
作家の読書道 第184回:朝比奈あすかさん
2006年に『憂鬱なハスビーン』で群像新人文学賞を受賞してデビュー、以来、現代社会のなかでいきる大人の女性の姿から少年や少女の世界まで、さまざまな設定・テーマで作品を発表している朝比奈あすかさん。その作風の幅広さは、幼い頃からの幅広い読書体験、さらには一時期アメリカに住んでいた頃の体験が影響している模様。ではその具体的な作品・作家たちとは?
その3「大学時代にノンフィクションを書く」 (3/5)
――大学は文学部に進学されていますよね。
朝比奈:国文学科に進んだんですが、第二外国語がないというのが選んだ理由です...。教養課程では第二外国語がフランス語だったんですけれど、オシャレなイメージだけで安易に選択してみたらオシャレどころかシャレにならない成績を取るはめになり、このままフランス語を勉強し続けたら不登校になると思ったことと、やっぱり文章を読んだり書いたりすることに憧れがあったんですよね。いい授業が多かったと思います。『平家物語』の授業などは今でも憶えているし、宮沢賢治の授業や、『源氏物語』の授業も真面目に出ていました。『平家物語』は昔読んだ日本史の学習漫画では木曽義仲がすごく格好よくて、巴御前もすごく美人なんです。実際の『平家物語』は琵琶法師が語るものですけれど、木曽義仲は粗暴なふるまいの田舎侍として、お笑いの一幕の人物のように登場させたという説もあるとか。源義経も「私の初恋の人ですか」っていうくらいキラキラなイメージが残っているのに(笑)、実はそんなに格好良くなかったと知りました。
卒業論文では七夕の起源を書きました。いろんな説があるなかで「乞巧奠(きっこうでん)」というものをひとつ選んで詳しく書いたんですけれど、それは中国の、女性が裁縫ができるように、というお祭りだったんですよ。うちの母親が家で洋裁教室をやっているので、そこに結びつけて母のことも書けば字数が稼げると思って(笑)。
――創作活動はされていたのですか。
朝比奈:大学2年生くらいの時に、私の大叔母が満州から引き揚げてきたという経験をもとに原稿を書いて、小学館ノンフィクション賞に応募しました。それが最終選考まで行ったんですが、ちょうど就職活動の時期だったので、色々な出版社にOBOG訪問をしている時期と重なって、マガジンハウスの編集者の永野さんに出会いました。永野さんに小学館ノンフィクション賞の話をしたら読ませてほしいと言っていただき、私の文章というよりは、大叔母の体験自体に感銘を受けられたようで「改稿して世に出しましょう!」となって。『光さす故郷へ』という本になりました。
――『光さす故郷へ』は大叔母様に取材して書かれたのですか。
朝比奈:祖父が亡くなった時に寂しくなったのか、お葬式の前後の時に、大叔母様がそれまで誰にも話してなかった戦争体験を話してくれたんですよ。満州引き揚げの話です。その話を聞いて、最初は日記風、エッセイ風に書いたんですけれど、でも埋もれさせるにはもったいないかなというぐらい衝撃的な話だったので書き直しました。藤原ていさんの『流れる星は生きている』も脱出行ですが、私の大叔母もまさに同時期に、自分が満州で産んだ女の子と一緒に帰ってこようとしていました。船の中で最後の最後に岸が見えているくらいのところでその子が息を引き取ってしまったんです。見つかったら遺体を海に投げ捨てるように言われるからと、最後までその子が生きているふりをし続けたそうです。その話を最初に聞いたんですけれど、後からどんどんいろんな話が出てきて。二十歳くらいで、旦那さんとは生き別れになって、身ぐるみはがされる経験して、終戦の後も帰れなくてずっと満州にとどまって中国人のふりをして看護師さんの仕事をしたりしていたそうです。身長140センチくらいの小柄で細い華奢な大叔母さんだったんですけれど、昔の写真を見たらすごく可愛いんです。話を聞いた時は私も十八、九だったので、自分と同じ年代の女の子がこんな体験をしたということに衝撃をうけました。
――大叔母様は、『光さす故郷へ』をお読みになったんですか。
朝比奈:読みました。「きれいなことだけしてきたわけじゃないから、私の人生なんて」と言っていたんですけれど、でも、いろんな人に読まれてよかったというふうに言ってくれたのでよかったです。
――さて、大学時代、読書生活は。
朝比奈:その永野さんに知らない作家を教えていただいて、原尞『私が殺した少女』『天使たちの探偵』『愚か者死すべし』、レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』『長いお別れ』、藤原伊織『テロリストのパラソル』、大崎善生『聖の青春』などを読みました。
――ハードボイルドが多いですね。
朝比奈:そうですよね。他には、宮部みゆきさんは以前から面白いと聞いていて、ようやく『火車』を読んでみたら面白過ぎて仰天しました。桐野夏生さんは女探偵ミロのシリーズが出たばかりの時に自分で見つけて読んで「これは当たり!」と興奮して。女探偵への憧れがあったんでしょうね、サラ・パレツキーのV・I・ウォーショースキーのシリーズ、スー・グラフトンのキンジー・ミルホーンのシリーズも好きでした。パトリシア・コーンウェルの検屍官シリーズのケイは作者に重ねて読んでいましたね。その後、スパイにも憧れを抱くようになったんです。だからジョン・ル・カレとかはすごく好きでした。
――じゃあ、『自画像』の後半、いろいろ調べていく過程を書くのは楽しかったのではないかと。
朝比奈:ああ、そうですね(笑)。女探偵もスパイも、周りには普通の人だと思われているが実はすごい能力、すごい使命を秘めていた、という設定にぞくぞくするんです。といってもル・カレが書くスパイは泥臭くて作戦もねちっこくて全然成果の見えないことを地味にやっていくスパイ像ですけれど。そういうのも面白いとは思っていました。
スパイっていろんなパターンがありますよね。高村薫さんの『リヴィエラに撃て』も好きでしたし、最近だと柳広司さんの『ジョーカー・ゲーム』も面白かったです。読んでいて、日本は武士道の国でスパイが卑怯な人たちと思われているから海外小説に比べてスパイ小説が少なかったのかなと思いました。
――鉄のカーテンがなくなって、スパイ小説はどうなるのかと思いましたが、まだいろいろありますよね。
朝比奈:そうですよね。冷戦などの構造的なスパイ小説のネタがなくなると、二重スパイを暴く話とかスパイを辞めた人が良からぬ活動をしてゆくのを防ぐ話とか、本来の諜報活動そのものではない物語にもなってくるんだな、って。スパイ部署の人たちの仲間割れとか、スパイが詐欺とか、スパイが横領とか。海外のスパイのドラマも好んで見ているので、スパイを題材にする難しさと面白さを感じます。
――そういえば学生時代、ノンフィクションはお書きになったわけですが、小説は書いていなかったのですか。
朝比奈:文学部の一般教養で、鷺沢萠先生の授業があったんです。すごくいい授業だったんです。みんなの書いた作文を読んでくれたりして、「赤」というテーマで作文を書いた時に、私は夕日をテーマにして、一日の終わりと始まりみたいな平凡なものを書いたんですが、一人、毛沢東の独り言を書いた人がいて。その作文が発表されて鷺沢先生もすごく評価されていたんですが、それを読んで、同級生なのにこんなのを書く人がいることに打ちのめされて、小説というのはこういうとんでもない発想を持てる人が書くんだと思ったんです。それで、自分には小説は無理だと思いました。