第191回:原田ひ香さん

作家の読書道 第191回:原田ひ香さん

2007年に『はじまらないティータイム』ですばる文学賞を受賞してデビュー、『東京ロンダリング』や『人生オークション』、最新作『ランチ酒』などで話題を呼んできた原田ひ香さん。幼い頃、自分は理系だと思っていた原田さんが、小説家を志すまでにはさまざまな変遷が。その時々で心に響いた本について、教えてもらいました。

その3「大学では国文学を専攻」 (3/5)

――そして大学は国文科に進まれて。

原田:はい。堂々といろんなものを読むようになりました。というのも大学に入るまでは親に「本ばっかり読んで勉強しない」って怒られていたんです。今でも母がよく言うんです、家のいたるところに私の読みかけの本が置いてあったって。いろんな部屋に本が置いてあって、その部屋に行くとそれを読む。部屋を離れる時はその本を置いていき、別の部屋に行くとそこに置いてある別の本を読む。うちの母が片付けようとすると私が「そのままにしておいてよ」と言ってすごく怒ったって、今でも言われます。
 で、大学に入ってからは堂々と読むようになり、いい先生がいらっしゃったので中古文学にして、最終的には『更級日記』を学びました。その頃、秋山虔先生の『源氏物語』という新書が出ていたので読んだんですけれど、紫の上が光源氏に愛されて出世したのに子どもができず、結局女三宮に正妻の座も奪われる感じになるところに、人間には光と影があるんだなと思ったことをよく憶えています。
小説家になった後で講演を頼まれて大学に行った時に、当時の教授に「授業中いつも寝てるか本を読んでいるかのどちらかでしたね」って言われました(笑)。それはクラスの子にも言われたんですよね。だから小説家になったというのを聞いても、あまり驚かなかった、って。

――中古文学以外には、大学時代にはどのような読書を。

原田:村上さんは『ダンス・ダンス・ダンス』を出されてから、3年くらい新刊を出さなかったんですよね。だからあんまり読むものがあんまりなくて。でも当時流行っているものは読みました。シドニィ・シェルダンの超訳も流行っていたので読みましたし。

――図書館を利用したり、書店で買ったり?

原田:高校や大学の頃はアルバイトをして、結構本を買っていました。村上さんの『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が結構高かったのを覚えています。『ノルウェイの森』も自分で買って、クラス中の人に「貸して貸して」と言われて貸しました。でも筒井康隆さんの『残像に口紅を』は新刊では買えなくて、古本屋で買ったらすでに袋とじが開いていたんです。だから、古本屋さんも結構利用していたと思います。

――卒業後は、就職されたんですよね。

原田:横浜から東京駅まで東海道線で通っていたので、会社の行き帰りの電車の中で結構本を読みましたね。丸谷才一さんの新刊とか、いろいろ。その頃にアガサ・クリスティーあたりは全部読んだと思います。最近になって打ち合わせをしている時に、「何か謎があってそれで読者を引っ張っていくような小説を書いてください」と言われて、「でも私が全部読んだミステリーはクリスティーとホームズくらいしかない」と言ったら「そういう本格を期待しているわけじゃない」と言われて「あっ、そうですよね」って(笑)。ホームズや少年探偵団のシリーズは子ども用のものを図書館で借りて一連のものを読んでいたんですけれど。

――会社では秘書室に勤務されていたとか。

原田:そうです。そこで世界が広がったなと思います。当時は私が22歳で一番年下で、30歳くらいまでの先輩が5人いたんですけれど、みなさんいろんな趣味を持っている方たちで。宝塚好きだったり、歌舞伎好きだったり、映画好きだったりして、結構連れていってくれたんです。よく一緒に遊んでくれたなって思うんですけれど、それはすごく勉強になりました。もちろん厳しいところもあって、礼儀作法などもしっかり教えてもらって。私はその頃、谷崎潤一郎の『細雪』をめっちゃ面白く読んだので、逆に先輩に薦めたら、読んで「面白いね」と言ってくれて。秘書室に女性が5人いたので「うち、『細雪』っぽくないですか」と言ったりして。今でも、ああいう感じの秘書室の話が書けないかなとちょっと思いますね。先輩がお見合いをしたり、役員さんの紹介で男の人と会ったりして、そのことも姉妹のようにキャーキャー話していて。あの時代は本当に楽しかったです。

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