
作家の読書道 第162回:木下昌輝さん
デビュー単行本『宇喜多の捨て嫁』がいきなり直木賞の候補となり、新しい歴史エンターテインメントの書き手として注目される木下昌輝さん。第二作の『人魚ノ肉』は、幕末の京都で新撰組の面々がなんと化け物になってしまうというホラーテイストの異色連作集。その発想や文章力、構成力はどんな読書生活のなかで培われたものなのか?
その2「なんども繰り返して読んだ三国志本」 (2/6)
――その頃読書はどういうものを。
木下:高校の時はいろんなものを読みました。筒井康隆さんはめっちゃ読んでいましたね。短篇が主ですけれど、どんな展開になるか分からない楽しさがありました。禁煙の風潮が高まって、煙草を吸っている人に軍隊が攻めてくる「最後の喫煙者」とか、職場に鬼がやってきて社員を殺していって、現実主義者は無視して殺され、OLは色仕掛けで命乞いをして殺され、最後に主人公が「助けて」と命乞いをすると、鬼がやっとちゃんと反応した、みたいなことを言ったら......という「死にかた」とか。それはすごく心に残っています。とにかく筒井さんの短篇は次に何がくるか予想できないところが面白かった。筒井さんのほかには、赤川次郎さんの『三毛猫ホームズ』も、友達が面白いというから借りて読みました。司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』を読んだのもその頃ですね。うちのおかんが、高知県出身なんですよ。父親は大阪出身で。「お前は高知県人のハーフやから『竜馬がゆく』を読め」と言われて読んで、それで司馬遼太郎にハマったんです。
そうそう、その頃、『三国志の人物学』という、守屋洋さんという人が書いているエッセイを読んだんです。それは『三国志演義』ではなく本当の歴史について書いているんです。劉備と関羽と張飛が兄弟の契りを交わした桃園の誓いは実は嘘なんだよ、っていうことなんかが書いてある。それがすごく面白かったんです。歴史というのは英雄ではなく普通の人間が作っているんだなということがすごく分かって。『三国志』の正史って時系列がとらえにくいんですが、『三国志の人物学』の後書きで時系列に直した本が紹介されていて、それは高校生が買うには値段が高い分厚い本なんですが、わざわざ買いに行きました。徳間書店の『三国志』全5巻です(丸山松幸、中村愿 訳)。本屋のおっちゃんに注文したらびっくりされてね。「なにを勉強する気や」って。僕が高校時代に買ったいちばん高いものだと思います。
――そもそも『三国志の人物学』を手に取るくらい、『三国志』がずっと好きだったんですね。
木下:歴史が好きだというのはあったんですが、たまたま暇つぶしに手に取ったんです。でもそこに書かれている文章も面白いんですよ。僕、何十回と読みました。よくよく自分で考えると、「水を飲むような文章」だなって。味は無いんですけれど、スルスル読める。何回も読むうちに、面白い文章って実は、形容詞とか過剰な修飾語とかではないんだなって思いました。その頃から小説を書いて人を楽しませたいと思っていたんで、『三国志の人物学』は教科書のように読みました。最初は三国志の人物が面白くて読んだけれど、後半は文章の構成の面白さとか、どうやったらこういう風に負担なく読者に読んでもらえるのかとか、そういうことを思いながら読みました。でも、今読み返したら、以前ほどの感動はなくて(笑)。もうさすがに読み飽きたのかもしれませんね。
――自分で小説を書いていたのですか。
木下:書いていました。たぶん、最初の頃は『アルスラーン戦記』みたいなものだったと思いますね。中国を舞台にしたファンタジーやったと思います。それも人に見せず、自分で楽しんで終わりでした。でも壮大な話は趣味では書けても、小説家としては無理ちゃうかなと思っていて。筒井さんを読み始めてからは、ああしたひねりの効いた部分を切り取って読者を楽しませるスタイルならできるんじゃないかなと。小説は全然書かなかったんですけれど、小説のネタはずっと書いていて、筒井康隆さんの劣化版みたいなものばかりでした。
――漫画は読んでいましたか。
木下:『少年ジャンプ』の黄金期ですから、『スラムダンク』とか『ドラゴンボール』とかを読んでいました。それと『ジャングルの王者ターちゃん』という漫画があって。下ネタばっかりのギャグ漫画なんですけれど、たまにストーリー漫画のようになる時があって、その展開の妙がすごく面白くて。バトル漫画なんですけれど、予想もしないオチをつけてくるので楽しかった。ほかに憶えているのは『西遊妖猿伝』という、諸星大二郎さんの漫画。『西遊記』を唐の政変など実際の史実をベースに描いていて、これはハマりました。悟空たち架空の人物が実際の歴史の中で躍動していて。最初は近所の喫茶店で読んだんですが、すぐに本屋さんに行って全巻買いましたね。
――大学は理系の建築学科に進まれたんですよね。
木下:そうなんですよ。高校のバレー部の友達が「木下、お前知ってるか。小説家っていうのは、引き出しをいっぱい持ってないとあかんのやで」と言うんです。「引き出しがなくなったら、エロ小説しか書かせてもらえんようになる」って。まあ、エロ小説は嫌いではなかったんですけれど(笑)、自分なりに引き出しを広げるにはどうしたらいいかと、はじめて自分の進路を考えました。文学部に行っても引き出しが広がると思えなかった。たまたま数学が得意なこともあって、とりあえず理系に行きました。でも建築学科は理系と文系の中間みたいに言われていますよね。芸術的なセンスもデザイン力も必要だし、理系的なものも必要。結局、就職も建築関係に行きました。大学と、就職して最初の3、4年は全然畑違い、文章と関係のないところにいましたね。若干後悔しています(笑)。建築も面白いんですけれど、やっぱり文学の仲間がいたほうに行けたらよかったなって。
――ああ、友達と本について語らったりすることがなかった訳ですか。
木下:そうそう、僕にはそういう機会があまりなかったんです。今は大阪文学学校というところに行って、小説好きの仲間と話をするんですけれど、あの時期にそういう語らいがなかったことはちょっと後悔しています。引き出しは増えたと思いますが。
――その大学時代、読書生活はいかがでしたか。
木下:一応読んでいましたけれど、あんまり憶えていないんです。憶えているのは精神病とか、そちらの方面に興味が湧いたこと。中島らもさんの『今夜、すべてのバーで』でアルコール依存とか幻覚の話を読んでびっくりしたんですよね。「え、こんなんほんまにあるんや」って思いました。人間って簡単に壊れるんや、って思って。それから精神病の話を読み漁りました。大塚公子さんの『死刑囚の最後の瞬間』とか、死刑囚や死刑執行官のノンフィクションの本にはまった覚えがあります。『囚人狂時代』という、実際の囚人の話も読みましたね。そういえば「と学会」ってありますよね。ユダヤ人の陰謀とかいったことを大真面目に書いている人の本を笑うっていう。明らかにちょっとおかしい本を笑いながらも、自分がそうなったら怖いなという感覚で読んでた時期がありました。
――ノンフィクションが多かったんですね。
木下:そうですね。同時期くらいに第二次世界大戦の頃のノンフィクションもよく読みました。『大空のサムライ』とか、『あゝ伊号潜水艦』とか。極限状態で人間がどう行動するのかにすごく興味がありましたから、まあまあ暗い時期ですね(笑)。心がハッピーになるようなもの、スカッとするようなものはあまり読んでいないんですよ。
――その頃は時代小説、歴史小説はあまり読んでいないのですか。
木下:司馬遼太郎さんは読んでいたと思います。『関ヶ原』とか『項羽と劉邦』とか『燃えよ剣』とか。『坂の上の雲』を読んだのは高校時代かな。でも『新選組血風録』なんかを読んでいる時におかんに「お前、何読んどるんや」と訊かれて「新撰組やで」と言うと、「あんたなぁ、新撰組は高知県人を弾圧した集団やで。歴史を逆行させた人たちの小説読むなんて信じられへん」って怒るんです。高知県人は坂本竜馬を馬鹿にすると怒りよる。そういう郷土愛の怖さを知りました(笑)。まさか司馬遼太郎の小説を読んで怒られるとは思いませんでした。