第137回:いしいしんじさん

作家の読書道 第137回:いしいしんじさん

幻想的、神話的、寓話的な作品で読者を魅了する作家、いしいしんじさん。その独特の物語世界は生まれる源泉となっているものは? 幼い頃から人一倍熱心に本をめくっていたといういしいさんの読書体験やデビューの経緯などについてうかがいます。

その5「4歳半の自分との再会」 (5/6)

ぶらんこ乗り (新潮文庫)
『ぶらんこ乗り (新潮文庫)』
いしい しんじ
新潮社
562円(税込)
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――そこからまたしても多忙な日々が始まっていくという。

いしい:結局精神的にも体調もボロボロになっていくんです。94年から99年くらいまでは、注文を受けて書いたものばかりなんです。期待以上のものを書きましたよ、面白いでしょ、という感じで。自分はなんでも書けるわと思っていたけれど実は違って、自分の中から出てきた自分にしか書けないものは一切書いていなかったんですよね。99年くらいにひとり部屋の中で、それに気づいて衝撃を受けました。離人症という症例によくあるパターンみたいなんですが、自分がいなくても世界が続いていくという当たり前のことが、一大発見のように思えてしまった。精神的にも肉体的にも、経済的にもたちゆかなくなってしまい、いったん大阪の実家に戻ることなりました。家でごろごろしているうちに、なんかこの部屋でやっていたことがあったなという気がしてきて、母に訊いたら「子どもの頃いろいろ書いてたやん」って。「今やったらどんなふうに読めるやろ、残しておいたらよかったな」と言ったら「全部残してあるがな。2階の袋棚に置いてあるつづらに」。うちにつづらがあることもはじめて知ったくらいだったんですが、兄と僕と弟たちのぶん、4つありました。僕のつづらを開けてみたら、そこに、ずっと待ち構えていたみたいに「たいふう」というお話が入っていたんです。それを読んだ時の衝撃はすごかった。1回読んで、続けてもう1回は読めなかった。目がつぶれてしまいそうで。こんなことを4歳半のいしいしんじは書いていたのかと思いました。世の中をすごく怖がっているんです。お母さんが明日死ぬかもしれないこと、自分が死んだらお母さんは泣くだろうけれど、それでも時が過ぎればお父さんや兄や弟たち一緒に笑ったりもするんだろうこと、そうしたことを怖がっている。怖がっているからこそ一生懸命言葉を投げているんです。何の注文も受けずに、誰も手を差し伸べてくれへん世界に全身を投げ出して書いたものはこの30年間でこれしかない。それも衝撃でした。でもこれは書いたんだ、ここから始めていけばいいんだと思いました。それで東京に帰ったら、ちょうど理論社の芳本さんから長編小説を書いてほしいという連絡がありました。吉本さんは3年前に童話の執筆を依頼をしてきた人でその時は「童話は書けません」と断ったんです。よく3年後にまた電話してきてくれたと思います。今度は「喜んで」と引き受けてアイデアをいっぱい出しました。「線と線が出会って追いかけあって重なり合って円になって消えていく」...みたいな意味不明なアイデアが並んでいるなか、その中にひとつ「動物の話」というのがあったんです。芳本さんが「これは、どんな話ですか」ときいてくれて、「子どもの頃ドリトル先生が好きだったけれど、動物同士も人間同士も絶対に言葉では分かりあえへん、という話」と説明したら、「じゃあ、それでやってみてください」と言ってくれて。そこから書き始めて、4か月ぐらいで書き上げたのが、冒頭に「たいふう」をそのまま使った『ぶらんこ乗り』でした。それが2000年。30年さかのぼって4歳半の自分に戻って書きはじめたわけですから、今のものを書いている時の自分は17歳の感性で書いていることになります。

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