第9回 新しい庶民酒をつくる東京の地域力 〈後編〉

2.業務店の創意工夫を後押しする地場のメーカー

 考えてみれば、かつてトリスバーでハイボールがもてはやされたのも、下町で「焼酎ハイボール」がはまったのも、まさに戦後という文脈の変化に応えた、新時代の東京にぴったりの新しい飲料と認知されたからでした。

 「下町にハイボールの素がはまったのは、価格の問題ももちろんあったと思います。高級な材料は下町には合いません。でもその後、経済がどんどん伸びて行った時代には、もっとおいしいもの、もっとぜいたくなものが求められました。弊社の商品も、はじめ果汁10%で開発すると、物足りないから30%で持っていらっしゃい、といわれたものです。割り材にもふんだんに果汁を使うようになりました。しかし、現在はもっとちがう需要が生まれています。ちょうど、店作りが終戦直後の、映画などでしか見たことのないような風景に戻っているのと同様に、飲み物の流行も、そこに戻されていると思います」

 具体的にはどういうことでしょうか。「たとえば戦後から、スタイルをまったく変えていない居酒屋さんがマスコミで紹介され、その店独自の料理や飲み物、たとえばハイボール風の謎の酒があるといわれれば、"行ってみたい"と思いますね。これは雑誌などで紹介する側の方々、長年続くスタイルをわざと変えない店主の方々、みんなで演出しているわけです。店名をあげると(千住の)永見さんとか大はしさんに行くと、非常にユニークな世界があります。注ぐ容器もわざわざ変えて、特別にブレンドした飲み物があり、それを飲まないとそのお店の仲間じゃないというような」
 いちげんのお客も、お店に入って注文するだけで、都市を演出する側にたやすく回ることができる。これも東京の魅力なのかもしれません。

「チェーン化された居酒屋は企業ですから、食材・飲み物などは関連会社から調達する。でも、そればかりだとつまらない。どこに行っても同じような店になってくると、"このあたりで、どこか面白い店はないの?"という欲求が生まれ、そこから飲食文化が始まるのだと思います。となると、やはり個人店さんで、特徴のある店づくり、独特のおつまみ、個性的なマスターがいたり、昼から開いているとか、特色のあるところに行ってみたい。他にはないようなお店がそれぞれの地域にあって、そこでは飲み物も、大手さんのメジャー商品ばかり揃えるのではなく、うちの売りはこれ、というものでないと雰囲気が出ない。弊社の割り材も、そういう業務店さんに使っていただいています」
 なぜなら、それぞれのお店が独自のブレンドをして、他にない味を出しているからです。それだけ汎用性の高い割り材をつくっているのは、メーカーとして、ひとつの強みだといえます。

 「お店によっては、開発者の私どもが予想もしなかったような飲み方を考案しています。たとえば弊社の『ハイゆず』という商品は、思い切りぜいたくに、柚子果汁を入れた高級な商品ですが、居酒屋さんに行くと、カルピスと半々に割って『ゆずカルピス』というサワーになっていました。こんな飲み方があるのかと驚き、飲んでみると結構美味しくて、さらに驚きました。だから、商品開発したときに、お客様が手を加える自由さを残しておかなければいけない。完成されてしまっている大手の商品ではなかなか難しいことなのです」

 一つの職人技として、ユーザーが自由に工夫できる余地を残すことは、昭和30年代のハイボール原液の開発時から行われていました。当初は、どんな品質の酒と割るか予測がつかないという理由で、そうなったのでしょう。でも、庶民酒の味を追求する東京の業務店の努力は、焼酎の品質が比類のない高さに向上した後も、やむことはなかったのです。
 「正直、私どもも、何をまぜているのか、分からないことがあります。この店はハイボール原液を○○と割っていて美味しい、私は○○とブレンドするのが好みだ、と話題が膨らむのがメジャー商品とは違うところだと思います」。そこに大手とは異なる、地場のメーカーの可能性があるのかもしれません。

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