2月9日(月)本の雑誌動乱録 その2
本の雑誌社から届いた封書には書類審査を通ったという書面と地図が入っていた。今ならスマホで行き先がすぐわかるけれど、当時はスマホもなく、どこかに行くには地図が必要だった。送られてきた地図は手書きのイラストで記された地図だった。
本の雑誌社は京王線の笹塚駅から十号通り商店街というのを抜け、住宅地の真っ只中にあるようだ。ほとんど真っ直ぐなので間違いようはなさそうだが、ただとある交差点に「不安になってもまだ真っ直ぐ進んでください」と書いてあるのが気になった。
面接の日時を決めるのに初めて本の雑誌社に電話する。まさか椎名誠が電話に出ることはないだろうが、それでも緊張した。呼び出し音が一度か二度鳴る前に女性の声が聞こえ、面接を受ける者ですと伝えると担当者に代わった。
その時勤めていた歯学書の出版社の勤務時間は9時から18時だった。営業で外回りしていたとはいえ勤務時間中に面接に行くわけにはいかず、終業後でいいかと訊ねると問題ないとのことだった。会社のある御茶ノ水から笹塚まで余裕をもって一時間と考えた。面接は9月下旬の7時と決まった。
椎名誠に会えるかもしれない。そのことで激しく緊張した。
それまで椎名誠が監督した映画の上映会に付随したトークショーに出かけたこともあったし、サイン会に並んだこともあった。しかしそれは会ったというほどのものではなく、ただただその姿を眺めるという程度だった。
それでも私は椎名誠のオーラに完全にノックアウトされていた。全身から放たれるただ者ではないオーラに足が震え、声をかけるどころではなかった。
作家・椎名誠との出会いは、実はテレビだった。ザッピングしていたテレビにムツゴロウさんこと畑正憲が映し出され、私はリモコンの指を止めた。当時、動物王国など季節ごとに特番が組まれる人気ものだったのだ。そのムツゴロウさんの隣に黒々と日焼けした人が、柔和な笑顔を浮かべて座っていた。それが椎名誠だった。
平成元年、1990年の6月のことだったと思う。その年、私は高校を卒業し、浪人となり、予備校通いをしていたのだ。
通っていた高校は95%が大学か短大にすすむ進学校で、同級生はみなその春、受験をし、受かったり受からなかったりしたが、なんの迷いもなく大学にいくことを目標としていた。
私もその流れに浮かんでいたものの、ずっと心の奥底で悶々としていた。なぜ大学に行かなきゃいけないのか、それがわからなかったからだ。
学校の先生は大学に行かなければ人生は終わると脅した。両親は自分たちが大学に行っていないから大学は出ておけといった。5つ年の離れた兄は、自身の大学生活を思い浮かべ、「大学は自由な時間がいっぱいあるから好きなことができる」と薦めてきた。
しかし私はその自由な時間に魅力を感じていなかった。実は校則のない高校ですでに三年間自由を履き違え、自由な時間をとことん謳歌してしまっていたのだ。もうこんな無駄で怠惰な時間には耐えられなかった。
さらに私を悩ませたのは「好きなこと」だった。兄はその好きなことである音楽に大学生活を費やしイカ天などに出場していたが、私にはそもそも好きなことがなかった。
大学に行け。
好きなことを探せ。
その二つに私は追い詰められていた。
その春、まったく身の入らないまま受けた大学はすべて不合格となり、流されるように浪人し、代々木の代々木ゼミナールに漂着していた。
そうして2ヶ月ほど経った頃、高校の同級生で親友の下澤くんと秋葉原駅で会った。会ったというか待ち合わせをしていた。
下澤くんも大学受験に失敗し、水道橋の研数学館という予備校に通っていた。親友ならば同じ予備校に通えばいいと思うのだが、下澤くんはそれだと絶対遊んじゃうからと同窓生がほとんどいない予備校に通っていた。
日比谷線の電気街口の改札口で下澤くんを見つけると私たちは並んで改札を通り、ホームに立った。どこかに立ち寄るわけではなく、秋葉原から北千住、そしてそれぞれの家がある東武伊勢崎線に一緒に乗って帰るだけだった。週に一度、それが浪人生に許された唯一の息抜きだった。
北千住で東武伊勢崎線に乗り換え、青い空の下を黒々と流れる荒川を渡ったときだった。文系だった私は、それまでの2ヶ月で日本史と英語の成績は上がったものの、どうしても国語が成績が芳しくなく、そのことを下澤くんに相談したのだった。
すると下澤くんは笑みを浮かべてこう言ったのだ。
「それは杉江が、本を読まないからだよ」
★ ★ ★
雪もすっかり溶けており、無事介護施設に車がやってくる。二泊三日の幽閉から解放される。
直行で市ヶ谷の地方小出版流通線ンターさんへ新刊の見本出しに伺う。いまだに「配本」を期待している出版社がいるというのに驚く。
見本出しを終えるとすぐに会社に戻り、納品されたばかりの「本の雑誌」3月号のツメツメ作業に勤しむ。
16時半に終了。駒込の青いカバさんと千駄木の往来堂書店さんに直納。





