第8回 新しい庶民酒をつくる東京の地域力 〈前編〉

 居酒屋で誰もが注文する酎ハイやサワー類は、東京の中小清涼飲料メーカーの知られざるモノづくりの努力に支えられています。東京の庶民酒の歴史を探訪する「ききあるき・東京酎ハイ物語」は、折り返しの第8回目を迎えることができました。取材にご協力いただいている関係各社のみなさまに、深くお礼申し上げます。

 本連載が焼酎ハイボールを追いかけている間、巷ではサントリーの仕掛けがみごとに当たり、ウイスキーハイボールのブームが到来しました。焼酎の割り材(ミキサードリンク)を製造する清涼飲料業界にも、うれしい追い風です。
 CMでおなじみの大手メーカー以外にも、ハイボールと銘打つ新商品が次々と発売されています。なかでも2010年4月、「カンダ梅ハイボール」を出した㈱神田食品研究所は、下町および東京低地の新下町で1950年代後半から今日まで、約50年もの長いあいだ、親しまれてきたハイボール原液を製造する会社です。
 古いのに新しい、ハイボールの人気の秘密は、どこにあるのか。今回の取材では、企業の第一線でハイボールの製品開発に取り組んできた同社の製造課長 兼 研究開発室長・秦好昭さんに、作り手の立場で考え抜いたハイボールの魅力について、お話をうかがうことができました。

1.どんな会社なのか

hi-ball.JPGのサムネール画像 東京低地の飲み屋でしばしば出会う、明るい黄色と華やかな口当たりの焼酎ハイボール。本シリーズ第三回で登場した天羽飲料の「謎のエキス」とは明らかにちがう味は、神田食品研究所の「カンダハイボール」です。
 同社は、東京・飯田橋に本社ビル・工場・営業所・商品倉庫をもつ、果汁100%ジュースと割り材を主力商品とする清涼飲料メーカーです。酒類の卸小売チェーン「なんでも酒や・カクヤス」によく行くかたなら、紙パック(上部が屋根型をしているゲーブルトップパック)入りの「カンダジュース」が棚に並んでいるのを知っているかもしれません。

 とはいえ、製品が「一般向けに流通する場合はほとんどなくて、居酒屋、バー、レストランなど業務店向けの卸が95%です」とのことですから、知る人ぞ知る会社であることは間違いないでしょう。
 神田食品研究所は、昭和33(1958)年に、東京・神田、東京医科歯科大学そばで、食品企業向けのコンサルタント会社として創業しました。「戦後の就職難の時代、仕事がないなら自分たちで会社をつくろうと、現社長の石山(清氏)と初代工場長の西(保隆氏)が興したそうです」
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「当時、ワサビは夏口になると辛味成分が抜けてしまい、冬しか扱えなかったので、ドイツから輸入したマスタードを配合し、夏でも辛味が抜けない製品を開発しました。やがて昭和35(1960)年ごろ、アメリカで流行っていた果汁入りの濃厚(コンク=concentrate:濃縮を略したサントリー命名の造語)ジュースを、日本でもできないかと依頼されました。今とちがって、情報のない時代ですから、図書館で文献を集めて、オレンジなど濃厚ジュースの開発を始めたのです」

 東京のメーカーは、ラムネ・サイダーの製造からスタートし、無果汁のジュース飲料(みかん水)やかき氷用シロップを手がけていった例が多いのですが、同社はいささか出自を異にします。それについて尋ねると、
「着香・着色ではなく、厳選した本物の果汁を使用した商品は、当時、ぜいたく品でした」。高果汁の製品開発には、革新的な技術を要し、百貨店で贈答用に扱われる、高級品とみなされていたのです。「かなり高価なので、それほど売れないだろうと思っていました」

 ところが、「当時、脱サラをして喫茶店を開業するブームが起き、それとともに会社が成長していった経緯があるんです」。濃厚ジュースを炭酸水などで5倍ほどに希釈し、お客に提供すれば、たいへん経済的で、お店としては助かります。こうして業務用の需要が急拡大した結果、昭和30年代後半、ブドウ、パインなど商品のバリエーションを増やし、コンクがメインの商品になっていきました。同社は、高果汁の業務用ジュース製造の老舗といわれています。


(株)神田食品研究所
(株)神田食品研究所
秦好昭氏
製造部製造課長 兼 研究開発室長
飯田橋駅ホームから見える同社看板
飯田橋駅ホームから見える同社看板

株式会社 神田食品研究所 代表取締役 石山清 
本社:東京都千代田区飯田橋4‐9‐9 資本金1000万円 従業員30名
沿革:昭和26年4月「神田食品化学研究所」として創立、昭和45年1月に株式会社神田食品研究所と組織変更し、現在に至る

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