【今週はこれを読め! コミック編】喪失から始まる家族の物語〜たろ『浦さんちのロスタイム』
文=田中香織
サッカーの試合で、「ロスタイム」が「アディショナルタイム」と呼ばれるようになって久しい。その変更理由を検索してみたところ、二つの要因があった。ひとつは「ロスタイム」が和製英語だったことから、国際的に通用していた呼び名への統一を図ったこと。くわえて、「ロス」という単語が持つ「損失」や「喪失」「無駄」といったネガティブな響きが、「できる限りポジティブな言葉を使おう」という昨今の風潮と合わなくなった点が挙げられていた。
理由は納得できたものの、過去の言葉が馴染んでいる身としては、その5文字が愛おしい。だから本作のタイトルに懐かしさを覚えたのも道理だろう。徐々に消えつつある用語が紡ぐのは、ある家の話だ。
1ヵ月前に一人娘を交通事故で亡くした男は、彼女の忘れ形見である孫・ニコを引き取ることになった。頑固一徹の性格ゆえ、娘から10年以上前に絶縁されていた彼は、現在中学2年生であるニコとろくな面識がない。1年前に他界した妻は、娘や孫とそれなりに連絡を取っていたらしい。しかし、不器用な彼はニコをどう迎えたらいいのかわからず、ひとり右往左往する。
そんな男の元にやってきたニコは、実にマイペースだった。ほぼ初対面の彼を「おじじ」と呼び、軽く挨拶を済ませるやいなや、年上の引っ越し屋をタメ口で案内する。その様子を見た男はニコを思わず叱りつけるも、彼女は笑顔でそれをいなして──。
喪失から始まる祖父と孫の生活は、意外にも笑いで満ちている。その一翼を担うのは、この世から去った人たち──つまり、遺影となって仏壇に並ぶ祖母と母だ。二人はなぜか成仏することなくこの世に留まり、夫や娘には聞こえない声で、互いの存在を確認し会話を始める。読み手としては、遺された祖父と孫だけの暮らしを読んでいたはずなのに、いつの間にか4人家族の群像劇を見守る形にもなっていて、「この手があったか!」とにんまりする。
さて、すっかり「おじじ」となった男だったが、ニコとの新しい日々を始めても、自分の我を通すことは忘れなかった。かつて娘から「正義マン」と揶揄されたほど、自分で決めたことをやり抜くおじじは、日常生活でも抜かりはない。
だが妻を失い、無気力のまま1年を過ごしてきた彼の足場は、とうに脆くなっていた。同じように母を失ったニコも、祖父以外に頼れる身内はもういない。父を知らないニコが思わずこぼした心細さに触れた時、おじじは初めて、自分が独りではなかったことに気づかされる。
喪失のさみしさと、ふたり暮らしがもたらす笑いのバランスが心地よく、やさしい物語。これからのロスタイムがどんな風に過ぎていくのか、そっと見守りたい。
(田中香織)