【今週はこれを読め! エンタメ編】お誕生会をめぐる短編集〜古内一絵『お誕生会クロニクル』

文=松井ゆかり

 何歳になっても誕生日はうれしい。それはその通りとして、私はずっと8月下旬の自分の誕生日が好きではなかった。①夏が苦手②夏休みの宿題が終わっていないと焦り始める時期なので、心から楽しめない③8月には原爆の日や終戦の日などがあるので、大っぴらに喜ぶのはためらわれる...といった感じ。誕生会そのものの思い出としては、幼稚園で催された会が7・8月合同だったうえに、おやつがぶどう(デラウエア)一房だけだったことも心のしこりとなっている(他の月はカップケーキとかクッキーとかチョコレートとかだった)。

 本書はお誕生会をめぐる連作短編集。ほとんどの短編に関係してくるエピソードが"都内の小学校でお誕生会禁止令が出たこと"だ。ある小4女児の母親が娘のお誕生会にクラスの女子全員を招いて、我が子の学校での様子を根掘り葉掘り聞き出したことからトラブルになったのが原因だという。禁止令によって、過去の苦い思い出に囚われたり現在進行形の苦悩に苛まれたりする大人たち、そしてさまざまな理由で不満を募らせる子どもたちの心情が切々と描かれる。

 子どもの幸せを願わない親はいない、と思いたい。それでも人の考えはそれぞれで、親子といえども思い描く幸せの形が同じとは限らないのだ。トラブルを引き起こした当事者である佐藤美優は、自分の娘・結奈が自らの存在感をアピールすることに関心がなく女の子らしく着飾ったりするのにも乗り気でない様子なのが歯がゆくてしかたがない。17歳で結奈を出産した美優はいまだグラビアアイドルのように整った容姿で、少女の頃はずっとお姫さまになりたいと夢見ていた。中学生の頃には芸能事務所のオーディションを受けたこともある。しかし、美優の夢はことごとく実の母親である雅子によって退けられてきた。雅子は芸能界など俗っぽいと決めつけ、娘が選んだかわいらしいワンピースをけなし、食卓に並べるのは添加物の入らない食事ばかり。雅子への反発もあって、美優は結奈を地味な友だちや華やかさに欠ける趣味から遠ざけようとするのだが...(「月の石」)。

 家族に対して、よかれと思ってしたことが完全な空振りに終わるのは珍しくないし、自分の考えをつい押しつけてしまうという経験のない人もいないだろう。けれども、ほんとうにお互いを思い遣っている者同士は、一時的には仲違いすることはあってもきっとわかり合えると私は思う(残念ながらそうでない場合もあると知ってはいるけれど...でも、可能性の問題として)。

 個人的に最も印象に残った最終話の「刻の花びら」は、お誕生会禁止令を推進した4年生の学年主任・西原文乃が主人公。学校では人望のあるベテラン教師として生徒からも同僚からも頼りにされる文乃だが、家庭では認知症の実母・稲子との関係に苦しんでいる。明るくて社交的だった稲子は、ずっと文乃の"お手本"だった。彼女たちの姿は、私と母の思い出にも重なる。引っ込み思案だった私は、誰とでもすぐに打ち解けられる母親が目標だった。しかし、亡くなる数年前から母は認知症を発症し、まるで別人のようになった。あんなに快活だったおかあさんがという戸惑いは大きく、私は時に母を責めるような発言をしてしまった。そんな言葉を投げても、よけいに母を追い詰めるだけだと知っていたのに。だから、「刻の花びら」を読んで少しだけ救われたような気がした。母の場合も周囲の者が予想する以上に物事がわかっている瞬間もあって、他の家族たちを心配してくれたり苛立つ私を許してくれていたかもしれないと。私の誕生日を祝おうとする気持ちも、次第に判断力が失われつつある心のどこかには存在していたのではないかと。

 誕生日は誰にとってもかけがえのない日。誕生会というものが絡むと少々面倒になるとしても。でも、どんなことが大切か、何を幸せと感じるかは人それぞれだ。いま考えれば、私も誕生日のプレゼントが希望のものと違ってちょっとがっかり、といったこともあった。それでも、自分の成長を可能な限り最大限に祝ってくれようとした両親や友だちの思いは、心からありがたかったと思う。もしも、人生いろいろあるけど生まれてきてよかったと思えたら、それは最高の誕生日プレゼントになり得るといえないか。かけがえのない家族に、祝福してくれた友だちに、いまは亡き愛情を注いでくれた両親に、そして私自身に「おめでとう、この世界に生まれたすべての私たち」「大切な人たちに出会えて、おめでとう」と言いたい。

 それにつけても、そろそろコロナという題材を盛り込んだ作品が出てきているのだな...という感慨が。
(松井ゆかり)

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