第125回:村田沙耶香さん

作家の読書道 第125回:村田沙耶香さん

家族、母娘、セクシャリティー……現代社会のなかで規定された価値観と調和できない主人公の姿を掘り下げ、強烈な葛藤を描き出す村田沙耶香さん。ご本人も家族や女性性に対して違和感を持ってきたのでは…というのは短絡な発想。ふんわりと優しい雰囲気の著者はどんな本を読み、どんなことを感じて育ったのか。読書遍歴と合わせておうかがいしました。

その5「新作『タダイマトビラ』について」 (5/5)

タダイマトビラ
『タダイマトビラ』
村田 沙耶香
新潮社
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――さて、新刊の『タダイマトビラ』は、子供に無関心な母親と暮らす少女が理想の家族を求めるようになっていく話です。

村田:「今何をテーマにして書きたいですか」と訊かれて迷わず「家族です」と答えました。今まで性をテーマにすることが多かったんですが、母と娘や家族というものがつねに裏にあったんです。なので、家族を押し出したものを書きたい気持ちがありました。それで書き始めたんですが、母親像がいちばん先に生まれていたと思います。母親に感情移入しながら書いていたところがありますね。第二の主人公のような感じで、ラストシーンは母親がかわいそうになってしまったくらい。

――自分が子供に愛情を持てないことを隠そうともせず、主人公やその弟に対して取り繕うともしない人ですよね。

村田:私はあまり子供を持つことに興味がなくて、もしそういうことになったら母性が生まれるか自信がないんです。それでも私は「子供が可愛い」という風に嘘をつくかもしれませんが、嘘をつけない人もいるんじゃないかという気持がありました。自分をごまかせない人が母親になる場合もあるんじゃないかなって。

――主人公の恵奈や弟にとっては厳しい現実ですよね。

村田:主人公はただ苦しむ人ではなくて、ある意味前向きに進んでいる人にしたかったんです。傷ついているとは思うんですが、本人は傷ついていないと思っている。親との関係が悪くたって、弟や、あとは「ギンイロノウタ」の主人公のようにうずくまってしまうのではなく、強気で前に進んでいけるといいなと思いました。憧れもありましたね。それで、「ちょっとそれは...」というくらいどんどん前に進んでいく主人公になりました(笑)。

――恵奈が幼い頃からしている、カーテンを理想の家族に見立てて戯れて"家族欲"を満たす"カゾクヨナニー"という行為も強烈でした。

村田:あそこまで親に満たされない子供でなくても、ちょっと留守番で一人になったり、親が他の兄弟ばかりかまって寂しいという時に、ぬいぐるみや毛布、カーテンのような柔らかいものに甘えることはあると思うんです。以前書いた「コイビト」にも通じるものがありますね。私も小さい頃親とケンカをした後にぬいぐるみに抱きついたことがありましたし。今回はかなりデフォルメして書いていますが、似たようなことってやっていたという気がします。

ハコブネ
『ハコブネ』
村田 沙耶香
集英社
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――他の作品にも、自分独自の世界を築く主人公が登場しますよね。時には現代社会のルールから外れた価値観も生じてしまう。その価値観がどこに向かうのか......と毎回思うんですが、今回も本当に打ちのめされました。ラストの展開をSF的だという言う人もいますね。

村田:書いている本人は愛に満ちた気持ちになっていたんです。これの前に書いた『ハコブネ』の知佳子に通じるような、生命体に対する愛に満たされているような気持だったんですが、読み返してみて、自分でもちょっと怖いなと思いました(笑)。知佳子は一人で宇宙感覚の世界にいて、「楽しいところだからみんなおいでよ」と言っているんですが、今回はその「みんなおいでよ」というのが強引ですよね。でも主人公には悪意がないんです。みんなに愛があって「おいでよ」と言っている。SFについては小さい頃に読んでいて親しみがあったのかもしれません。『ハコブネ』の知佳子の宇宙的な感覚や、隣に宇宙人が普通いるような感覚は、分からないわけではないので。

――『ハコブネ』の知佳子は宇宙的な規模で世界をとらえていましたが、今回は"ホモサピエンス"という認識が生まれてくる。ダイナミックな展開です。

村田:ああいうラストにするとは思っていなかったので自分でもびっくりしました。昔からそうなんですが、書いていても先がどうなるか分からなくて、自分でもびっくりするということばかりです。今回は本当に不思議な世界にいってしまって、書いていて怖かった。恵奈が頭のおかしな世界にいってしまったから怖いというよりも、恵奈の感覚にひきずりこまれる感じがして怖かったんです。こういう風に思うようになったら普通の社会で生活していけないと思うけれど、私自身が恵奈の感覚をヘンに理解できてしまう。最後の人類愛の感覚には共感しているところもあるんです。でも自分がその目で世界を見るようになってしまうのは怖い。書きながらもコンビニでアルバイトをしていましたが、それが私を常識的な世界に呼び戻して、精神的に救ってくれていたと思います。ただ、主人公が最後にいたようなホモサピエンスの世界を、いつか優しくてあったかい場所だと思えるように書けたらな、とは思っています。

――わあ、それが書けたら現代の価値観を覆します。既存の世の中のルールや価値観の中におさまることなく、違和感の正体をとことん追及する筆力はすごいなあと思います。

村田:つきつめるのが好きなんです。家族のことでも性のことでも、とことん書いたぞという気になりたいんです。頭の中で物語を作っているだけではたどり着けないものがあるんですよね。でも言葉にするという行為には力があって、文章を書いているうちに自分でも思いもよらない場所にいくことがあるんです。それは私の力ではなくて言葉の力だと思います。その力で、今回はああいう場所にいってしまいました。

――幼い頃から自分の文体がほしかったということですが、今はどうですか。

村田:まだまだ手に入ったとは全然思えません。描きたいことが頭の中に映像で浮かんでいて丹念に表現していこうとするんですが、語彙が貧困なので、なかなか。主人公の瞼の動きひとつにしても、頭の中では映像ではっきり見えるのに、その通りに表現するのが難しいんです。それを文章化することで精いっぱいの段階なので、全体の文章、自分の文体という段階ではないですね。

――さて最後に、今後のご予定はいかがですか。

村田:今は朝日新聞出版の書き下ろしを書いています。自分の育った千葉のニュータウンを舞台にした、常識的な普通の女の子の話です(笑)。以前『マウス』で小学生の女の子の思春期を書いたので、今度は中学生の思春期をとことん書いてみたかったんです。ラストまでだいたい書いているので、今年のうちに出せたらいいなとは思っています。

(了)