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11月28日(金)読者の訪問

午前中、『おすすめ文庫王国2026』の初回注文締め作業をしていると、ひとりの男性が会社に顔を出す。

スーツでないその格好から私の知らない執筆者かどこかの編集者かと思ったが、「あの、ただの読者なんですが...」と小声で名乗られる。

神保町に移ってからこういうことはよくあり、また「本の雑誌」に「今月遊びに来た人」というコーナーまで設けているので、読者の訪問は大歓迎なのだ。

会社に招き入れ、お話を伺うと九州からやって来られたそうで、明日国立競技場で開催される陸上のセレモニーのついでに、そういえば神保町に本の雑誌社があったと思い出し、訪問してくれたそう。

しばらくお話ししていると、「うわー、ここで本の雑誌が作られているんですか。すごい感動です。手が震えてますよ。いやあ涙が出ちゃう」と本当に目尻をぬぐうのだった。

そう言われても本の雑誌社は小さな雑居ビルの一室で、「本の雑誌」が作られるといってもここで印刷製本しているわけではなく、さらに今は椎名さんや目黒さんがいるわけではないのである。私からしたら感動要素はまったくのゼロであり、いったいなにが読者の方の心を揺さぶったのか皆目見当がつかない。

おそらく「本の雑誌」に心を揺さぶる何かがあるのではなく、「本の雑誌」を読んでいる自分の人生を走馬灯のように思い出したのだろう。

その方の人生を私はまったく知らない。けれど仕事のこと家族のこと恋人のこといろいろとあったときに、必ず毎月一度「本の雑誌」を手にする時間がある。そのときだけ思い悩んだり苦しんだりしていることを忘れ、笑ったり頷いたり大好きな本の世界に没頭できたりして、私が毎週聴くラジオを楽しみにしているように、この方は「本の雑誌」を読んでいるのではなかろうか。

雑誌というものはつくづく不思議なものだ。書籍よりも双方向で、上から下というよりは、同じレベルの平坦な街のよう。

私たちにできるのは、おもしろいものを作って、とにかく刊行し続けること。

11月27日(木)ガッツポーズ

立石書店の岡島さんとスッキリ隊出動。最近はこの精鋭部隊2名による出動が多く、おそらく家族を除いて一番長い時間一緒にいるのは岡島さんだろう。

車の中ではバカ話に花を咲かせるが、本の整理を希望するお客様のところに着いた瞬間から私は完全に丁稚となり、岡島さんの指示に従い身体を動かすのだった。

本日は前回の続きのお宅で、岡島さんが縛った約2500冊の本をマンションの3階から台車に積んで運び出し、車に積み込む。

単に車に積むといってもこれはバランスがよくなければ崩れてしまい、さらに隙間なく積むことによって載せられる本の量も変わってくるのだった。

基本的には文庫、新書、四六判、菊判(A5判)と同じ判型の本が同じ長さで縛られているのだからそれを積んでいけばぴったり収まるのだが、ここに大判などが入ってくるから難しいのだ。

しかも大判の縛りは長さがなく、たいてい10センチくらいのブロック状となる。この組み合わせをうまく考え、さらに車の幅も見当しつつ、隙間をなくすように積み込まなければならない。もちろん時間をかけてはならぬのだ。

あまりに私が上手く積むものだからもはや岡島さんがわざわざ褒めることはない。ただ縛っている最中に「杉江さんが早すぎて縛りが間に合わねえなあ」とぼやいたのと、古書会館に向かう車中に「結構詰めたなあ。あと一回で済むかも」と呟いたときには、心の中でガッツポーズをしたのだった。

11月26日(水)本屋さんで思い出す

  • 尚、赫々【かくかく】たれ 立花宗茂残照 (ハヤカワ文庫JA)
  • 『尚、赫々【かくかく】たれ 立花宗茂残照 (ハヤカワ文庫JA)』
    羽鳥 好之
    早川書房
    1,056円(税込)
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    HMV&BOOKS

飲み会まで少し時間があったので、駅前にあった本屋さんに入った。30坪ほどのまさしく街の本屋さんだ。

雑誌売り場をふらふらしていると肩の力が抜けていくのがわかった。まるで山に登り森林浴を味わっているような心地だ。元を正せば本も木だから同じ効果があるのだろうか。

学参、実用、文芸と棚にそって足を進め、文庫の棚に辿り着いたとき、「そういえば俺なんか本を買おうとしていたな」と思い出す。

なんだったけ? 買う気になっていた本があったはず。ちくま文庫だった気もするけれどとちくまの棚と5冊ほど平台にささっている新刊を見るも背表紙に思い当たる文字がない。

ちくまじゃなくて......と新刊コーナーで目を動かしていると、ある一冊が光って見えた。ああ! これだ!と手を伸ばした。光っていたのは羽鳥好之『尚、赫々たれ 立花宗茂残照』(ハヤカワ文庫)だった。

そうなのだ。先週の大阪出張の帰りに新幹線の乗車まで時間があり、新大阪の駅の中にある本屋さんをぶらぶらしていたのだ。

そして文庫売り場の一角にPOPが立っており、何やら縄田一男さんの強烈な推薦コメントがでかでか記されていて、手にとったのだった。手に取りながらそういえばこの本、新刊のときに北上次郎さんが熱烈に推薦してたなと思い出したのだ。

買おう、と思ったのだがすでにリュックがぱんぱんだった。もちろんそれもほとんど本なのだった。新幹線の中で読む本はすでにあり、リュックの中には積読本というか詰め読本が山なのだ。

仕方ない。今日は買わずに神保町か営業先に伺った本屋さんで買おうと平台に本を戻したのだけれど、そのこと自体をすっかり忘れていた。

それが今、本屋さんに入り、棚を眺めているうちにまるでタイムカプセルを開けたかごとく思い出す。

そして私は本を手にレジに向かった。

11月25日(火)単純作業

朝8時、出張明けで一週間ぶりの出社。溜まっている仕事が山ほどあるのだけれど、それに手をつける前に、高野秀行さんの初のZINEの予約注文分の発送をせねばならず。せねばならずと言ったところで、そう簡単にできる量ではないのであった。さらに2点同時に刊行し、そしてサインありサインなしとあるものだから、発送する本が4種類に及ぶのだ。これで混乱しないなんてことはなく、全集中で対応せねばならない。

事務の浜田を図書カードで雇い、ラベル出しと納品書の印刷をお願いする。そうしているうちに高野秀行さんがやってきてZINEにサインしていただく。もはや製造直売所だ。2時間ほどかけてサインしていただいたのち、納品書を二つ折りし、ラベルを封筒に貼っていく。

今夜何時までかけても終わらせたい気持ちはあるものの、夜の8時半からオンラインの座談会があるのだった。それまでには家に帰らねばならない。

やっぱり俺は町工場の倅だなあと思うときはこういうときだ。あれはたしか小学6年生のときだったと思うけれど、独立したばかりの父親の会社に遊びに行ったとき、会社は新たに受けたばかりの仕事でおおわらわになっていた。するとパートのおばさんから「つぐちゃんも手伝って」と声をかけられ、プラスチックの部品を組み付ける製造ラインに入れられたのだった。

めんどくさがるかすぐに飽きてしまうようなその単純作業に私は没頭したのだった。左の人から流れてくる部品を私が所定の位置に差し込み、それを右の人に渡す。左の人も右の人もベテランだから仕事が早い。私が戸惑えば両隣の人の手を止めてしまう。

必死も必死で作業に冒頭していると気づけば2時間が経っていた。休憩のブザーが鳴り、お茶を振る舞われると、周りのおばちゃんたちが心底感心した様子で私を褒め称えてくれたのだ。それは私が手先を使う単純作業に向いていると気づいた瞬間でもあった。

今、私は納品書を手にして、必要な本を取り、封筒に詰め、それを台車に乗せるという作業を繰り返している。納品書はまだまだ厚く、封筒の束もたくさんある。声も発さず、黙々とそれをこなしている。

夕日が差し込む窓の向こうから父親が見ている気がした。

11月24日(月・祝)レディア

朝、息子を駒場スタジアムに送り、その後、妻と娘と美園のイオンにできた浦和レッズのマスコット、レディアのショップを覗く。

娘はそのまま仕事に行き、妻と私は家に帰って、終日ぼんやり過ごす。さすがに疲れているのか走る気もせず。

11月23日(日)文学フリマ

10時に国際展示場でAISAの小林渡さんと待ち合わせ。国際展示場はすでに長蛇の列ができており、それは文学フリマの出店者と一般入場者とで分かれていた。我々は高野秀行辺境チャンネルという団体で参加を申し込んでいたため出店者の列に並び、一般入場開始の1時間半前に会場に入る。

サッカーコート一面くらいに日本中の会議室から集められたのではと思わされるほどの長机がずらりと並んでいる。事前送られてきていた「せ-72」というブースを探すとすでにお隣さんが開店準備をスタートされていた。

そうなのだ。申し込むときについケチってしまい、一コマしか申し込まなかったのだ。だから今日高野秀行辺境チャンネルに割り当てられたスペースは、長机の半分、90センチ×45センチしかないのである。ここに大人2人が座り、本(ZINE)を売るのだ。

事前に送って置いた荷物を取りにいき(段ボール5箱)、すぐに開封して売り場を作る。

並べる商品は高野秀行『チャットGTP対高野秀行 キプロス墓参り篇』『寛永御前試合』、高野道行『ヘレネの旅』、内澤旬子『こんにちはヤギさん!』、ツカヌンティウスよしゆき『旅する、本屋巡る。』、本の雑誌社『神保町日記』、「高野秀行辺境チャンネル粗品タオル」、さらに間違う力Tシャツの8アイテム。机はパンパンだ。

準備をしているといろんな人に声をかけられる。いろんな出版社の人が会社だったり、個人だったりで出店しているのだった。その顔がみな上気しているのがわかる。

12時になり、一般のお客さんが入場されると続々と高野さんのZINEを買い求めにいらっしゃる。1時前に高野さん自身がやってきてブースに立つともはやお客さんが途切れず、まさしく飛ぶように売れる状態に。売り子は高野さんと渡さんに任せ、私は補充に勤しむ。そしてとにかく周りのブースの人たちにご迷惑をおかけしないよう気をつける。

やっと人心地がついたときには終了の30分前の4時半だった。文学フリマおそるべし。そしてなによりも高野秀行おそるべし。

なにせ高野さん、お客さんに立って応対し、両手で本を受けとり、両手で本を手渡すのだ。さらにそのお客さんに30度のお辞儀をしてお見送りまでしていた。これだけ真摯な接客ができるなら明日から三越の売り場に立っていても違和感がないだろう。

いったいどこでこんな立派な接客を学んだのだろうか? そういえば酒を主食とするエチオピアのデラシャでは、ひょうたんに入った酒を両手で受け取ると書いていた。そしてそれを次の人に両手で渡すとも。きっとそこでは「美味しい」といってお辞儀もすることだろう。

もしやデラシャで接客研修を受けていたのか。

11月22日(土)長い距離を走る

明日、文学フリマに出店するため、週末実家介護はお休み。しかしそれは今週だけでなく、来週末はROTH BART BARONのライブとスッキリ隊出動があり、再来週末は「出会う つながるブックフェス in Matsudo」に出店するため、母親は三週間施設に預けっぱなしとなる。

母親のことは考えないようにしたいが、どうしても顔が浮かぶ。

長い距離を走る。

11月21日(金)レジ

いつもエスカレーターの右側に乗るのに慣れた頃、出張は終わる。

大阪より帰京。そして埼玉へ。

帰宅した頃、大阪でも一緒だった高野秀行さんから電話があり、日曜日の文学フリマのレジ(精算)を心配している様子。

いやはや私は毎週のようにイベントで物販しているだけでなく、90年代の激混み八重洲ブックセンター本店でレジに立っていた人間なのだ。レジに関しては大舟といっても過言ではないだろう。

なにせあの頃の八重洲ブックセンターのレジカウンターは、キャッシャー(レジ打ち)1人に対して、サッカー(受け手)が4人を立っていた。サッカーが読み上げる売上金額をレジ打ちし、お預かり金額を確認する前にレシート出し、次に別のサッカーが読み上げレジ打ちしている間にお預かり金額を聞いて、暗算でお釣り出す。それはまるでアシュラマンのようだった。

私は1年半のアルバイトの間に3人のサッカーまでは対応できるようになったが、4人入ると社員さんに代わってもらったりしたのだけれど、いまだその暗算能力はまったく衰えていない。神保町ブックフェスティバルやブックマーケットで浜田がお金を預かっている間に、釣り銭を渡しているのだ。

そのことを力説するも、大舟のはずの私が高野さんには泥舟にしか見えないようだった。

11月20日(木)本の力

大阪・河堀口に今年の8月にオープンした本屋さんBOOK'NBOOTHにて、高野秀行さんのトークイベント。

会場でもあったお店の二階で行った打ち上げでは、大阪ならではのボケとツッコミの会話を堪能し、涙を流すこともなかったのだけれど、ホテルでひとりになったらやはり涙がこぼれ落ちてきた。

12年前に『謎の独立国家ソマリランド』を刊行した時にイベント開いてくださった書店員さんがその後退職し、いろいろと激動の末、自ら本屋さん開き、オープン初のイベントを任されたのである。

書店員さんの想いだけでなく、その依頼に二つ返事でOKしてくれた高野さんの心意気。私はどれほど恵まれた人間関係の中で生きているのだろうか。それもすべては本のおかげなのだ。

本っていったいなんなんだろうか。読書というのは大変孤独な作業のはずかのに、なんでこんなに人と人を繋げてくれるのだろうか。

駅まで送ってくれたその書店員さんは別れ際にずっとずっと手を振ってくれていた。

あの本屋さんが、何年、何十年続くために自分にできることを探さねばならない。

11月19日(水)酒場の背景

いつも指定した列車の1時間も前に東京駅に着き時間を持て余す新幹線なのだが、よく考えたら変更可能のチケットをとっているのだから、東京駅に着いたところで乗車する新幹線を予約し直せばいいのだと気づく。

もちろん午前中の発車間際の新幹線は混んでいるから通路側か三列シートの真ん中しか空いてないけれど、席なんかどこでもよく予定より40分早い新幹線に変更し、新大阪を目指す。

今回の出張は明後日行われるBOOK'NBOOTHでの高野秀行さんのトークイベントの立ち会い。その前後に書店さんを回ろうと新大阪から神戸線の新快速に乗り換え、一路三ノ宮に向かった。

夕方、梅田でスズキナオさんと待ち合わせし、大阪のディープな酒場に連れて行っていただく。そこは梅田から地下鉄を乗り継ぎ30分、さらに駅を出てから15分ほど歩いて辿り着く、わが酒飲み人生で一番遠路はるばる酒を求めて到着した酒場であった。

いつぞやスズキナオさんに酒場のどんなところが好きなんですか?と尋ねたことがあるのだけれど、その時ナオさんは確か酒場で何か話をするとかでもなくただただ溶け込んでいる感じが好きだとおっしゃっていた。

それはどんな感じなんだろうと思っていたら、本日瓶ビール2本とレモンサワー二杯を飲んだあたりで、まるで自分はその酒場の書き割りの背景になったような気がしてきたのだった。

そのまったくの透明化というか浮遊感というかそれは大変心地よく、気づけばナオさんとほとんど会話もせず、周りのお客さんの関西弁の会話をラジオのように聴いている時間が過ぎているのであった。それはそれは素晴らしい時間だった。

11月18日(火)石田夏穂『緑十字のエース』

  • 緑十字のエース
  • 『緑十字のエース』
    石田夏穂
    双葉社
    1,760円(税込)
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どどどどどうして、工事現場の、それも基礎工事の、さらに安全管理担当が主人公の小説が、こここここんなに面白いんだろうか!? 今日の今日まで「泥引き」なんて言葉すら知らなかったのに、タイヤの跡が気になって仕方ない。やはり小説はディテールってことなんだろうか。それとも石田夏穂の力なのだろうか。

そう、石田夏穂『緑十字のエース』(双葉社)を夢中になって読んだのだ。

話はつい3か月前まで三岸地所という大手ゼネコンの積算部長だった浜地が現場に向かうところから始まる。といっても浜地はある問題から三岸地所を退職しており、あまく考えていた転職活動に失敗し、やっとつけた仕事が二階建てのプレハブが事務所の工事現場の安全管理の仕事なのだった。

そこからの話はほとんど基礎工事と安全管理の話なのである。とてつもなつ地味な話のはずなのにページをめくる手が止まらないのだから石田夏穂という作家はおそるべき書き手である。

そういえば上半期ベストテンを決める社内座談会の時に事務の浜田が必死に石田夏穂を推していたのだ。

ベストを決めるとベストがでる、という法則は今年も当てはまった。今からベストを決めるなら『緑十字のエース』は絶対ベストに入れただろう。来年のベストよ、待っておれ。

帰りにお茶の水の丸善さんに寄り、石田夏穂の本を大人買いする。

11月17日(月)月曜日

週末の介護を終えて三日ぶりに家に帰る月曜日は、気のせいか娘と息子と距離が近い。

今日も晩飯を終えてコタツに寝転がって本を読んでいると、娘と息子がそれぞれの部屋から出てきて、こたつの右と左に入ってきた。

しばらくすると娘が私の足をこたつの中で蹴飛ばし、「ほら、今日のトークゾーン」と言う。

トークゾーンとは娘と私が毎週欠かさず聴いている「オードリーのオールナイトニッポン」で、フリートークを終えた後に、若林さんと春日さんがそれぞれその週にあった面白いエピソードを話すコーナーのことだ。

娘は暇になると私にその日あった面白い話をしろと促してくるのだけれど、そうそう単なる版元営業に語れるほどの面白エピソードはなく、たとえあったとしてもオードリーの二人のようにおかしく話せるわけではない。

仕方なく、今日訪問したマガジンハウスでの出来事を話す。

ブルータスの編集部から本の雑誌スッキリ隊として本棚をテーマに対談をしてほしいと依頼があり、マガジンハウスに赴いたわけだが、対談相手の方が挨拶を交わすとすぐに「今日はアウターがいらなかったですね」と編集者と話し出し、私にはそれが「アフター」に聞こえ、もしや対談のあとに飲み会がセッティングされているのかと思ったのだけれど、よく聞けば上着のことだったというオチ。オシャレなマガジンハウスでは上着のことをアウターといい、本の雑誌社ではジャンパーというんだよ、みたいな話だった。

話はまったくウケず、右にいた息子からは「父ちゃんひとり昭和なんだよ!」と突っ込まれ、左にいた娘から「マジでそんな語彙力で出版社で働けるの?」と心配された。洗濯物を室内で干していた妻は、さとみつさんのようにわれわれを見つめている。

しばらくそうやって話をしていると、息子が突然壁を指差し、「マジか!」と叫んだ。

指差した先には緑色のカメムシが貼り付いており、虫が苦手な私はこたつからそっと抜け出した。

「おい!逃げるのか!」と娘に呼び止められ、「あれが大黒柱なのか?」と息子から罵られるも、虫嫌いの足は止まらず階段を下りて寝室のベッドに寝転がる。

天上の上からは娘と息子と妻が、カメムシと格闘するドタバタと走り回る足音が聞こえてきた。

11月16日(日)砥上裕將『龍の守る町』

  • 龍の守る町
  • 『龍の守る町』
    砥上 裕將
    講談社
    1,980円(税込)
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「お前たちは、馬鹿みたいに優しくていい。お前たちは消防士だ。察官でも自衛官でもない。決して人を制圧することのない、人を救うためだけに鍛え上げられたプロだ。」

言われてみればそうだ。消防士というのは人を救うためにいるのだ。そんな消防士を主人公にした小説が胸熱でないわけがない。しかし、ただ胸熱なだけではない。

砥上裕將『龍の守る町』(講談社)のまず優れた点は主人公を司令室に置いたところだろう。そう、119番をすると「火事ですか? 救急ですか?」と問いかけ、できるだけ速やかに情報を聞き出し、救急車や消防車を出動させる部署だ。

横山秀夫が新しかったのは刑事ではなく警察の裏方を主人公にしたことにあったと思うのだけど、この小説もまさしくその点が素晴らしく、実際の火災現場に行かない者による葛藤やそもそも司令室とはどんなことをする仕事なのかというのにとても興味を惹かれながら読み進むこととなる。

さらにこの著者の優れた点はそれぞれのキャラクター造形が上手い。最高の消防士でありながら五年前の大災害からトラウマを抱える秋月をはじめ、司令室の面々や消防士の人たちもそれぞれ個性豊かで輪郭がくっきりしている

最後は涙あふれる展開で、あやうく嗚咽しそうになってしまった。

砥上裕將は『線は、僕が描く』の著者で、この本が出たとき北上次郎さんに薦められ、「北上ラジオ」を収録・配信したのだった。そういう著者の新刊は、北上さんがもう読めない分、私が引き継いで読んでいかねばならないと謎の使命感が湧いてくる。

そうして北上さんのお眼鏡どおり、その著者はどんどん面白い作品を書いているのだった。

11月15日(土)薄情もの

週末実家介護のため、朝8時に家を出て、介護施設に向かう。母親は介護施設の人たちと「また月曜日にくるよ」といって手を合わせるが、車に乗るときには「はあ、やっと家に帰れる」とつぶやく。どちらが本心なのか、いや両方本心なのだろう。

庭の梅の木を見境もなく切っていると、売り地となった隣の家の境界を測っていた工事の人に声をかけられる。本日は境界線の確認をする日なのだった。

ブロック塀と赤い十字の書かれた印を見ながらそれが間違っていないか確認していく。そう言われてもブロック塀を建てたのは50年以上前なのでよくわからない。ひとまず問題もなく書類にハンコを押して終える。

続いて母親のお医者さんがきて、月に2回の診察を受ける。前回来た時に採った血液検査の結果が出、まったく問題のない健康体だそう。お医者さん曰く、「あと15年は生きられる(100歳まで)」とお墨付きをいただくが、それは勘弁してほしい。

先日お会いした出版社の人は、お母さんの介護を自宅で10年以上続け、どんどんお母さんがかわいくなってたまらなかったと言っていた。

確かに私も介護をはじめて母親をかわいいと思う瞬間がないわけではないのだが、だからと言って長生きしてほしいとはつゆとも思わない。正直に言えば明日の朝、突然亡くなっても問題ないというか、数パーセントあるいは十数パーセントそれを心の内で願っているような気もする。

介護などしているが、私は相当な薄情ものなのだ。

11月14日(金)『チャットGPT対高野秀行 キプロス墓参り篇』

痛風の薬をもらいに出版健保に出頭する。お医者さんと話しているうちに胃カメラと頸動脈の超音波の検査を受けることとなり、気づけば予約をとっていた。

高野秀行さんと小林渡さんと酔った勢いで文学フリマ東京に出店しようとなり、慌てて作成していた高野秀行さんのZINE『チャットGPT対高野秀行 キプロス墓参り篇』が無事出来上がってくる。

元々は気軽にZINEをこさえようと考えていたのに、結局はいつもの本作りとなんら変わらず心血を注ぎ、いやな汗が何度も流れた。しかしこうして出来上がってみると、やはり一生懸命作ってよかったと思う。

あとは文学フリマで売るだけ、ということで高野さんに先にできていた『寛永御前試合』と合わせて300冊ほどサインしていただく。

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11月13日(木)誕生日プレゼント

夜、カメラマンのキンマサタカさんと中井の伊野尾書店さんに集合し、閉店の様子を撮影する。

シャッターを閉める8時を待ちながら店内で本を見ていると、子供を二人連れたお母さんがお店に入ってきた。

お母さんがお店の一角にある文房具売り場で、カレンダーと手帳を買い求め、レジで会計をしている間、小学一年生くらいの女の子が妹を連れて店内を見てまわる。

本能的なものなのか、そこに並ぶ背表紙からか、児童書のコーナーに吸い寄せられるようにやってくる。

すると平台に積まれていた本を見つけた瞬間声を上げた。

「お母さん! お母さん、あったよ! この本、誕生日プレゼントの5000円の中で買って欲しい!」

会計を終えたお母さんの手を引っ張り、本を見せる。それは池田書店が刊行する女の子の好きが詰まったような本だった。

お母さんは、うーんという表情を浮かべた。早く家に帰って晩御飯を作りたいという感じだった。

「ねえねえ、だって私、まだ誕生日プレゼントもらってないし」

女の子は足を踏み鳴らして説得にかかる。

誕生日プレゼントをもらえていないのには、もしかしたらお母さんなりの事情があるのかもしれない。5000円はなんでもない人にとってはなんでもない金額だが、なんでもある人にとっては大金だ。

私は棚の前で本を読みながらそのやりとりを見つめ、これはダメかなと考えていた。お母さんはきっと「もう、帰るよ!」と子供たちの手を引っ張り、店を出ていくだろうと思った。

ところがお母さんはOKを出し、女の子は胸に本を抱きしめ、レジに駆けて行った。

レジでは伊野尾さんが、本を受け取る。

「カバーおつけしますか? 袋はお使いになりますか?」

大人とまったく同じ対応だが、少しだけ声が高いような気がした。

「1500円です」

と伊野尾さんが代金を告げると、女の子はお母さんに向かって、「1500円だって」と復唱した。

お母さんはお財布を出しながら、「3500円」とつぶやく。女の子は「?」という表情を浮かべたが、それはきっとお釣りの額ではなく、誕生日プレゼントの残りの金額を伝えたのだろう。もしかすると自分も忘れないために言ったのかもしれない。

伊野尾さんが、やはり大人と同じように「ありがとうございます」と頭を下げて本を渡すと、女の子とお母さん、そして妹がお母さんに手を引かれてお店を出ていった。

店の外で閉店作業を撮影しようと待ち構えていたカメラマンのキンさんは、のちにその女の子の様子をこう話した。

「あの子、本当にスキップするようにしてお店を出てきたんですよ」

伊野尾書店さんは来年3月でお店を閉める。 

11月12日(水)『毒親絶縁の手引き』

  • 毒親絶縁の手引き[改訂新版]: DV・虐待・ストーカーから逃れて生きるための制度と法律
  • 『毒親絶縁の手引き[改訂新版]: DV・虐待・ストーカーから逃れて生きるための制度と法律』
    柴田 収,紅龍堂書店,紅龍堂書店
    紅龍堂書店
    2,640円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS

今月の新刊『直木賞候補作全部読んで予想・分析してみました』の見本をもって、市ヶ谷の地方小出版流通センサーさんを訪ねる。

先に打ち合わせしていた瀬谷出版さんと、『毒親絶縁の手引き』の改訂版を編集した紅龍堂書店さんとともにランチにいく。本物の毒親の壮絶さに背筋が凍る。この本が独親に苦しめられている人の手に取られますようにと思わず祈る。

会社に戻りデスクワークの後、青土社のエノ氏が取り組んでいる出版フィールドワークプロジェクトというもののインタビューのようなものを受ける。

なにやら俺がベストセラーを作ったとか、私があのプロジェクトを成功させたとかの自慢話ではなく、日々個々人が取り組んでいる仕事の現場の話を残すプロジェクトらしい。

なので「本屋大賞の話は一切いりません」とのことで、日常の仕事の話を聞かれるがままに2時間ほどする。

11月11日(火)ビニールネットケース

今月の新刊『直木賞候補作全部読んで予想・分析してみました』の初回注文〆作業に勤しむ。今回はトーハンさんの事前注文分の吸い上げを忘れずにデータを作れ、大勝利。

昼、お休みの書店員さんが遊びに来てくださったので、ランチとお茶。

お店ではバタバタとしかお話できないので、こうしてゆっくりお話できるのは何ごとにも変え難い。

リュックに本をしまうのに、ダイソーで売っているビニールネットケースというのがいいと教わる。本がぐちゃぐちゃにならないようずっとあれこれ試していたのだが、これで解決かもしれない。

11月10日(月)書簡

介護施設からのお迎えの車に母親を乗せ、実家のある春日部より出社。すぐに社内で座談会の収録。そして丸善丸の内本店さんに『神保町日記2025』を、ブックファースト中野店さんに「本の雑誌12月号」を直納にあがる。

鴨葱書店の大森さんに書簡第7便を送る。読んでいる人がいるのかいないのかわからない日記やSNSと異なり、読み手がはっきりしている文章というのはこれはこれでたいへん面白い。書簡はすでに原稿用紙九十枚を超えている。

11月9日(日)美容院

雨。母親を美容院に連れていく。

2年前には母親を美容院に連れていくなんて考えられなかったことだ。

考えられなかったことはほかにもたくさんある。

母親のご飯を作る。母親の着替えをする。母親の爪を切る。母親の入れ歯を洗う。母親の手を取る。

まだしていないのは、母親を風呂に入れる、母親の下の世話をすることか。

いつか必ずするのは、母親を看取る。そして母親を荼毘にふす。

髪を切った母親はうれしそうに美容師さんに手を振った。

美容師さんは「また元気でいらっしゃってください」と頭を下げた。

11月8日(土)笑い声

晴れ。イベントが続き、3週間ぶりの週末実家介護。施設の居心地がよいのか、預けられっぱなしだったことにまったく気づいてないのか、介護施設の人に手を振って笑顔で車に乗った。

庭の植木の枝が伸び放題になっていたので、適当にバザバサ切る。

窓の向こうから久しぶりについてきた娘の笑い声が聞こえてくる。娘はどんな想いでついてきて、そして祖母と何を話、何を笑っているのかはわからない。ただ、ケラケラと笑い声だけが聞こえてくる。

母親の帰宅を待っていたのか、親友である伊藤さんと前川さんが続いてやってくる。

11月7日(金)睡魔

溜まっていたメールの返信を終えた夕方5時過ぎ、突如睡魔が襲ってくる。目黒さんならこのままソファーでダウンだろうが、ソファーは神保町に越してくる際に捨ててしまったし、机に突っ伏して眠るわけにもいかない。

こんなに眠くなるのも珍しい。いやほとんどない。しかし眠くなるのも当然かもしれない。

今朝は4時に起きて真っ暗な中、8キロほどランニングをした。その後はスッキリ隊の出動で、約1000冊の本を運び古書会館に下ろし、会社に戻れば「本の雑誌」12月号が出来上がってきたので、集中して封入作業(ツメツメ)に勤しんだ。

まるで30キロ以上走ったときの、体内のエネルギーが空っぽになったときのような疲労感に襲われる。慌てていただきものの亀澤堂のどら焼きを食す。

終業時間の6時を待って帰宅。上野まで歩くはずが、その体力が残っておらず御茶ノ水駅から電車に乗る。

週末は実家介護でのんびり過ごせるだろう。そして来週は深呼吸しながら仕事ができるはず。

朝、ランニングしながら聴いていた内沼晋太郎氏のPodcast「本の惑星」でもここ数年秋から冬にかけて本のイベントが続きあっという間に師走がやってくるというような話をされていたが、まさしく私の師走も9月から始まっている印象だ。

そして「ブックイベントは第三の本屋である」という指摘はさすがだと思った。そう、ネット通販の対極にブックイベントがあり、それが求められているのだ。

11月6日(木)出川イングリッシュ

朝、秋葉原から歩いて会社に向かっていたところ、淡路町のあたりで女性から声をかけられる。

一瞬なにかの勧誘かと身構えた自分を恥じたい。顔を見ればアジア系の外国人で、スマホを差し出し、画面を指差している。

そこには「Shinochanomizu ST」の文字が記されていた。

あっ、道がわからないのか。

目の前の階段を降りて淡路町の駅から新御茶ノ水駅にも歩いていけるけれど、地下通路もわかりにくかろう。そういえば先日パブリシャーズウィークリーの外国人記者から取材を受けた際、私はまるで出川哲郎の英会話のように「ドゥー ユー ノウ リュウムラカミ?」と質問をして通じたのだった。

OKの意味を込めて大きく頷き、「カモン!」と声をかけ、私は彼女と並んで歩き出した。彼女も安心した表情を浮かべついてくる。

しかしである。よくよく考えてみると、新御茶ノ水駅という行き先は間違っていないが、そこから電車に乗りたいのかは聞いていなかった。

そこで出川イングリッシュを発してみる。

「ドゥー ユー ウォント ライド トレイン?」

しかし彼女は?の表情を浮かべる。どうやら私の「トレイン」という発音が伝わらないらしい。

そこで言い方を変えて「チヨダライン?」と尋ね直すと、彼女は大きく頷き、「なんとかかんとか荒川」という返事がきた。

荒川なら千代田線で間違いない。

地下への入り口で別れてもよかったのだけど、私も急いでいるわけではないので千代田線の改札まで案内した。

改札で別れる時、また私は出川イングリッシュを発してみた。

「ディス イズ チヨダライン。ホームナンバー トゥー」

すると彼女は、満面の笑みを浮かべてこう答えた。

「アリガトウゴザイマシタ」

もしかして日本語ができる人だったのだろうか。

11月5日(水)往復書簡

京都の鴨葱書店の大森さんとひょんなことから書簡のやりとりが始まった。テーマは「これからの本屋、これからの出版」といった内容で、お互い毎度原稿用紙にして10枚から20枚程度書き送っている。

二回りも年下(24歳差)の大森さんとは経験でいえば私の方が圧倒的なのだが、知識や教養ではまったく歯が立たず、さらに現状認識の聡明さには毎度教わることが多い。ほとんど私が疑問に感じていることを問いかけ、大森さんがそれに答えるといった問答になっている。

書簡だから私と大森さんしか読んでおらず、何も気にせず本屋さんや出版のことを語れるのがとても楽しい。私はこういう話をずっとしたかったのだとワクワクしながら手紙を書き、読んでいる。

今日は第五便めの書簡をしたためた。

11月4日(火)運

9時半に京都の定宿となっているアルモントホテルをチェックアウトし、あちこちの書店さんを覗いて歩く。

歩きながら自分の幸運について考える。

36年前、高校を卒業し、八重洲ブックセンターでアルバイトを始められる確率は90パーセントくらいだっただろうか。

その後、一旦父親が営む町工場を継ごうと考え、機械設計の専門学校に入学した。しかし結局、出版社で働くことの夢諦めきれず、歯科の専門出版社クインテッセンス出版に就職することとなる。門外漢の専門学校卒の人間が、大卒でもなかなか入れぬ出版社に採用される可能性は5パーセントあるかどうかか。

さらにそのクインテッセンス出版で3年半働いた後、新聞でたった4行の求人広告で見つけ本の雑誌社に入れる確率は0.1パーセントくらいではなかろうか。あるいはもっと低い確率かもしれない。

私は本当に努力というものをほとんどしてきていないので、クインテッセンス出版に入れたのも本の雑誌社で働けているのも運でしかない。

その運のおかげで、今、京都を歩いている。京都を歩いているとなぜかこういうこと、人生について考える。だから私は京都が好きなのだ。

11月3日(月・祝)おひがしさんブックパーク

6時すぎにホテル尾花を出、近鉄奈良駅に向かう。昨日あれだけの人でごった返していた街中はまだゴミ収集車以外の姿もなく、街自体が寝静まっていた。

京都駅に着いたのは7時半。昼食抜きになる可能性が高いため八条口前のなか卯に入り、銀鮭牛小鉢朝食(具だくさんとん汁に変更)を食す。店内はインバウンドのお客さんでいっぱいで、商品の出来上がりを告げるアナウンスも多言語で伝えられている。

8時過ぎに会場となる東本願寺に着くと、すでに140Bの青木さんが車で荷物を運び終えてくれていた。今日は「おひがしさんブックパーク」という本のイベントに140Bと英明企画編集と本の雑誌社の3社で合同でブースを出すのだった。

10時開店を目指し本を並べていると強い風とともに北の空から真っ黒い雲がやってきて、テントを建て終えた頃、ポツリポツリと雨が降ってきた。そこから断続的に雨が降り続ける。

ウインドブレイカーのフードを被り、息子のことを思う。きっと今頃息子も寒空の下、サッカーグラウンドにいるだろう。サッカーの仕事についた息子は、毎日、外にいる。雷以外の日は、雨が降ろうがボールを蹴っている。びしょ濡れになって帰ってくることもしばしばだ。

息子は何を思って毎日働いているのだろうか──。

いつも息子は玄関を開けると大きな声で「ただいま」というのだった。
そして晩御飯のメニューを確かめるようにして食卓を覗くと、「よし」っと小声でつぶやき風呂場に向かう。

そこには微塵の後悔もなく、その日一日太陽や月の下で身体を動かし働いた人間だけが手にできる疲労と満足感がみなぎっている。

雨の中、本を売る。ここ数日、私も空の下で必死に働いている。
息子の背中が東本願寺に向こうに見えた。

11月2日(日)啓林堂書店50周年イベント

早朝6時半に家を出、東京駅8:18分発のぞみ309号に乗車し、京都経由で奈良を目指す。

本日は啓林堂書店の50周年記念イベントにお呼ばれし、15時から「良い本が生まれて、読者の手元に届くまで。」と題し、ライツ社の代表大塚啓志郎さん、髙野翔さんと公開トークをするのだった。

ライツ社は今時の出版社には珍しく、創業時からトーハン日販という取次と口座を開設し、大きな部数を目指す出版活動をしており、実際『認知症世界の歩き方』や『リュウジ式悪魔のレシピ』『放課後ミステリクラブ』などベストセラーを多数輩出しているのだ。

二人に話を伺ってみると勉強になることがいっぱいあった。

なぜ売ることをこんなに意識しているのかと問えば、それは高野さんの原体験から湧き出た想いで、「たくさん売れれば売れるほどその本を必要としている人に届く」との信念からだった。

様々なジャンルの本を編集している大塚さんは「頭の中にテーマがいろいろあって、テレビとかいろいろなものを見たり聞いたりしているうちにこの人だ!と著者に出会う」という。

何よりも営業も編集も一冊にかける工夫やこだわり、そして時間がいっぱいなのだ。

奈良に来てよかった。

11月1日(土)本の産直市at伊野尾書店

朝9時に中井の伊野尾書店さんに集合し、17社の出版社の人たちと軒先に机を並べ本を売る。180センチの長机を白水社と半分こし、そこが本日の本の雑誌社の本屋だ。

昼過ぎから大変な人出となり、外だけでなく伊野尾書店の店内もお客さんでいっぱいになっている。
このお店が来年3月に閉店するなんて信じられない。

「ハレの日しか売れない」というのはここ数年書店さんから聞こえてくる言葉だ。たしかに神保町ブックフェスティバルやBOOK MARKETの売上は年々増えているのに、日常の書店さんの売上が前年を超えることはほとんどない。「本を買う」という行為がイベントになってしまっているのだろう。

小さなスペースでお客さんに本を薦めながら、しかし今はなんだっていいと思った。
どんなときでも本を買ってくれさえすれば、本を読んでくれさえすれば、それでいいと思った。

一冊の本に出会えれば、本を買い、読むという行為は日常になるのだから。

そしてなにより伊野尾書店の売上になるならそれでいいのだ。

10月31日(金)ぎっくり腰

朝、タンスから靴下を取り出そうと腰を捻った瞬間、何やら身体の内部からピキーン!という音が聞こえ、激痛が走った。おおおおお!これが噂に聞くギックリ腰というやつかとそのまましばし動かず、しばらくしてゆっくりとベッドに横になった。

もしこのまま動けなくなってしまったら本日のスッキリ隊はどうなってしまうのか。古書現生の向井さんと浜本は不参加で、立石書店の岡島さんと私が出動することになっているのだ。岡島さんがどんなに仕事ができるといってもあの急な階段を何度も登り降りさせるのは申し訳ない。

ゆっくりゆっくり身体を動かしてみると、痛みはそれほどひどくなく、立ち上がることができた。腰を動かしてみると痛いというほどでない違和感がある程度。ぎっくり腰手前のきっくり腰か。恐る恐る身体を曲げて靴下を履き、スッキリ隊出動となる。

依頼主の自宅に着く頃にはほとんど痛みもなく、それでもゆっくり荷物を持ち上げるようにする。約3時間の作業を終え、できるかぎりの本を運び出す。昨日に引き続き、神保町の古書会館に本を下ろし、任務完了。

午後、会社に出社し、夜までデスクワーク。土砂降りの中、帰宅する。

10月30日(木)段ボール40箱

直行で都内某所へスッキリ隊出動。腰の調子が悪いスッキリイエローこと古書現世の向井さんは残念ながら不参加。

段ボール箱40箱と聞いていたので運び出すだけと考えていたのだが、玄関をあけるとすぐに本棚があり、なぜかそこに本がずらりと並んでいる。しかも案内されるがままに各部屋を見ていくと驚くほど大量に本があるのだった。それらをすべて整理してほしいらしい。

依頼主が伝えてくる本の数ほどあてにならないものはない、というのは古本屋講座の一時間目に教わることらしいが、ここまで数が違うのもなかなか珍しい。

スッキリグリーンこと立石書店の岡島さんが今日一日で終わらないことを瞬時に判断され、明日もスッキリ隊出動が確定する。臨機応変にスケジュールを調整するのも古本屋講座の一時間目に教わることだ。

段ボールといってもいろいろなサイズがあるのだが、本日本がみっちり詰められた段ボールはかなり大きな方の段ボールで、それを必死に持ち上げ、急な階段を登り降りする。階段のファンタジスタ見参!と気付けばTシャツ一枚になっているのであった。

昼過ぎに本日分の作業を終え、神保町の古書会館に向かう。

夕方会社に戻って、デスクワーク。明日の予定が変更となり、版元営業の私は頭を抱える。

10月29日(水) ネジが緩む

「働き過ぎだから休みなさい」と妻から厳命が下り、会社を休む。言われてみればここで休まねば、あやうくまた19連勤になるところだったのだ。

休むと決めた瞬間に全身ネジが緩んだのか強烈な疲労感に襲われ、そのまま終日ベッドの上で過ごす。

10月28日(火)間違う力

夕方、AISAの小林渡さんと高野秀行さんの家に向かい、初出店する「文学フリマ」の打ち合わせ。

今回は高野さんの初ZINE『チャットGPT対高野秀行 キプロス墓参り篇』(B6並製 132ページ 1300円税込)という旅行記と、『寛永御前試合』(B6並製 72ページ 1000円税込)というプロレス剣豪小説を作り、販売することになっている。

作り始めたら写真を入れたり、地図をつけたり、しまいにはカラーページを作ったりと日頃やっている仕事となんら変わりなくなってしまい、もうZINEなんて二度と作らない!と絶叫寸前となっていたのだけれど、高野さんと渡さん曰く、そうなったのは私のせいで、お二人はもっとゆるいものを考えていたという。

ビール片手の高野さんから「なんで杉江さんがこんなに本気になってるのか不思議に思ってたんだよ」と言われ、「完全に杉江さんの間違う力の暴走だよ」と呆れられたときには愕然となった。

そ、そうなのか......。私が一人相撲をとっていたのか......。私はてっきり逆だと思っていたのだが、いったい私はどこで間違えたのだろうか。

ひとつはやはり人のものを作るというところだ。これが自分の日記をまとめたZINEならば肩の力も抜け、売れなくても当然という気分で作れたはずだ。

それが人の本、特に高野さんの本となればやはり通常の仕事モードに突入せざるを得ない。

さらにこれを「売ろう」と思ってしまったところだ。原価計算をして、損益分岐点を出し、何部売れたらいくら利益がでるなんて皮算用をしてしまった。ZINEだから儲ける気もないのに、やはり本を前にすると私は儲けるのが至上命題になってしまう。これはもはや職業病だ。

会場に何冊持っていくか、釣り銭はどれくらい用意したらいいのかなど3人で話し合っていると、高野さんがぽつりともらした。

「50歳過ぎて、こんな文化祭みたいにワクワクことがあるのすごいよね」

そう、そのためにZINEを作っているのだ。

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