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2月26日(金)

オール讀物 2010年 03月号 [雑誌]
『オール讀物 2010年 03月号 [雑誌]』
文藝春秋
960円(税込)
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  オール讀物3月号は直木賞発表号だが、この号に寄せた白石一文のエッセイを読んでいたら驚いてしまった。そこにはこう書いてあったのである。

「生涯一度だけ父はSF小説を書いている。徳間書店のSFアドベンチャーという雑誌から誘いがかかり、唯一の趣味であるSFを仕事にしていいものかどうかかなり逡巡しつつ引き受けた。背中を押したのは大学生になっていた僕だった。『黒い炎の戦士』という五巻まで達しながらも未完のシリーズだが、この小説の原案は僕がほとんど考えたのだった。正真正銘、父子合作と言っていいと思う。文庫化したときは印税も折半にした」

 いやあ、びっくりだ。あの『黒い炎の戦士』が白石一文の原案だったとは驚く。ここに出てくる「父」が、海洋時代小説の分野で数々の傑作を残した直木賞作家の白石一郎であることは言うまでもない。時代伝奇小説『鳴門血風記』のような傑作もあるが、直木賞受賞作の『海狼伝』が海の匂いを濃厚に伝えていたように、時代海洋小説の第一人者といっていい(その続篇『海王伝』も書かれている)。

 その白石一郎がSFを好きであったとは、『黒い炎の戦士』を書くまで知らなかった。子供のころから南洋一郎などのSF冒険小説に熱中していたらしい。のちに、「もともと時代小説とSFは矢印の方向を逆にしながら同じ線上に並ぶものだと、私は考えている」と書いているし、「SFを耽溺することを唯一の娯楽としてきた」ともあるから、それを知っていれば驚かなかったが、『黒い炎の戦士』が刊行されたときには、あの白石一郎がSFを書くのかとびっくりした記憶がある。その大河長編が息子(白石一文)との合作だったというのだから、もっとびっくりだ。

 前記の白石一文のエッセイに、あまりに面白い本を読んでいると我慢できなくなって叩き起こされ、読み聞かされた子供のころの思い出が書かれている。E・E・スミスのレンズマン・シリーズは父の十八番だったらしい。「余りの面白さに僕も弟も夢中になって父の語るスペースオペラに耳を傾けた」と白石一文は書いている。その影響で白石一文もSFを読み漁ったようだ。

 時代伝奇SF小説『黒い炎の戦士』は、1981年5月からSFアドベンチャーに連載され、第5部は書き下ろしで刊行されたものの、いまだに未完の大河小説である。黒子と呼ばれる十三人の異能者集団と、異国から来た超能力軍団・白鬼との凄絶な戦いを描く大長編で、第4部から海洋小説の趣を示し始めるのがいかにも白石一郎らしい。

 1982年から1986年にかけて徳間ノベルズとして刊行され、1991年に徳間文庫に入った。㈰謎の虹彩剣、㈪田沼暗殺計画、㈫黒白の死闘、㈬太陽丸出帆、㈭クリスタルの戦士、の5巻である。いまは絶版で読むことが出来ないのは残念だ。

 前記のエッセイで白石一文は次のように書いている。
「この『黒い炎の戦士』についてはいずれ父に代わって完結編を書きたいと思っている。最終章へ向けての詳細なコンテもすでに作ってあるのだから」

 おいおい、コンテもあるのかよ。直木賞を受賞したばかりだから、それはもう忙しいだろうが、ぜひぜひ早く完結編を書いていただきたい。

 第6部完結編を書き下ろし、第1〜3部を上巻、第4〜6部を下巻として、分厚い上下巻の単行本として同時発売という案はどうでしょうか。つまり、宮本昌孝『剣豪将軍義輝』のときと同じような感じで。徳間書店さま、早急にご検討いただければ幸いです。

2月9日(火)

雲遊天下 101
『雲遊天下 101』
ビレッジプレス
525円(税込)
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 週末に京都へ行ってきたのだが、金曜の早い時間に到着し、そのままホテルで読書し続けたら持っていった本を読み終えてしまった。あとは競馬するだけだから(帰りの新幹線はいつも疲れていて読書できないし)、もう本は必要ないのだが、万が一ということがある。やはり余分な本が身近にないと落ちつかない。そこで四条烏丸の大垣書店を覗いてから四条通りのジュンク堂にいくと、そこで「雲遊天下」という雑誌を発見。

 この号の特集は「雑誌のゆくえ」というもので、彷書月刊の編集長田村治芳氏インタビューが載っている(聞き手は岡崎武志氏)。そこで、「本の雑誌」に触れて「その号数が一ケタの時代はすごく面白かった覚えがある」(田村)、「なんだか過激で勢いがありましたね。文庫をビルから落としてどれが一番丈夫かとか」(岡崎)、「そういうなんだかくだらない力があった気がするよね。それで、二ケタくらいになるとあんまり読まなくなった」(田村)という会話が続いているのだが、ここを立ち読みしていたら、30年ほど前に京都に営業できたとき、四条河原町の書店で購入した雑誌のことを思い出した。

 以前もどこかで書いたのだが、本の雑誌の事務所を四谷三丁目のビルの5階に作った年、関西方面に営業に出掛けたことがあるのだ。で、ある書店のレジに積まれていた雑誌を買って、その夜ビジネスホテルの一室で読んでいたら、あまりの面白さに笑い転げてしまったのである。「大学対抗ラッタッタ京都市内駅伝競走」という特集があって、ようするに京都市内を50ccのバイクでリレー競走するだけのことだから超くだらないのだが、そのレポートを書いた人のセンスが抜群なのだ。つまり「文庫をビルから落としてどれが一番丈夫かとか」調べるだけの話が面白くなるのはそのレポート筆者(本の雑誌の場合は若き日の椎名誠)次第なのである。レポート筆者の文章が面白くなければ、超くだらない企画は、くだらないまま終わってしまうのである。

「大学対抗ラッタッタ京都市内駅伝競走」(これがそのときの正確なタイトルなのかどうか、実はよくわからないが、だいたいこんな感じ)が最高に面白かったのも、その原稿を書いた人のセンスが素晴らしかったからだろう。つまり、若き日の椎名誠に匹敵する才能の持ち主が(いや椎名を超えていたかもしれない)、当時の京都の学生にいたということだ。そのときの雑誌名も、そのときの執筆者の名前も、覚えていないのは残念だ。覚えているのは、京都の大学生たちが趣味で作っている雑誌だった、ということだけだ。

 当時の私は本の雑誌の発行人なのだから、それほどの才能の持ち主と見込んだのなら、名前と連絡先を控えて、帰京してからでも原稿を依頼すべきだったろう。そういうことをいっさいせず、ただ読者として面白がるだけで終わってしまうのだから、今となっては信じられない。こういうやつが発行人をやっていたのである。

 そのとき私が泊まったビジネスホテルは壁が薄く、隣室からゴホッゴホッと咳の音が聞こえてくるほどだったので、笑い声を押さえるのに必死だった。声をあげて笑いたくなるほど超面白かった。

 そのことを久々に思い出し、その「雲遊天下」という雑誌を新刊と一緒に購入してホテルに戻った。で、翌日の検討をする前に読み始めたら、その雑誌の発行元は東京だった。てっきり京都の雑誌かと思っていたのだが、私の早とちりであった。

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