4月1日(木)

 講談社のPR小冊子「本」4月号を開いたら、高島俊男「漢字雑談1」というのが載っていて、読み始めたら思わず引き込まれてしまった。
 読売新聞の一面コラム「編集手帳」(二〇一〇・一・二〇)に、杉本深由起さんの詩集『漢字のかんじ』から、「涙」と題する詩が引いてあったと高島俊男さんは冒頭に書いたあと、その詩を引用している。

  涙 ながすときには
  ひっそりと 戸をしめて
  でも
  ながした 涙のぶんだけ
  戸のなかで
  大きな人になって
  戻っておいで

 この詩の意味が「編集手帳」子の説明を読むまでわからなかったと高島俊男さんは書いている。高島さんにわからないことを私がわかるわけがない。いったい何だろうと読み進む。すると、涙という字はサンズイに「戻」で、その「戻」は、「戸」と「大」から出来ている。だから「戸のなかで大きな人になって戻っておいで」となる。それが涙という『漢字のかんじ』だ、ということなのであるらしい、奇抜な発想ですね、と高島さんは書いている。
 読売新聞の一面コラム「編集手帳」に載ったのはどうやらその「涙」という詩だけであるらしく、『漢字のかんじ』という詩集に収められた詩がすべてこのように、漢字を取り上げ、その字を構成している部分に分解してその含意を感じ取っているものなのかどうかはわからないというが、思わずその詩集を買いに走りそうになる。

 しかし、実は興味深いのはその先なのだ。これは、高島俊男「漢字雑談」第1回の枕にすぎない。ここから「戻る」という字の由来について話が進んでいくのである。高島俊男のエッセイに今さら感心していてはばかみたいな話だが、これがまことに面白い。高島さんがなぜ「もどる」という言葉を必ずかな書きすることにしているか、なるほどなあと思うのである。
 この「漢字雑談」は4月号からの新連載だ。各社のPR小冊子を読むのは楽しいが、また来月から愉しみが一つ増えて嬉しい。