第142回:川上未映子さん

作家の読書道 第142回:川上未映子さん

詩人として、小説家として活動の場を広げる川上未映子さん。はじめて小説を発表してからまだ6年しか経っていないのに、今年は短篇集『愛の夢とか』で谷崎潤一郎賞も受賞。さまざまな表現方法で日常とその変容を描き続けるその才能は、どのようにして育まれていったのか。読書を通して感じたこと、大事な本たちについて語ってくださいました。

その4「詩との出会い、小説の執筆」 (4/5)

迷宮としての世界(上)――マニエリスム美術 (岩波文庫)
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文学におけるマニエリスム  言語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術 (平凡社ライブラリー)
『文学におけるマニエリスム 言語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術 (平凡社ライブラリー)』
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フィネガンズ・ウェイク 1 (河出文庫)
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ジョイス『ユリシーズ』全4巻セット (集英社文庫)
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ゴットハルト鉄道 (講談社文芸文庫)
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わたくし率 イン 歯ー、または世界 (講談社文庫)
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――川上さんは小説よりも先に詩でデビューされていますが、詩の世界とはどのよう接していったのでしょうか。

川上:お手本なしの応用のみなんです。高校生1年生の時に、松井啓子さんの『のどを猫でいっぱいにして』という詩と出会ったんです。これが現代詩というものならば、すごいなって思いました。それまでも中原中也とか宮沢賢治とか萩原朔太郎とかを読んでいたけれども──そうそう、谷川俊太郎には小学生で出会って、そのあと二十代で再会した感じでしょうか。あらためて読むと、谷川さんが凄まじすぎて、いっときかなりショックでしたね。でも、どれも学校で習うと解説がつくんですよね。これはこういう意味で賢治はこういうことを詠んでいる、って。物語化がつねにあるわけですが、なら詩である必要ってなんだろう、とも感じていたんです。詩のなかにお話があって作者のいいたかったことに感動するなら、じゃあ詩と小説の違いはなんだろうって思っていました。それで松井啓子さんを読んだ時、これが詩だと思ったんです。それがはじめてでした。10代の頃は荒川洋治さんを読みました。随筆も好きでよく読んでいます。詩集で手に入らないものは古書店をまわって少しずつ買って大切に読みましたね。伊藤比呂美、佐川ちか、富岡多恵子、北園克衛、田村隆一、西脇順三郎......有名な人ばかりですが。あと復刊されるまえのホッケの『迷宮としての世界』、『文学とマニエリスム』は本のぼろぼろさもあわせて印象に残ってます。時代も流れも関係なく、順序だてて読んでいるわけではないし、現代詩に明るいとは言えないですね。ほかに現代の人では蜂飼耳さんが好きですね。あとは、詩ではないところから影響を受けているのかも。

――といいますと。

川上:例えば『フィネガンス・ウェイク』では言葉そのものに興奮させられたんですよね。光を見るような言葉の体験をしたというか。もちろん原文で読めるべくもないんだけれども、柳瀬尚紀さんの訳を読んでいると、原文で読んでもきっと感受するものは同じに違いないって信じられる瞬間がいっぱいあるんです。『ユリシーズ』の「ペネロペイア」もたまらなく好きですね。まったく隔たる作品だけれども、あの現在と想起がまみれて言葉に紡がれていく感じが『たけくらべ』と同質なんですよね、自分にとっては。私にとっては詩の体験というのは、やっぱりああいうものを読んだ時にあるのかもしれません。小説や物語の中に詩を発見してきたのかもしれない。散文の中に詩がいつも潜んでいて、それが光って見えてくる感じなのかな。

――『ユリイカ』に詩が掲載された経緯、小説を書きはじめたきっかけを教えてください。

川上:音楽をもうやめようと思っていた頃、最後のアルバムを作った時に自分で作詞もさせてもらえたんです。それで、詩を書いてみたいなと思って。でも何も知らなくて、いきなり『ユリイカ』に電話して「詩を書くので載せてください」って言ったんです。「投稿してください」って言われました(笑)。それで投稿欄があることを知りました。でも誌面を見たら投稿欄がすごく小さいんです。私が書きたいのはもっと一行が長い詩なんだよなあと思って。2005年のその当時、文芸誌も読んだこともないし、何も知らなかったんですよね。どうしようかなと思っていたら、音楽をやっていた人間だということもあって『ユリイカ』で「文科系女子」という特集をやるから書かないかと声をかけてもらって、それではじめて詩を書きました。そうしたら当時は編集委員だった山本編集長がすごく気に入ってくれたんです。その詩を読んだ『早稲田文學』の市川さんから「小説も書けるでしょう」と依頼されました。そのとき、小説を書くっていったいどんな感じだろうと思って多和田葉子さんの『ゴットハルト鉄道』を全部書き写してみたんです。電車に乗るだけの話だけれども、外界に自分の内界を発見していくような感じが素晴らしくて大好きなので。文体を模写することが目的ではなくて、労働としてどれくらい枚数でどれくらいのものを書くのかということが知りたかった。70枚くらいだったんですけれど、手書きで書いていったら、最後のほうでこう書きたい、というものが出てきたんです。あ、自分も小説を書けるかなと思いました。それで書いたのが『わたくし率 イン歯ー、または世界』でした。そもそも自分が書くものって最初に『ユリイカ』に書いた「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」にしても評論家や批評家が文学といえば文学に見えるかもしれないけれど、ネットで発表していたら電波系と言われそうなものでもありますよね(笑)。そういう危うさがあって、『わたくし率 イン歯ー、または世界』も自分は面白いと思って書いているし、依頼してくれた早稲田文学の市川さんはものすごく喜んでくれたけど、やっぱり最初は周囲の反応は「わからないな」という感じでしたね(笑)。でも、それが芥川賞の候補になったら、すぐに本にしてもらえることになり、書評もたくさん出て、他からも小説執筆の依頼がくるようになりました。

――そして翌2008年に『乳と卵』で芥川賞受賞するという。

川上:デビューして最初の1年はピリピリしていたと思う。本を読んでいてもこの枚数でどれくらいのことをしているんだろうとか、技術や難度のほうに気持ちがいってしまって、自分が越えなくてはいけないハードルとして読んでるところが多かったかも。だから先行する作家たちのいい小説を読むとうれしいのだけどなんだかそわそわするし、面白くない小説を読むといらいらするし(笑)。2作目で芥川賞を受賞して3作目の『ヘヴン』に行く時もしんどかった。まだ長編を書く力がないことはわかっていましたから。書きあげるのに1年くらいかかりました。でもそういうピリピリも長くは続かなくて、今は本を読む時間を確保するだけで精一杯です。でもそういう時期があったというのが、たった5年前の話なんですね。

――そうなんですよね。もっと長く活躍されているイメージがあるのに...。読書も変化はありましたか。

川上:20代半ばでは町田康さんとの出会いも大きいです。町田さんから何を学んだかというと、やっぱり見ているものの化けの皮を剥ぐところの、その技術ですね。彼にしかできない皮の剥き方をする。町田さんにしかできないことをおやりになっていると思います。私にとって文体ひとつとっても、大きな作家です。おなじく20代の終わりには、穂村弘さんに出会ったのも大きいです。私が見ている世界を脱臼させてくれる人でしたね。こんな風に世界を見ている人がいるんだなって思いました。最初は元『ダ・ヴィンチ』編集長の横里さんに勧められて、エッセイを読んだんです。なんか胡散臭いと思いましたね(笑)。すごく面白いけれど、要注意だなって思って。でもお食事をして友達になる機会があったんです。そうしたら、あの人は持っているもの、いちばん大事なものの中のちょっとだけを使ってエッセイを書いているんだなってわかったんです。最初のうちは会うと魂を査定されている感じがして、緊張感がありました。最近、山田航さんとの共著の『世界中が夕焼け』を刊行されましたけれど、そこで山田さんが穂村弘はエッセイで知られているけれど、彼のエッセイはすべて彼の短歌の注釈である、と言っていて。本当にそうだと思います。穂村さんとの出会いによって、現代のほかの歌人の歌も読むようになりました。

――他に影響を受けた人はいますか。

川上:話しているうちに思い出してくるんですが、内田百閒もよく読みましたね。柴田元幸さんのお仕事にも大きな影響を受けていて、柴田さんがおやりになっていた『MONKEY・BUSINESS』が大好きで(この秋から『MONKEY』が刊行)。ほかにも翻訳・紹介してくださる海外小説はよく読みます。ポール・オースター、スティーブン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウン、ケリー・リンク......。ほかに今生きている海外作家では、リディア・デイヴィスとアリス・マンローが好きですね。マキューアンは初期のものよりも最近のものが好きです。『土曜日』とか『初夜』とか。ほかにも新潮クレスト・ブックスにはお世話になっています。評論では、山城むつみさんが2010年に発表した『ドストエフスキー』。『罪と罰』とか『カラマーゾフの兄弟』とかは一通り読みましたけれど、あらためて興奮しました。ドストエフスキーの小説世界の闖入者になった気分になって、登場人物がそこで見たものはもちろんなのですが、見なかったであろうものまでが検証される(笑)。ずいぶん前にバフチンの『ドストエフスキーの詩学』を読んだときもずどんとした興奮がありましたが、私にとってドストエフスキーの小説はもう山城むつみさんの『ドストエフスキー』とつがいになって響きあっている感じです。

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