
作家の読書道 第181回:岡崎琢磨さん
デビュー作『珈琲店タレーランの事件簿』が現在第5巻まで刊行される人気シリーズとなっている岡崎琢磨さん。ノンシリーズ作品も順調に刊行され、作風を広げている注目の若手ですが、実は大学時代まで音楽の道を志していたのだそう。そんな岡崎さんが作家を目指すまで、そして作家になってから読んできた本とは?
その2「次第に興味は音楽へ」 (2/5)
――自分で物語を空想したり、何か書いたりしたことはありますか。
岡崎:実は一度だけあります。『金田一少年の事件簿』を読んで、小学校の5、6年からはアガサ・クリスティを読み始めたんですよ。それで「面白いな」と思って、自分でも書いてみたくなって。当時まだワープロが生き残っていたというか、家にあったのでそれを譲り受けて、ミステリーっぽいものを書いてみたりしました。よくある、グラスに毒を塗るみたいな話でした。それよりもう少し前には、金田一少年を真似て漫画っぽいものも描いていました。父親の仕事で裏紙がたくさん出たのでその裏に一枚一枚、漫画っぽく絵を描いてミステリー仕立てにしたことがありました。それも去年くらいに母親が「倉庫から出てきた」って言って。
――読み返してどうでしたか。
岡崎:読み返していないです。勇気がなくて(笑)。だから、たぶん、昔から作ることは好きだったんですね。でも将来作家になりたいとか、そういうことはまったく考えていませんでした。
裏紙でいろいろ作っていた時代が長いですね。『にゃんたんのゲームブック』というのがあったんですよ、クイズの答えによって次に見るページが違ってくるという。それが好きで、僕もゲームブックを作ったりしていました。そこでいろいろ工夫することを憶えていった気がします。
――クリスティはやっぱり面白かったですか。
岡崎:面白かったですね。はじめて読んだミステリー小説が『アクロイド殺し』だったんですよ。あれってはじめて読むものとして相応しいのかと思いますよね。でもすごく衝撃的な結末じゃないですか。面白いな、もっと読みたいなと思ってそこからクリスティは立て続けに読みました。最近たまたま早川書房さんからクリスティについてのエッセイを頼まれたこともあって読み返したんですけれど、自分が小学生の時にこういう文章を読めたのかなという疑問もありつつ、やっぱり今、結末を知っていて読んでも面白いなと思って。
――ところでサッカー好きとのことですが、サッカーチームに入ったりはしなかったんですか。
岡崎:結局入りませんでした。中学校の時にサッカー部に入ったんですけれど、その時にはもう小学校からサッカーチームに入っていた人たちがうまかったので、僕は3年間補欠で。違うことに興味が移っていきました。
――違うことというのは。
岡崎:中学2、3年まではクリスティのほかには夏目漱石とか、明治くらいまでの名作を結構読んでいたしまわりから見ても読書家だったと思うんですけれど、中2くらいからギターを弾き始めて、そちらに興味が移っていきました。曲作りとかを始めたので。五線譜にメロディとか書いてやっていました。
――独学ですか?どういう系の音楽を?
岡崎:独学です。小さい頃からずっともう、学校の行き返りに適当にメロディを口ずさんでいるみたいなことをやっていて、楽器を手に入れてそれを形にできるようになったという感じです。コードなども練習しながら身に着けていったので、あまり理論として体系づけて勉強したことはないんです。中学の時は完全にミスター・チルドレンの真似事をやっていて、ちまちま一人で弾き語りの練習をしたり、曲を作ったりしていて、高校に入る時にエレキギターを買ってもらって軽音部みたいなところに入って、バンドやってました。
――音源残っているんですか。どんな歌詞を書いていたんでしょう。
岡崎:中学の頃のものは残っていませんが、高校の頃はちょろちょろっとあります。その頃やっていた曲を大学生になってから音源にしたりとかしていたので。
高校生にしては背伸びした歌詞を書いていたと思います。高校生のバンドのオリジナル曲っていうとだいたいキャッチーなメロディとストレートな歌詞みたいなものを想像されると思うんですが、僕はわりとだいぶひねくれたことを書いていました。内省的だったのかな。バンドは高校3年の9月頃までやっていました。
――じゃあ小説はあまり読まなかったのでしょうか。クラスで回し読みして流行った本とかは。
岡崎:クラスに小説を読んでいる人っていなかった気がします。僕が知らないだけでいたんだとは思いますが。授業で夏目漱石の話になった時に「だいたい読んでいる」と言ったのが僕しかいなかったんで。漱石は面白かったですね。最初に『坊ちゃん』を読んですごく面白いと思って、『吾輩は猫である』を読んで...。『三四郎』なんかもすごく好きでしたね。
高校の時に教科書に『こころ』が載っていて、でも抜粋なんですよ。それで夏休みに『こころ』を読んで感想文を書けみたいな宿題が出たんです。僕は『こころ』は読んだことがあって、夏目漱石の中であんまり好きな本じゃなかったので、「僕はもう読んだので読み返さない」「あまり好きじゃなかった」ってことを書いて提出したんです。そうしたら課題としてはOKをもらったんですけれど、「また時間をおいて読んだら感想が変わってくるかもよ」と言われたのをすごく憶えています。『こころ』って難しいというか、深い話だと思うので、あれを高校生が読んで理解できるのかと思うと、それはちょっとどうなのかなと思う部分もあったりして。
――あんまり好きじゃないというのは、「先生」とか「K」の気持ちにあまり共感できなかったんでしょうか。
岡崎:たしか、「K」の言い分が身勝手に感じたんですよね。自分の悲劇に酔っている感じが鼻についたような記憶があります。あ、でもそれは本当に中学生の感想ですからね。今読み返したら違うかもしれません。
――ということもありつつ、高校時代の読書はあまり...。
岡崎:高校時代は本当にもうバンドでした。それに忙しい学校だったんです。朝7時半から授業がありました。九州には朝課外というものがあって、僕は朝補習って呼んでいましたが、課外授業という名前だけで普通に授業としてやっていました。夜は夜で部活とかやって帰るともう8時か9時でしょう。睡眠時間も6時間確保ギリギリだったし、本を読む時間を作れなくて。今思えば通学の電車の10分くらいでも結構読めたんじゃないかと思うんですけれども、休み時間とかも本じゃなくてバンドスコアを開いて楽譜を憶えたりしていました。
――そして3年生の9月までバンド活動をして、受験をして京都大学に進学して九州を離れるわけですね。どうして法学部だったんですか。
岡崎:キムタクの「HERO」ですね(笑)。
――おっと、意外。検事になりたかったってことですか?
岡崎:なろうとは思ってなかったんですけれど、中学生の時にドラマがあって、すごく面白いなと思って検事に興味が湧いて、法学部に行こうと思ったのが中学生の時なんです。その後に高校で音楽をやろうと思ったんですけれど形にすることがあまりできなかったので、とりあえず勉強して受験してそのまま法学部に行きました。
――どんな大学生活が始まったのでしょう。
岡崎:本当に不毛だったなという記憶が。いやまあ、音楽をやりたかったんですけれど、一緒にやっていたメンバーと離ればなれになってしまって。一応大学でもサークルに入ってバンドをやっていたんですけれど、どうしても元のメンバーとやりたい気持ちがずっとありました。夏休み春休みが2か月くらいあるので、そういう時は地元に戻ってずっと元のメンバーとバンドをやっていたんです。でもそんな遠距離バンドなんてやっぱりうまくいかないんですよね。ライブもほとんどできないし。なんでこんなところにいるんだろうって思うことが多かったです。なんで音楽やりたいのに法律の勉強しているんだろうって。学校にほとんど行っていない時期もあったし、相当気が滅入っていましたね、当時は。
――そんな学生時代、読んだ本といいますと。
岡崎:そんなに読んでいないんですけれど一時期読んでいたんです。その頃は唯川恵さんと恩田陸さんを結構読みました。
唯川さんはオチが明確にある短篇集がすごく面白いなと思って。小学生くらいの時に好きだった星新一さんのショートショートをちょっと大人っぽくしたみたいなもの、という認識だったんですね、僕の中で。なのでそこから唯川恵さんを読みました。『めまい』『病む月』『ため息の時間』が面白かったです。『病む月』が北陸の話で、『ため息の時間』が唯川さんにしては珍しく男性視点で書いてある短篇集で。ちょっと読んだ時期はずれるんですが、その後に出た『不運な女神』という連作が一番好きですね。オチの意外性みたいなものがありつつ、そこに感動が乗ってくるような短篇集で、唯川さんの作家としての進化...と僕が言ったら偉そうですけれど、そういうものを感じたんです。
――恩田陸さんは何がきっかけだったんですか。
岡崎:最初に読んだのはたぶん『ネバーランド』。で、『夜のピクニック』を読んで面白いなと思って、そこから何冊か続けて読みました。『夜のピクニック』は本屋大賞を獲ったから読んだのかもしれません。まだ日本の小説をあまり知らない時期だったので、たまたま読んだら面白かったという感じです。
でも、そこから読書にはまっていったわけでもなかったんですよ。「本読む時間があるんだったらギターを練習しろ」という頭の声が聞こえるんですね。
でもやっぱり、地元のメンバーともいろいろ温度差が出てきて。普通に就職したり、資格を取ったりとそれぞれ違う道を選ぶことになっていきました。でも僕は大学卒業する時に一切就活をしなかったんです。わりとそういうふうに自分を追い込んでいましたね。
――また別の形で音楽活動できないか探っていこうとしたわけですね。
岡崎:卒業する時にはそう思っていました。それでバイトでもなんでもして食べていこうと思っていたんですが、両親が「お金がないだろうから戻ってきていいよ」と言ってくれて、わりとはやく、卒業する前にもう戻っていましたね。単位が揃ったら卒業できる学部だったので。