第208回:葉真中顕さん

作家の読書道 第208回:葉真中顕さん

日本ミステリー大賞を受賞したデビュー作『ロスト・ケア』でいきなり注目を浴び、今年は『凍てつく太陽』で大藪春彦賞と日本推理作家協会賞を受賞した葉真中顕さん。社会派と呼ばれる作品を中心に幅広く執筆、読書遍歴を聞けば、その作風がどのように形成されてきたかがよく分かります。デビュー前のブログ執筆や児童文学を発表した経緯のお話も。必読です。

その5「映画と小説」 (5/8)

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  • 『マダム・エドワルダ (角川文庫)』
    ジョルジュ・バタイユ
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  • 『文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)』
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  • 文学とは何か――現代批評理論への招待(上) (岩波文庫)
  • 『文学とは何か――現代批評理論への招待(上) (岩波文庫)』
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――映画研究会と文学同人会ではどういう活動をされていたんですか。

葉真中:最初に入ったのは映画研究会だったので、それで映画を作り始めて、自分でシナリオを書こうということになって。この時に「別冊宝島」で出ていたシド・フィールドという人の『シナリオ入門』を読みました。「三幕構成」というハリウッドで使われているシナリオの書き方が詳しく書かれている名著で、それを読みながら実際に三幕構成で脚本を書いてみたりしました。その時に、「話を作る、書くって、技術なんじゃないの」って思ったんですよね。それまで村上龍さんへの憧れから天才信仰がありましたが、だけど、自分で書くために勉強してはじめて、それまでセンスとか才能だといって片づけてきたことのかなりの部分は、実は習得可能な技術なんじゃないのって思ったんです。スポーツと一緒で、もちろん個人差や上手い下手はあるけれども、基本的にメソッドに則ってやれば、ある程度できるようになることなんじゃないの、と。実際、その三幕構成を知っているか知らないかでだいぶ違うと僕は思います。
 それで映画の脚本を書くようになって、8ミリフィルムで映画を作ったりしていました。映画を作りながら文学同人会では同人誌を作るために、ちょっとしたサスペンス小説みたいなものも何本か書きました。話が前後するんですがその前に、その文学同人会で「村上龍が好きだ」と言ったら、先輩から「じゃあこれも読まなきゃ」と言って澁澤龍彦とバタイユを薦められて。

――ああ、なるほど。

葉真中:これがドスト氏以来の、第2の「ズガーン」ですよ。バタイユの『マダム・エドワルダ』を読んだ時に、本当にものすごいものを読まされているという感覚を味わいました。龍体験とも似ていたのかな、すごい発散、解放の魅力というのがありました。最後にヘーゲルが出てきたりするのでバタイユの書いていることを一から十まで理解できたかどうか分からないんですけれど、でもその発散と解放が、20歳の鬱屈と万能感、90年代の閉塞感、それら全部に対するカウンターみたいに思えて「これだよ!」って感じたんですよね。で、同人誌にはそういう小説を書きました。

――どんな小説ってことですか。

葉真中:まあ、暴力小説。暴力と、恥ずかしいんですけれど、大して知らないくせにセックスが出てくる(笑)。本当に「あ、村上龍なんですね」「あ、バタイユお読みなんですね」っていう感じの。いや、ちょっと、本当、恥ずかしい、やばい、ちょっと...。

――あはは、本当に照れてますね(笑)。

葉真中:当時は真剣だったんです。そもそも同人誌なのでそんなに長いものを載せられないですからショートショートと短篇小説の間くらいの分量で。そこから文学や小説のことを勉強しようと思って、筒井康隆さんの『文学部唯野教授』を読んで、それからテリー・イーグルトンの『文学とは何か』という本で文学理論や批評理論にはじめて触れて、これもちょっと僕の中ではエポックで。さっきの書くことと一緒で、読むっていうことも実は技術があるんだと知りました。深い読みとか裏読みとはまた別に、批評的な読み方があるという。これまで国語の授業ではテキストに関してある種の正解を探すというか、「作者は何を考えていたのか」を当てさせていたけれど、それだけじゃない。読むとい行為にもいろんなレイヤーがあって、テキストそのものが社会的にどんな意味を持つのかとか、テキストに無意識のうちに編みこまれているものは何なのかを探っていくような読み方があるんだと知りました。そういうロジックをもっと勉強しようと思い、文系学部の授業に潜り込んだりして。
読み書きの世界にも感性とかセンスだけではない技術。努力や訓練や勉強によって向上する要素があるという気付きを大学時代に得たというのは、今でも大きいかも。ただ、映画と小説では、映画の方が当時はうまくいったというか。実は学生映画祭で、自分で脚本を書いて監督やったものが賞をもらったことがあるんです。

――まあ。

葉真中:で、なんとなく「映画に向いているのかな」と思って、将来は映画監督になろうかな、みたいな。まだ万能感がありますから、村上龍さんも小説を書きながら映画監督をやっていたので、そういうパターンもあるなっていう。後に繋がる話でいうと、当時、高橋克彦先生たちが旗を振って「みちのく国際ミステリー映画祭」を岩手でやってらして、それに僕、賞をもらって学生映画のコンペに2回くらい出品したことがあるんですよ。映画祭に推理作家協会が絡んでいて、プロの作家に会えるというのがあって。ちょっとサスペンス調の映画も作っていたので、そこで僕、大沢在昌さんと北方健三さんと東野圭吾さんと会って、話もしているんです。

――え、学生のうちに。

葉真中:学生のうちに。まあ、その後話したらご本人はまったく憶えていなかったんですけれど。夜、学生監督たちがバーで集まっていたら北方さんと東野さんが突然襲来してきて、「ちょっと学生の話を聞いてやりたいなあ」って。北方さんからはボツ原稿を積んだ話とか、昔は純文学を書いていたけれど中上健次に敵わないと思ってエンタメに移ったとう話とかが聞けて。東野さんは「君たちはどうなの、自己満足でやってるんじゃないの」って。「客がいるんだってことを意識しなきゃ」って、学生相手にもマジで。大沢さんはリップサービスの人だから、パーティの席で「君らが映画監督になったら、僕の原作はタダでやらせてあげよう」とか(笑)。

――すごい。お三方の個性がめちゃくちゃ出てる(笑)。

葉真中:大沢さんに「僕は映画監督だけじゃなく、小説家もやりたいんですよ」って言ったら「待ってるよ」って。この話、大沢さんに2回くらいしたんですが、その度に「忘れてる」って(笑)。
 そんな出会いがあったりして、学生時代の後半はそっちの活動が真剣になってしまって、教育学部なのに学校の先生になる気は全然なくなってしまって。映像の方に進みたいと思って、大学4年の時に番組制作会社でアルバイトをして、そのままその会社の契約社員になりました。就職氷河期だったんですが、就職活動はせずに大学生活に終止符を打ったんです。濃密な6年間でした。

――あ、大学に6年間いたんですか。

葉真中:はい。親不孝です。2年時に単位が足りなくて2回足止めを食らったんですが、今はどうだか知りませんが、当時は親に留年が隠せたんです。息子が大学を卒業するはずの年に卒業しなくて、「母さんごめんなさい。実はまだ2年生なんです」「ええっ」って。その時はちょっと......。最後は許してくれた感じでしたが。

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