよう注意されていたおかげで頭を割ることはなかったものの、まさしく緑の芝生とセンターラインやサイドラインなどピッチを示す白い線が見え、これで興奮するなというのは無理な話なのだった。

ずっとこのままこの場所に居たいと思ったものの、今回は家族旅行でもあるため、ひとまず荷物を預け、妻の希望によりハトシという食べ物を食べに中華街に行く。海老などのすり身をパンに挟んであげたその食べ物を食べた瞬間、妻はこの数年で1番の笑顔になり、この旅にきて本当によかったと思ったのだった。

20年ぶりくらいのこの旅行でわかったのだけれど、妻が旅先で喜ぶのは、地元のスーパーとパン屋さんとそしてエビなのだった。今後の家族旅行はこの3つを目的とするという指針がきまったので、早速娘にエビが有名な地を検索してもらい、次なる旅の目的地の検討に入る。

昨日の佐世保では、一直線のアーケードとしては日本一の商店街にあるくまざわ書店さんで村上龍の『69』と『空港にて』を購入したのだけれど、どの地で訪れるくまざわ書店さんもしっかり本が揃っており、日本の文化はくまざわ書店が守っているのだと感銘を受けた。そして今日は出島にあるBOOKSライデンさんを見て、独立系書店はその街の豊かさの象徴なのだと思い至る。BOOKSライデンさんでは、西村佳哲『増補新版 いま、地方で生きるということ』(ちくま文庫)と「BOOKS LEIDEN 3th Anniversary NAGSASAKI BOOKSHELF SNAP」(BOOSライデン)を購入した。

それにしてもどの地に行ってもスタバが目につき、そこにたくさん人がいることを思い知る。調べてみるとスタバはすでに日本に2000軒以上あるようで、書店の数がスタバに抜かれるもの時間の問題なのではなかろうか。



なぜ人はそんなにスタバに行くのか?

かつて人は暇なとき本屋さんを訪れていた。そこは立ち読みなどもでき、物を買わずにも居られる場所だったからだ。

しかし店に入って物を買わない、ということへのプレッシャーが年々勝手に強くなり、ならばコーヒーを一杯頼んでゆっくりいられるスタバに人は動いたのではなかろうか、なんて仮説を立てているうちに夕方近くとなり、路面電車に乗ってホテルに戻り、試合開始間近のスタジアムをもはや浦和レッズの社員が如く気分で視察した。

8月30日(土)佐世保

羽田発全日空663便にて空の人となる。長崎空港まで飛び、そこからバスに乗り、佐世保を目指す。10年ぶりくらいに夏休みを取り、妻と娘とともに20年ぶりくらいに旅行するのだ。

その朝、京浜東北線が人身事故により運転見合わせとなり、再開直後の満員電車に乗ったところ娘が具合悪くなり、途中下車するというアクシデントがあった。

田端駅のホームのベンチに座り青白い顔をした娘を見て、今日の旅行の手配をすべてし先頭に立って歩いていたけれど、実はとても繊細で弱い部分のある子だったと思い出した。

私はいつもそんな娘をオロオロした気持ちで見守り、娘が一日中一度も嫌なことがなく笑顔でいられることを祈り、幼稚園や学校に送り出していたのだ。

数本電車をやり過ごし、反対ホームにきたがらがらの山手線に乗り、モノレールも各駅で座って羽田空港に着く頃には、娘も元気を取り戻した。

今回の佐世保行きの発端は、とあるアーティストのライブチケットがなかなか取れなかったことだった。関東近郊のチケットはあきらめ、旅行も兼ねて地方の公演を取ろうと決意し、ツアーリストから佐世保を選んだのだった。

なぜ佐世保だったかというと、「楽しんで生きないのは、罪なことだ。」という私の人生に爆弾のような言葉を授けた作家の故郷であり、その本の舞台だったからだ。

佐世保は長崎空港から大村湾をかすめ、2時間ほどバスに揺られ着いた。駅の目の前に港があり、ここにエンタープライズが寄港することに反対した話がその小説に描かれていたのを思い出す。

昼に長崎ちゃんぽんを食べ、いざライブ会場のアルカス佐世保に向かう。

ここではまた、私の人生を支える続ける「つまらない大人にはなりたくない」と歌ったアーティストのステージを観る。なぜかわからないけれど、「SOMEDAY」と叫びながら泣いていた。

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