【今週はこれを読め! エンタメ編】さらに進化した羽田圭介の芥川賞受賞作『スクラップ・アンド・ビルド』

文=松井ゆかり

  • スクラップ・アンド・ビルド
  • 『スクラップ・アンド・ビルド』
    羽田 圭介
    文藝春秋
    1,148円(税込)
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 いまや相方のピース綾部以上に"又吉じゃない方芸人"(作家だが)として大活躍中の、羽田圭介先生の芥川賞受賞作。「『黒冷水』(河出文庫)の頃から大物の片鱗があったもんなあ...」と、デビュー作から読んでいる読者は今こそ自慢するべき時(私もだ)。『黒冷水』に満ちあふれていたシニカルさとおかしみは、この『スクラップ・アンド・ビルド』にも受け継がれ、さらに進化している。

 本書の主人公・健斗は28歳。5年間勤めたカーディーラーの職を自己都合で退職し、現在は再就職に有利な資格を取るために勉強中。母親と、3年前からは母方の祖父とも同居している(他にすでに嫁いだ姉が1人。父親は健斗が小学2年のときに他界した)。祖父は87歳で(小説内で88歳の誕生日を迎える)、週に3日デイサービスに通う身。ことあるごとに「健斗にもお母さんにも、迷惑かけて......本当に情けなか。もうじいちゃんは死んだらいい」(祖父は長崎出身)と口にしている。亡くなった私の母も認知症だったので、親の衰えとともに家族間の会話がぎすぎすしてくる様子はよくわかる。母親が自分の父を口汚く罵る様子を身近で聞かされているにもかかわらず、健斗が真剣に祖父のことを思いやる様子には感心させられた。しかしながら、健斗のその優しさはとんでもない方向に向かうことになる。

『黒冷水』で家族に向けられた視線はひたすら厳しいものであった。が、本書において健斗は、「自分は今まで、祖父の魂の叫びを、形骸化した対応で聞き流していたのではないか」「苦痛や恐怖心さえない穏やかな死。そんな究極の自発的尊厳死を追い求める老人の手助けが、素人の自分にできるだろうか」と自問し、「これからは、過剰な足し算の介護を行うのだ」「本当の孝行孫たる自分は今後、祖父が社会復帰するための訓練機会を、しらみ潰しに奪ってゆかなければならない」との心境に達する。使わない機能を一気に衰えさせることで、祖父を弱らせ安楽な死に向かわせようという計算だ。柔らかいものしか食べようとしない祖父の目の前でビーフジャーキーをかみちぎり、わざわざ腕まくりをして若者の太くてしなやかな筋肉を見せつける。こういった描写は、健斗が大真面目であるがゆえに非常に滑稽で、思わず笑ってしまった箇所も1つや2つではなかった。現代社会において、高齢者とその家族を取り巻く状況は決して笑い事ではないけれど。

 よかれと思ってさまざまな小細工を弄する健斗だが、祖父がほんとうはまだ生きたいと思っているのではないかという疑念が払拭されることはない。自分たちの都合で過剰なケアをすること(仕事の邪魔をされないように、転倒されて責任追及されないように、介護等級が上がることで国や自治体から施設へ支給される金額が上がるように等々)と自分が祖父のために行う行為が、表面的には同じものであるという自覚もある。どうすることが最善の道なのか。揺れ動く彼の心は、あらゆる介護者の内に存在するものに違いない。そもそも、相手の希望を100%叶えるなどということは、健常者同士であっても不可能だ。みんながちょっとずつ遠慮したり不満を持ちつつ、面倒がったり時には的外れなことをしたりしながらそれでもお互いのために行動するのが、まさに正しい家族のあり方ではないだろうか。そこに介護の問題などが絡んでくるとまた話はややこしくなるが、なるべくストレスを溜めないように、介護のプロの手を借りながら、思いやりを失うことなく暮らしていけたらいいと思う。

 ラスト、自分より弱い存在によって自尊心を支えられていた健斗と、自分を小さく見せることで楽に流れがちだった祖父は、それぞれ自立への一歩を踏み出すことが示唆される。不安の中で、それでも前に進まなければと思う彼らは同志のようなものだ。先行きの見えない健斗にも、人生の終盤にさしかかった祖父にも、幸あれと願う。

 羽田氏のデビュー作について、以前当サイト内にあった「今月の新刊採点」コーナーにて書評を書かせていただいたことがある(「黒冷水」でサイト内検索をかけるとバックナンバーをお読みいただけます)。当時はとにかく、息子がこのようなとんでもない小説を書いたことについて羽田少年の親御さんに感想を聞いてみたいという気持ちでいっぱいだった。当時17歳だった少年ももうすぐ30歳、現代日本が抱える問題に鋭く切り込んだ、より厚みと深みのある作品を書かれた著者の成長ぶりには目を瞠る思いである。しかしながら作中には依然として、恋人との「一度目の射精が滅法早い」性行為や「毎日死ぬほど行ってる」自慰行為に関する描写といったものも存在するのだ。12年の時を経ていま一度胸にわき上がる、「息子さんがこれを書かれたことをどのように受け止めておられますか?」という問いが。

(松井ゆかり)

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