『たずねる 半田健人の歌謡曲対談集』

著者:半田健人

定価2200円(税込)

2025年4月23日発売

昭和の暮らしの真ん中には歌謡曲があった。

 

その時折の流行り歌を聴けば〝時代に漂っていた空気感〞みたいなものを擬似体験できるのではと考えたんです。そしたら歌謡曲にどっぷりハマってしまって。......60、70年代の歌謡曲のもう何もかもが自分にとって理想的な音楽でした。すると必然的に「誰が作っていたんだ?」となりますよね。そうやって作家マニアになっていきました。


俳優(「仮面ライダー555(ファイズ)」主演)であり歌謡曲研究家でもある著者が、高度成長期の日本を元気づけた昭和歌謡界の立役者たちに、ニッチな質問を次々と投げかけ、貴重な証言をあつめた異色対談集。

【対談者】
林哲司(作曲家)
山上路夫(作詞家)
馬飼野俊一(作曲家・編曲家)
前田欣一郎(レコーディングエンジニア)
植田芳暁(ザ・ワイルド・ワンズ ボーカル&ドラマー)
本城和治(音楽ディレクター)
田中清司(ドラマー)
伊東ゆかり(歌手)

【著者略歴】
半田健人(はんだ・けんと)

1984年6月4日、兵庫県芦屋市生まれ。俳優・歌手・音楽研究家。「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」のファイナリストに選ばれたことをきっかけに芸能界入り。2003 年「仮面ライダー 555(ファイズ)」乾巧(いぬい・たくみ)/仮面ライダーファイズ役で初主演を飾る。

また 2014 年、自身初のオリジナル・フル・アルバム「せんちめんたる」を CD&LP 同時発売。2016年にはビクターエンタテインメントからメジャー・デビュー・シングル「十年ロマンス」をリリースするなど、俳優のみならず音楽のフィールドでも精力的に活動を行っている。レギュラーラジオ番組「林哲司・半田健人昭和音楽堂」(SBS)は十数年にわたる長寿番組。「タモリ倶楽部」への出演を機に、高層ビル好きであることが知られるようになるが、鉄道や歌謡曲のジャンルへの造詣も深く、ビザールギター収集家としても知られる。

【目次】
プロローグ ── 3


林 哲司 たずねるⅠ
シティ・ポップと呼ばれる「軽さ」、されど創る「深さ」!14
ラジオ「昭和音楽堂」で半田とは十数年の付き合い ──15
初見で聴くとまずサウンドが入る「音楽耳」は2人の共通点 ──18
作曲で影響を受けたのは加山雄三さん ──19
初めて作曲した曲はクラス内で大ヒット ──21
受け入れられなかった70年代 ──25
にわかブームで自作をシティ・ポップと呼ばれることについて ──27
要求に応えて音楽を作るというヒットメーカーの宿命 ──32
曲は誰のもの? 作品は自分のアイデンティティ ──35
4畳半でオメガサウンドが誕生 ──38
音楽を多くの人で共有し作り上げた時代 ──43
歌手から始めたからこそできる現場での雰囲気づくり ──44
半田が好きな音楽を追究できたのは林先生のおかげ ──46
取材対談を終えて ──47

山上路夫 たずねるⅡ
「歌謡曲の時代は終わっちゃった」50
「歌謡曲は終わっちゃった」 ──51
月に作った詞が100曲。作詞家がプロデューサーの役割も担っていた時代 ──54
ちょっと先のものを詞にして梓みちよを再起させた「二人でお酒を」 ──55
半田が選んだ山上作品①「電車」 ──59
半田が選んだ山上作品②「幸せな絵のように」 ──61
曲に合わせるのではなく曲を生かすように詞を書く ──64
半田が選んだ山上作品③「ある青春」 ──66
作詞家と作曲家が同じ方向を向いているとヒットしない ──70
歌謡曲のエッセンスを残して新しい作り方をしたほうがいい ──71
取材対談を終えて ──75


馬飼野俊一 たずねるⅢ
作ったら忘れる。気がつけば編曲数1万2000曲に 78
阿久先生が引き合わせてくれた馬飼野先生とのご縁 ──79
音楽一家に育ちアレンジの面白さを体感 ──80
馬飼野サウンドにビートルズの影響はほとんどない ──81
父の反対を押し切り実家のカレー屋を継がず上京 ──82
ボンミュージック企画専属になり月60曲がノルマに ──84
給料がもらえても栄養失調だった日々 ──86
トレードマークのヒゲはスタジオミュージシャンになめられないため ──88
睡眠時間2時間。美女からのお誘いも断るほど多忙な日々 ──89
続けられたのはアレンジが好きだったから ──92
2小節のイントロ効果で弾き語りをする若者が急増「白いギター」 ──95
時代の移り変わりを感じた萩田光雄氏の登場 ──96
8ビート演歌「北酒場」で起死回生 ──97
森岡氏のアレンジに学んだ「歌を邪魔しないアレンジ」 ──100
歌詞が聴く人の心に届くように工夫 ──101
若いアレンジャーへのメッセージ ──103
取材対談を終えて ──105


前田欣一郎 たずねるⅣ
全ての音に制作者達の意図がある 108
前田氏は半田憧れのミキシングの神様 ──109
ヘッドフォンがない時代のボーカル録音 ──111
前田氏が録るドラムの音の謎と魅力──114
「野口五郎オン・ステージ」の臨場感ある歓声のバランス ──116
タイガース「花の首飾り」ではスピーカーをマイク代わりに ──117
ラインとマイク3系統でベースを録音。江藤勲「ベース!ベース!ベース!」 ──120
タイガースの演奏を生かしつつスタジオミュージシャンの音をミックス ──123
「シーサイド・バウンド」のラストは沢田研二のこだわり ── 126
ビオラの拾い忘れですぎやま夫妻のキューピッドに!?──128
ブレスフィルターがない時代にパンストで手作り ──130
ヘッドフォンリスニングの弊害 ──132
前田氏がドラムの音を真ん中に置かないわけ ──134
「打ち込みでミックスする時のアドバイスはありますか?」 ──136
取材対談を終えて ──140


植田芳暁 たずねるⅤ
1960年代は試行錯誤と創意工夫の連続 142
ドラムを叩きながら歌うスタイルのはしり ──143
内田裕也氏がマイクとの間に2本指を挟むのは...... ──145
リーダーを喧嘩の強さで決めるGSバンドは多かった ──146
そもそもワイルド・ワンズはGSバンドなのか ──149
個人契約だったことでもワイルド・ワンズは珍しいバンド ──151
深夜のお寿司が楽しみだった超多忙時代 ──152
スタジオミュージシャンを起用した「青空のある限り」の別テイク ──154
「ザ・ファイヴ」は植田さんも大好きなアルバム ──156
少年・山下達郎も観に来た「若草萌える頃」の苦心の音作り ──158
半田長年の謎。細いドラムスティックと幻の電子ドラム ──160
鉄工所通いで改良したシンバルスタンド ──164
花街・渋谷を若者の街にした「花のヤング・タウン」 ──165
取材対談を終えて ──167


本城和治 たずねるⅥ
〝国産〟ポップスの仕掛け人 170
GS時代を築いた伝説の立役者 ── 171
あくまで本人演奏にこだわるのが本城スタイル ──173
フィリップスの国産第1号、スパイダースを担当 ──176
リンド&リンダースのレコーディング ──178
「歌を小さめ、バックを大きめに」を意識していた時代も ──181
「また逢う日まで」 イントロのドラムの謎 ──184
スナック全盛時代の「小さなスナック」 ──186
GSの衰退はファンの低年齢化と歌謡曲化が影響 ──193
今の人にも自然な声の歌を残してほしい ──196
取材対談を終えて ──199


田中清司 たずねるⅦ
叩けば軒並みヒット「どうにもとまらない」「勝手にしやがれ」「雨の慕情」......    202
名ドラマー、ジャッキー吉川さんに手ほどきを受ける ──203
穂口氏との縁をつないだせんだみつお氏 ──207
大学時代は中川三郎ディスコティックで演奏 ──210
GSバンド、グリーン・グラスでデビュー。当時のジャズ喫茶事情 ──212
米軍キャンプで盛り上がった「スタンド・バイ・ミー」 ──215
スタジオミュージシャンの初仕事はソウル・メディア ──218
「また逢う日まで」のイントロの「ドン」は誰の音? ──220
「どうにもとまらない」「襟裳岬」「雨の慕情」......田中清司が叩けば売れる? ──223
最盛期は1000万円プレーヤー並み ──226
自分の音をもっているのがプロ中のプロ ──229
取材対談を終えて ──230

column 僕と江藤勲さん ──232


伊東ゆかり たずねるⅧ
今の自分の声に合う新曲なら歌ってみたい 236
自分のレコードを聴くのは好きじゃない ──237
歌謡曲よりはポップス系のほうが好き ──240
「小指の想い出」のレコーディング ──243
半田が思う伊東ゆかりさんの魅力 ──246
レコーディングをする姿は誰にも見せない ──249
今の自分の声に合う新曲なら歌ってみたい ──253
「半田さん、新曲作ってください」 ──255
半田の無精な性格まで変えたゆかりさんの歌の効果──259
取材対談を終えて ──261

たずねるⅨ 歌謡曲をたずねて 264
東京で就職したくて芸能界へ ──265
音楽家を目指しながらも俳優でデビュー ──267
昭和への憧れ、そして研究 ──268
目的に合わせた音楽づくり ──271
半田健人の音楽リリース歴 ──273

エピローグ ──274

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