『『青鞜』人物事典』らいてう研究会

●今回の書評担当者●蔦屋書店ひたちなか店 坂井絵里

 ここ1,2ヶ月。書店で伊藤野枝さんがよく目にとまりました。
『青鞜』や平塚らいてうではなく、野枝さんが新刊で目にとまること。
 それは横丁カフェ最後の紹介本を悩んでいたわたしの背を推しているかのように感じたのでした。

 最後に紹介したい本は、2001年、『青鞜』創刊90周年に出版された書籍。
『『青鞜』人物事典 110人の群像』(大修館書店/らいてう研究会編)になります。

 伊藤野枝(以下敬称略)。28年の生涯のなかで、3回結婚をし、7人の子を産み、アナキストの大杉栄とともに虐殺された女性。NHKの朝の連続ドラマ『あさが来た』で、最終回近く、大島優子さんが演じた平塚らいてうが25歳のときに発刊した雑誌『青鞜』の編集発行を、後にわずか20歳で受け継いだ女性。

 その短く激しい生涯と、瀬戸内晴美(瀬戸内寂聴)さんが1965年に書いた野枝と大杉栄の伝記小説『美は乱調にあり』のベストセラーなどにより、『青鞜』といえば平塚らいてうと伊藤野枝が有名です。

 それでも古書ではなく新刊で野枝を見ることは『伊藤野枝と代準介』(2012年/弦書房/矢野寛治著)以降なかったと思います。そこに今年3月に政治学者・栗原康さんの著作『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』が出版されました。岩波書店からという驚きのなか、紀伊国屋書店新宿本店や吉祥寺のBOOKSルーエ、ジュンク堂書店池袋本店ではそれぞれの担当の力のはいった関連書籍のフェア(2016年4月末までとHPでは明記)が行われているようです。

 栗原さんの著作では『現代暴力論』(2015年/角川新書)で野枝に関する記述を目にしていましたが、このたびの新刊はその想いが爆発したかのように書籍自体が熱を発しているような評伝でした。

 同じく3月刊行の『被差別小説傑作集』(河出文庫/塩見鮮一郎さん編集)では、明治維新以降に書かれた被差別部落に関する小説11編が収録。野枝が1921年に発表した創作『火つけ彦七』が掲載。これもアンソロジーに野枝の文章が掲載されるという驚き。2月刊行の、嵐山光三郎さんの『漂流怪人・きだみのる』(小学館)では野枝と同じ年に生まれたきだみのるさんが、野枝や大杉のこと、辻潤との交流、さらに野枝と大杉を惨殺した甘粕大尉から頼まれていたあることなど、これも驚きのきだの証言を収めています。

 しかしもちろん『青鞜』に関わった人々、集まった女性、らいてうや野枝に影響をうけた人々だけではなく、影響を与えた人々は有名無名にかかわらず多数いるはずです。ではいったいどんな女性たちが『青鞜』に関わったのか。本書は、らいてう研究会の23人の方々が、それぞれ人物を割り当てて執筆されています。

 名簿などもないなか、これだけの人々を調べ上げるのはじつに大変だったことだろうと、その労力に感嘆します。女性88人、男性13人、外国人9人の、計110人の群像。用語解説や参考文献など『青鞜』関係資料も巻末に載せ、追うことのできた一人一人の『青鞜』への関わりとその後の生き方が凝縮されたページでまとめられている力作です。

 顔写真が掲載されてる方も多く、その方をイメージしやすく見やすい本文。少し読むだけで、ああこの二人はつながりがあったのか、この人も『青鞜』と縁があったんだ!と興味も膨大に広がります。10代から20代の若い女性たちの『青鞜』へ原稿を執筆するその息遣いや、集まって話し合うなかの真剣な会話や、きっと聞こえたであろう華やかな明るい笑い声が聞こえてきそうなのです。

 そして、今の時代から見れば女性差別だと簡単にいえる様々な慣習や規範。声をあげる女性が異質であり、社会的立場の低さはあたりまえだった時代に、ここまで思想をもち、声をあげ、精一杯生きている女性たちのその情熱、人生をかけた想いに圧倒されます。

 夏目漱石の推薦により作家としてデビューした野上弥生子が、野枝一家の隣に住んでいて、会うたびに野枝と読んだ本の感想をいいあう仲であったこと。『青鞜』創刊に参加していた加藤みどりという女性の夫が、大正時代にシャーロックホームズを翻訳していた加藤朝鳥ということ。(仲人は『青鞜』を後押しした生田長江だったという)

『青鞜』で表紙絵も描いた尾竹紅吉(富本一枝)は、叔父が日本画家の尾竹竹坡で、夫が人間国宝にもなった陶芸家・富本憲吉ということ。岡本太郎の母である岡本かの子も太郎出産後、『青鞜』の社員になっていたこと。

 野枝と仲の良かった小林哥津は、父が明治の浮世絵師・小林清親だということ。(2015年にNHKの日曜美術館で清親が没後100年で紹介され、当書店でも作品集を探されているお客様が多かったのが印象的でした。)賛助員として『青鞜』の創刊に名を連ねていた加藤壽子は、さきの『被差別小説傑作集』の11編掲載されている作家のなかのひとり、小栗風葉の妻だということ。

『青鞜』の発起人会、および事務所にした場所は本郷区駒込林町にあった物集(もずめ)邸。物集芳子・和子姉妹の父・物集高見は「広文庫」(編纂に17年を要した当時の百科事典)の編者の国語学者だということ。

 物集芳子は後に大倉燁子(てるこ)というペンネームで探偵小説作家となっていたこと。( 論創社の論創ミステリ叢書『大倉燁子探偵小説選』が現在も入手可能)などなど、知っている方にとってはあたりまえなことですが、私には驚くことばかり。この時代の人々を点と点だけで知るのはもったいないことだとつくづく思わせてくれる本書。一人一人の点は線になり、その線は複雑に絡みあいます。

 たとえばひとつの点を野枝。ひとつの点を竹久夢二にすると、野枝の長男の辻まことは武林無想庵の娘イヴォンヌと結婚し、娘の野生(のぶ)は友人・竹久不二彦の養女になります。竹久不二彦は竹久夢二の次男です。ここで点が線になります。

 ひとつの点を野枝。またひとつの点を夢野久作とすると。野枝の叔父の代準介が玄洋社の頭山満に会いに行ったとき、取り次いだのは宮崎滔天。(NHK朝ドラの『花子とアン』で一躍有名になった、柳原白蓮と駆け落ちした青年・宮崎龍介は、滔天の長男。)そしてそのときの玄洋社の金庫番・杉山茂丸が『ドグラ・マグラ』の著者・夢野久作の父です。そして、代準介の家の左隣に住んでいた五代藍子という女性は『あさが来た』で有名になった、五代さま=五代友厚の次女だったそう。

 互い同士が知らないのに、俯瞰するとつながりあい、響きあう人と人の不思議さ。けれども気をつけたいのはその人の生涯のかけらをかじっただけでは、足りないということ。

『伊藤野枝と代準介』は、著者である矢野寛治さんの妻の曹祖父が代準介であり、代の手書きの自叙伝「牟田乃落穂」を読み解きこの書籍を刊行。『美は乱調にあり』などで、妻の母が自分の母親・千代子さん(野枝の従姉として姉妹のように過ごした時期もあった方)に関する誤った記述が流布したことを、非常に悔しがっていたといい、それが執筆のきっかけとなっています

『無想庵物語』(1989年/文藝春秋)で著者・山本夏彦さん(亡き父・詩人の山本露葉が武林無想庵と友人)が「いつの時代でも世間の噂と実際とはこの程度に似て、この程度に似てない」「その人を知るとその人の文章を鑑賞することのさまたげになると私は思っている。」と書き、『彷書月刊2000年3月号/論創社/特集・わたしは伊藤野枝』では森まゆみさんが「大杉や野枝、辻まことなどを主人公にした、あるいは脇役とした小説はいくつかある。それらによって彼らに導かれるのはよいとしても、やはりその先はじっさい彼らが書いたものを読むべきである。」と書いています。

 野枝自身も1921年発表『成長が生んだ私の恋愛破綻』の中で「自分の本当の心持ーそれもなかなか他人には充分に話せるものではありません。(略)どれほど多くの言葉を費やしても、話すほど損をしたような気持ちになる事があります。」と、他人の理解の難しさを述べていました。

 わたしもいままで評伝で終わっていたことが多く、その先へ進むのをまた次のときに......と延ばしていました。

 野枝が28年の生涯で残した、全集で2000ページにもおよぶ評論や随筆、書簡や創作。評伝は入口であるとしみじみ感じます。これだけの文章を書き残した女性。どれだけ自身と向き合った思考の連続の日々だったことでしょう。

 野枝の全集は絶版になっています。學藝書林の『伊藤野枝全集』上・下は初版が1970年(真っ赤な箱に入った火のような美しい装丁は栃折久美子さんです)。野枝研究の先駆者といわれた、女性史研究家の井出文子さんが編纂されました。『定本・伊藤野枝全集』全4巻が同じ學藝書林から2000年に出版されるのですが、井出さんは前年の1999年に79歳で急逝されています。

 引用が長くなりますが、全集のなかで野枝が1916年に発表した『雑音』のなかに、仲良しだった"哥津ちゃん"のことを記したこんな文章があります。

「何となく、ただ訳もなく好きなところのある人だった。平塚さん(平塚らいてう)とかづちゃん(小林哥津)にはさまれて座って話をしている時は、私にとって本当に気持ちのいい時だった。」

 激しい野枝のイメージから離れた、女子高生のようなこんな一文がわたしは大好きでした。後にわたしには友達はいないといっていた野枝が懐かしく思い出すかづちゃん。ただ訳もなく好きなお友達。その気持ちがよくわかるのです。

 1915年発表の『偶然二三』では「私は何をしても何を考えてもいい加減で止めたくない。終わりまできっと追及しないではいられない。(略)それは私のかなしい性癖である。」野枝が20歳の時の文章。この"追及しないではいられない"強さではなくつらさを思うと、わたしは涙がぽろぽろこぼれるのです。

 辻潤との間の二人の男の子を置いて大杉のもとへはしったとよく簡潔に書かれる野枝ですが、子どもが大好きだったことや辻潤を尊敬しつつも彼が働かないことでの貧乏のつらさを書き、「私達が親子であることを妨げられない以上は、私達は必ず話し合い理解し合うことが出来るのです。私はそれを信じています。」と記し、辻まことと若松流二という二人の大切な息子との"話し合い理解し合ういつか"があったかもしれないのに、突然それを断ち切られた野枝。

 そして虐殺される5ヶ月前の1923年『自己を生かす事の幸福』ではこう記します。「他人によって受ける幸福は絶対にあてになりません。(略)何の理由にしろ、その幸福に離れた時、取り乱すことのないようにしたいものだと、私は終始おもっています。そしてその覚悟は、やはり自分の生きてゆく目標を、どこにおくかによってきまるとおもいます。」

<自分の生きてゆく目標> <その覚悟> 

『青鞜』の時代に生きた女性たちの姿をみるようです。
 そしてそれは決して100年前のものではなく、今を生きている女性への問いとして鮮明にのこっています。

 本書『『青鞜』人物事典 110人の群像 』の執筆者、らいてう研究会の23人の方々も本書を編集されながら様々なことがあったと思います。『青鞜』を読み込み、思考していた、この23人の群像も読んでみたい。
 それはまた次の女性へと繋がる何かを教えてくれるのではないかと感じます。

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蔦屋書店ひたちなか店 坂井絵里
蔦屋書店ひたちなか店 坂井絵里
1971年東京生まれ。学生の頃は本屋さんは有隣堂と久美堂が。古本屋さんは町田の高原書店と今はなきりら書店がお気に入りでした。子どもも立派なマンガ好きに育ち、現在の枕元本は、有間しのぶさんに入江喜和さん、イムリにキングダムに耳かきお蝶・・とほくほく。夫のここ数年の口ぐせは、「リビングと階段には本を置かないって約束したよね?」「古本屋開くの?」「ゴリラって血液型、B型なんだって」 B型です。