第90回:山崎ナオコーラさん

作家の読書道 第90回:山崎ナオコーラさん

デビュー作『人のセックスを笑うな』以降、次々と試みに満ちた作品を発表し続けている山崎ナオコーラさん。言葉そのものを愛し、小説だけでなく紙媒体の“本"そのものを慈しんでいる彼女の心に刻まれてきた作家、作品とは。高校時代から現在に至るまで第1位をキープし続けている「心の恋人」も登場、本、そして小説に対する思いを語っていただきました。

その2「文章がカチッとハマる気持ちよさ」 (2/6)

肉体の悪魔 (光文社古典新訳文庫)
『肉体の悪魔 (光文社古典新訳文庫)』
ラディゲ
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浴室 (集英社文庫)
『浴室 (集英社文庫)』
ジャン‐フィリップ トゥーサン
集英社
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高丘親王航海記 (文春文庫)
『高丘親王航海記 (文春文庫)』
澁澤 龍彦
文藝春秋
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――その後も、将来本に携わる仕事をしたいと思っていましたか。

山崎 : いやー、仕事がしたいっていうより、もっと差し迫った感じでしたね。私には普通に生き続けるのが難しいんじゃないかって不安で、自分には本だけだって。10代の頃ってみんなそうだと思うのですが、自分は普通の大人になれないように思っていたんです。本ぐらいしかないって感じがあった。特に中高生の頃は本当に本が逃げ場所みたいになっていたと思うんです。

――そんな中高生の頃は、本はどのように選んでいたんですか。

山崎 : 本屋さんで文庫を買っていました。それを何度も何度も繰り返し読む。(と、数冊取り出す)...しゃれっけを出そうとしていたのか、フランスものが多いですね。一番好きだったのはラディゲの『肉体の悪魔』。衝撃を受けて、何十回も読みました。私は小説を書く時、ブロック書きをするんです。一ブロックで書いて一行空き、という。それはラディゲの影響だと思うんですね。これはものすごくブロックごとにキマっているんです。レゴブロックのようにカチッカチッとハマっていって、最後の一行がグッとくる感じで1ブロックが終わる。テトリスなんかがカチッとハマる感じで、とても気持ちがいい。すごく好きな文があるんです。町で偶然好きな女性に会って、その日のその後の約束を破らせようとしながら、ばらの花束を買って相手に持たせる。その時に「僕が考えていたのは、マルトが喜ぶということよりは、今夜家に帰って誰からこれをもらったかを両親に説明するためにまた嘘をつかねばならなくなるということだった。初めて会ったとき、絵画研究所へ行こうと相談した僕の計画、今夜両親に繰返すであろう電話の嘘、そのうえさらにばらの嘘、こうしたものは僕にとっては接吻よりもうれしい愛の贈物だった」。こうしたフレーズがバシッと入っているんです。

――ジャン=フィリップ・トゥーサンの『浴室』もお持ちいただいて。

山崎 : 高校生の頃に流行っていたのか、書店に並んでいたので買ったんです。これは番号をふってブロック分けがしてある。『ムッシュー』も好きでした。トゥーサンにも影響を受けていると思います。淡々とした短いセンテンスを、ブロックに詰めてある。ボリス・ヴィアンの『日々の泡』は何で好きだったんだろう。シュールで可愛い、ということかな。結局、可愛いものが好きなのかも。

――この中で唯一の日本の小説が澁澤龍彦の『高丘親王航海記』。

山崎 : 澁澤は格好いいって思っていました。図書館で全集を読みました。エッセイなど難しいものも多かったんですけれど、小説が面白くて、この『高丘親王航海記』と、あと『唐草物語』も好きです。台詞が格好よくて、愉悦感がある。『唐草物語』の中に「空飛ぶ大納言」という短編があるんですが、タイトルだけでもすごいと思いました。その中に「飛んだり飛んだり、や、飛んだり。」という台詞がある。文字面を見るだけで快感が起こる。澁澤を読んでいるうちに夢野久作など幻想文学系にも興味が湧いて読みました。

――読書日記はつけていましたか。

山崎 : つけていました。今はもう、どこにあるか分からないけれど。

――どんなことをつけていたんでしょう、感想とか、★とか...。

山崎 : ああ、最近は★を書く人って、いますよね。でも私は、本の感想を★いくつって表現しちゃうのには、抵抗があります。せっかくの読書時間なのに、もったいないと思うんですよ。自分が楽しみのために読んだ本を「いい本」か「悪い本」か★の数で評価するなんて。いいも悪いもないですよ、読んで、感じるとか、感じないとか、「大好きな本」とか、それだけですよ。自由に読みたい。本というのは、読む側のものです。読者の問題で、作り手側のことなんてどうでもいいんですよ。評価なんてしても仕方がない。私が読書日記に書いていたのは、気に入った文章の抜粋ですね。あとは、読みながら自分が考えたこととか。

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