8月6日(金)灼熱地獄の東京で

 私が若いころのことだから、ずいぶん昔のことなのだが、乾燥機付きの洗濯機を買うか、エアコンを買うか、悩んだことがある。洗濯機を置く位置が外に面していないため、乾燥機をつけても外までパイプを伸ばさなければならないということもあり、見積もりを取ったらすごく高価なのだ。そのころのエアコンとほぼ同価格だったから、両方ともに買うのは予算的に難しい。どちらかにしなければならない。そのときのことを夏が来るたびに思い出すのは、エアコンを付けなければ寝苦しくて眠れない日は一夏に十日しかないではないか、という理由でエアコンを断念し、乾燥機付きの洗濯機を購入したからである。

 ようするに、十日間の灼熱地獄を我慢できるならエアコンはいらないのだ。それが三十年前の東京の真実である。もっと前はどうだったろう。私が幼いころ、つまり半世紀前はもちろんクーラーもなく、家庭にあったのは扇風機だけ。それで十分暑さをしのげたことにいまとなっては驚く。

 そのころ、映画館はどうだったのか、まったく記憶にない。池袋から東武東上線に乗って数分のところに大山という駅があり、その商店街の中に大山東映という映画館があった。私の生家から歩いて20分のところにあったから、兄に連れられてよく映画を観にいった。片岡千恵蔵が七役をやる映画があって、何に扮してもそれが片岡千恵蔵であることはミエミエなのに映画の中の人たちは誰もそのことに気づかないということがとても不思議であった。一年中その映画館に行っていたから、夏も行ったはずだ。汗だくになっていたら記憶に残っているだろうから、そうではなかったのだ。

 昭和三十年代初頭の東京の映画館にはクーラーがあったのか。それともクーラーなどなくても過ごせるほどの気候だったのか。それが無性に知りたい。

 そうか、ホームに滑り込んでくる電車の窓が開いているか、閉まっているかをどきどきしながら待っていた記憶がある。電車の窓が開いていれば冷房車両ではないということで、ツイてねえなと思うのである。あれはいまの郊外の家に越してきてからのことだから、そんなに昔のことではない。

 全車両冷房というのは今や当たり前になっているが、そうなったのはごく最近なのである。10年かなあ。正確に調べたわけでもないのに、こんなことを言うのも何なのだが、20年ということはないと思う。

 ようするに、こんなにひどい状態になったのはごく最近のことなのである。昨年まではもう私、死ぬかと思った。夏が来るたびに、その暑さにふらふらになり、永遠に秋はこないのでないかと思い、暗い気持ちになった。

 で、今年も夏がやってきて、いやだなあ、あの夏が始まるのか、と最初は身構えていた。ところがとても不思議なのだが、今年は平気なのである。いや、もちろん暑いんですよ。たまらないんですよ。でも昨年までの、どうしようもないという感じはない。

 サラブレッドの世界では、高齢馬は夏の暑さに強いと言われている。何度も暑い夏を経験しているので我慢強くなっているというのだ。その意味で私、ようやく真の意味での高齢馬になったのかもしれない。ここ数年の東京の8月の平均気温はマレーシアと同じらしいが、いまなら私、マレーシアでも暮らせそうだ。