
作家の読書道 第137回:いしいしんじさん
幻想的、神話的、寓話的な作品で読者を魅了する作家、いしいしんじさん。その独特の物語世界は生まれる源泉となっているものは? 幼い頃から人一倍熱心に本をめくっていたといういしいさんの読書体験やデビューの経緯などについてうかがいます。
その3「海外SFにハマる」 (3/6)
- 『発狂した宇宙 (ハヤカワ文庫 SF (222))』
- フレドリック・ブラウン
- 早川書房
- 756円(税込)
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- 『ペスト (新潮文庫)』
- カミュ
- 新潮社
- 810円(税込)
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- 『Dandelion Wine (Grand Master Editions)』
- Ray Bradbury
- Spectra
- 889円(税込)
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- 『スローなブギにしてくれ (角川文庫)』
- 片岡 義男
- 角川書店
- 514円(税込)
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- 『メタモルフォーゼ (手塚治虫文庫全集 BT 140)』
- 手塚 治虫
- 講談社
- 950円(税込)
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- 『新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)』
- 村上 龍
- 講談社
- 432円(税込)
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――さて、読書傾向はその後どうなっていったのでしょう。
いしい:小学生の頃は図書室の本のほかに移動図書館の本を借りていました。ライトバンの後ろに本を積んでまわってきてくれたんです。あれで確かSFのシリーズを読みました。SFはその後よく読むようになるんですが、最初はフレドリック・ブラウンでした。兄貴が短編集の『発狂した宇宙』を持っていたんです。自分にとって兄は最高のブックガイドで、今でもそう思っているんですが、その兄がたしか薦めてくれたんです。兄の本を勝手に読んだりはしないので。それをきかっけに、中学生にあがる頃から1日1冊文庫本でSFを読むようになります。創元SF文庫、ハヤカワSF文庫、サンリオ文庫......当時読めるものは全部読みました。といっても次から次へと新しいものが出てくるわけですが、ハードSFとかサイバーパンク、ウィリアム・ギブソンぐらいまでを読んで、それ以降になると他のものへ興味が移っていきました。だからダン・シモンズの『ハイペリオン』なんかはまだ読んでいないんです。いつかは読みたいんですけれど。
――そこまでSFに夢中になったのはどうしてだったと思いますか。
いしい:今から考えると、アメリカの良質なストーリーテリングがあふれていたんです。SFっていうのはストーリーがしっかりしていないと破綻をきたしますから。時間的にも空間的にも大きなものを包んでいく様が楽しかった。それに翻訳ものって、数ある海外の小説のなかからいろんなフィルターを通って選ばれて訳されているわけですから、いいものが多かった。当時はまだ、ヨーロッパの小説なんかはよく分からなかったんです。カミュの『ペスト』やカフカの『審判』はSFのストーリーテリングに似ているなと思っていましたが。そうこうしているうちに、レイ・ブラッドベリがスイッチポイントになりました。ブラッドベリの小説にはああよかった、面白かった、というだけでは終わらない何かがあることに気づいて、はじめて原書で読んだんです。高1の時かな。まだ読んでいないものにしようと思って『たんぽぽのお酒』、つまり「Dandelion Wine」を読みました。読んでみたらSFじゃなかったんですが、それでも自分としては最後まで英語で読んだということが心に残りました。その後で、翻訳の『たんぽぽのお酒』の翻訳が晶文社から出ていたのでそれを読んだらやっぱりよかった。そこから晶文社のシリーズを読むようになります。ウィリアム・サローヤンやカレル・チャペックとか、どれも当たりでした。海外の小説に関しては、そもそもは植草甚一さんがいるんです。植草さんがいろいろ海外の小説を褒めるので、それを読む。植草さんがブラッドベリを英語で読んだのを真似して「Dandelion Wine」を買ってきたというわけです。植草さんが薦める本を読んでは、また植草さんに戻っていたように思います。
――SFのほかにはどんなものを読んだのですか。
いしい:高校の時には片岡義男ブームもありました。『スローなブギにしてくれ』が不思議な感じがしたのでエッセイを読んでみたら、知らない小説や音楽がいろいろ出てくるんですよね。片岡さんが挙げているからチャンドラーやダシール・ハメットを読み、植草さんが挙げているからサリンジャーを読み。ヘミングウェイもその影響でだらららっと読みました。あとは『世界文学大系』。たまたまうちにあったんです。これを全部読んだら古今東西のものを読んだことになるっぽいと思って、第一巻のホメロスから読み始めたらこれが面白かった。アップダイクとかマッカラーズとかロブ=グリエまで入っていましたね、なんといっても「大系」ですから。その頃はさすがにカフカも面白く読むようになっていて、手塚治虫の『メタモルフォーゼ』で『変身』を読んだのが先でしたけれど。日本の小説は文芸誌で読んでいました。あの頃の文芸誌は毎号毎号すごい人たちが出てきていた。第三の新人と呼ばれている遠藤周作、小島信夫、安岡章太郎といった名前も目にしていたのですごく年上の人と話していた時に遠藤周作のマイナーな作品のことをいったら、「君そんなの読んでるの」と驚かれたことがありますが、たまたま文芸誌で読んでいただけです。村上龍、村上春樹、山田詠美も話題になっていました。村上龍の『限りなく透明に近いブルー』は学校で本を読まない奴も読んでいましたよ。当時僕はストーンズがすごく好きだったので、日本の小説にストーンズがこんなに格好よく出てくるんだということに目が覚める思いでした。龍さんが認めているというから中上健次も読みました。村上春樹は兄貴がアドバイスしてくれたので『風の歌を聴け』を読んで、そこから『1973年のピンボール』を読み、さて次と思ったら『羊をめぐる冒険』で驚いたという。
――高校生の頃、やはり読書が生活の中心でしたか。
いしい:その頃の生活の中心は本ではなくて音楽でした。高校2年生からジャズをやっていて、サックスを吹いていました。2年生の時にアメリカに行ったことも大きかったですね。自分は本気でジャズの人間だと思っていました。でもシャガールの展覧会のタダ券があったので行ってみたら、もうビックリしました。俺は画家だったんだ、と思いました(笑)。
――そこから画家を志したということですか。絵はそれまで興味がなかったのですか。
いしい:画集はよく買っていたんです。黒田征太郎さんの絵が好きだったし、音楽雑誌で吉田カツさんがミュージシャンの肖像画を描いているのを見て格好いいと思っていたし。後期印象派がパリに集まってきてお互いに影響しあったり罵倒しあったりしている話も読んだし、画家の自伝や伝記、美術史的なものも読みました。母方の姉妹が絵を観に行くのが好きで僕もよく連れていかれたので、モナリザが来た時も行ってモナリザの頭のほうだけちらっと観たし(笑)、日本最初のピカソ展も行きました。そうしたことが下敷きにはなっていたと思います。
――それまで観てきた絵画とシャガールの絵は違ったんですか。
いしい:ストーリーという言葉が当てはまると思うんですが、シャガールの絵は1枚では終わらないんです。一連の時間の中での一挿話みたいになっている。ロシアのヴィテブスクというユダヤ系の多い町で育った人ですが、彼は現代の聖書を自分の絵の中で再現している。しかもロバが空を飛んだり牛の首がちょんぎられたりしていて。『天才バカボン』を見た時の爽快感がありましたね。子どもの頃こんなことがあったらいいな、と思ったもの、動物も音楽もあって物語がある。いろいろな色を使っているけれど派手ではなくて沈んでいく感じがするのは、時間の向こう側を見ている感覚があるから。
――そこから絵の勉強を始めたのですか。
いしい:ずっとデッサンをやっていました。水の入った透明なグラスと、お湯の入った透明なグラスを描いたりして。音楽をやって絵をやって、高3の時には文化祭の遊びで映画も作ってと、いろんなことをやったわけです。でも本を書く、という考えは一切なかったですね。
- 『アメリカの鱒釣り (新潮文庫)』
- リチャード ブローティガン
- 新潮社
- 594円(税込)
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- 『白鯨 上 (岩波文庫)』
- ハーマン・メルヴィル
- 岩波書店
- 1,080円(税込)
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――ところで高校2年の時にアメリカに行く時、ブラッドベリの故郷のイリノイを選んだそうですね。
いしい:パンクやジャズを聴いていた頃なので、メジャーなところに行くのが格好悪い気がしたんです(笑)。親父から夏休みの間交換留学生としてアメリカに行かへんかと言われた時、たまたまブラッドベリやサローヤンを読んでいて、アメリカのいわゆるスモールタウンに行ってみたいと思ったんです。それで、イリノイのチャールストンという町にいくことになりました。シカゴの空港で迎えの人がチャールストンに行く飛行機に乗り換えさせてくれるはずだったんですが、待てど暮らせど来ない。後で聞いたらシカゴカブスの試合を見ていて忘れてたらしい。それで、ひとりで重い荷物を持ちながら空港の人に訊いたらチャールストン行きの飛行機はもうないけれど空港で一晩過ごすのは危ないから、チャールストンの隣のシャンぺーン行きのエアサービスを利用しなさい、と言われて。それで夜中に指示されたところに行ったら、郵便を運ぶ会社の飛行機だったんです。小包扱いにするから袋に入って体重計に乗れ、重いから料金も高くなるぞって言われたんですけれど、これは冗談でした(笑)。それでシャンペーンに行って迎えに来てもらいました。それがブローティガンにはまる1年前のことです。シャンペーンは翻訳者の藤本和子さんが住んでいて、そこでブローティガンを訳していたんですよね。『アメリカの鱒釣り』は最初、『白鯨』の内陸バージョンみたいな話かと思っていたんですが全然違った(笑)。
――気になる作家の作品は読破していくほうですか。また、読書記録はつけましたか。
いしい:次から次へと面白いものが出てくるので、腰を据えて読むという感じではなかったですね。選んでいる暇はなかった。この世に面白い本はどれだけあるんだろうと思いました。高校生の頃はみんなそうだと思います。宇宙を見上げているようなものです。フォークナーって人まだ読んでない、フロベールって人も読んでない、まだまだ読むものがあるわーと思って、寝るのが馬鹿馬鹿しくて本を読んでいました。読書記録はつけていません。夢を見ているようなものだから、それは言葉にはできない。本を次から次へと読むことって、夢に夢を重ねていくようなもの。その本の夢を見たから次に見えてくる夢というのがあるんです。サローヤンを読む前にブラッドベリを読んでよかったし、安部公房を読む前に一連の海外SFを読んでよかった。