【今週はこれを読め! エンタメ編】子どもの気持ちを描き出す『江國香織童話集』

文=松井ゆかり

 "江國香織といえば恋愛小説の名手"。"太陽は東からのぼる"と同じくらいといってもいい真理ではないだろうか。私もなんら異論はない。しかし江國さんのさらなるすごさは、それほどまでに大人の男女の機微を知り尽くしている一方で、過ぎ去った子ども時代の気持ちを描き出すことができるところにあると思っている。ふつう大人になったら、子どもの頃の気持ちなど顧みることはなくなってしまう。反対に、いつまでも子どもっぽい人は、大人としてのつらさや悲しみと向き合うことを避けがちである。だが江國さんの中には、少女と大人の女性(そしてまだ経験されていない老婦人までも)がいずれも自然に存在しているように思われるのだ。

 そんなわけで、まさに現役の子どもが率直に書いているかのような江國さんの童話をこそたくさんの読者に読んでいただきたいと思う。大人の恋愛を抜きにしても、江國香織という作家はこんなにも素晴らしい作品を生み出すことができるのだと知っていただきたい。一口に童話といっても、子ども向けというくくりには収まらないような話もたくさんあることは、多くの方がご存じだろう。アンデルセンにしてもグリム兄弟にしても、甘いだけではない、残酷だったりエロティシズムを感じさせたりする物語を多く残した。本書にもまた、小動物虐待や幼い少女と修行僧の恋が描かれた「桃子」のような作品もいくつか含まれている。ショッキングではあるが、これが一般小説だったらさらに生々しくなるだろうから、江國作品のいわゆる不倫の恋的な話を少々重いと感じる方にとっても、童話という形で読まれるのはおすすめである。

 出版元である理論社のサイトによれば、本書は"デビュー作『つめたいよるに』に収められた名作「桃子」「鬼ばばあ」「草之丞の話」はじめ20代に次々発表した短編童話30余を網羅した作品集""「モンテロッソのピンクの壁」「あかるい箱」などの絵本に書き下ろされた作品も文章のみで。唯一21世紀に入ってからの作品「おさんぽ」も併録"。今回いくつかの作品については再読となったが(『つめたいよるに』や『デューク』などそれぞれ一冊の本として読んだことがあった)、特に印象に残ったのは男の子のキャラクターが魅力的なこととストーリー展開の巧みさだった。男の子の魅力については「女のドリームだ」と揶揄されてもしかたないが、彼らの健やかさを私は愛する(ああそれなのに、江國作品の男たちは大人になると不倫に走ってしまう!)。幼い恋に戸惑う少年も微笑ましいが、女の子のことなんて眼中にないような男子はもっといい。「草之丞の話」の風太郎なんて超キュートだ。

 そしてもうひとつ、いくつかの作品についてはショートショートのような味わいがあることに驚かされた。これまで登場人物たちに心情を鮮やかに描き出す筆力には大いに感銘を受けていたけれど、物語の筋の運びのうまさにはうかつにも注目していなかったのである。「デューク」や「ラプンツェルたち」など、オチというか結末がきれいに決まっているなあと感じ入った。私が本書で最も気に入った作品は「南ヶ原団地A号棟」(なぜなら、思わずふふっとなってしまう結末に加えて、この短編には利発でやや生意気な男子キャラ・加藤健一郎も登場するから)。語り手である加藤くんたちの担任教師のキャラクターもいいい。

 江國さんは小説や童話以外にも、詩や翻訳を手がけられている作家だ。さまざまな手法で自分が書きたいことを表現できるのは、やはり才能があってこそと言わざるを得ないだろう。あらゆる層の読者が自分が読んでみたいと思う形で、江國香織という作家の言葉を受け取れるということであるのだから。

(松井ゆかり)

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