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4月30日(水) en-taxi

enーtaxi 第41号(Spring 201―超世代文芸クォリティマガジン 赤川次郎by重松清/写真とわたし特集/杉作J太郎特集 (ODAIBA MOOK)
『enーtaxi 第41号(Spring 201―超世代文芸クォリティマガジン 赤川次郎by重松清/写真とわたし特集/杉作J太郎特集 (ODAIBA MOOK)』
扶桑社
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「en-taxi」41号を読んでいたら、えっと思う箇所にぶつかった。坪井一雄の連載エッセイ「昭和「ジャンク館」③風に舞う勝馬投票券」に、次のような記述があったのである。

<新宿駅西口に日本中央競馬界の〔場外勝馬投票券発売所〕、俗にいう場外馬券場があった。資料では昭和二十八年八月に開業して、昭和四十年四月に新宿駅南口に移転、開業している。>

 私が競馬を始めたのはハイセイコーが中央にきて全国的なブームとなった昭和四十八年で、そのころから新宿場外に通ってきたが、その南口の新宿場外が西口から移転してきたものだとは知らなかった。前掲のエッセイでは、昭和三十年代の半ば、子どもだった著者が父親に連れられて西口の場外馬券売り場にいったときの様子が描かれている。

<西口は、淀橋浄水場が近いからか、駅前とはいえ華やかさはない。バスや車のロータリーがあり、囲むように倉庫のような建物や空き地があった。その他は、今でもある工学院大学が浄水場に隣接してあった。駅前を少し外れて甲州街道沿いには小さな商店が軒を連ねていたが、何かの問屋とか箪笥屋とか食堂、荒物屋など、どの町にもある普通の商店街の佇まいだった。>  当時の新宿西口がどういうものであったのか、その寂れた佇まいが浮かんでくる。昭和四十年まで西口にあった場外馬券売り場はいまどうなっているのか、正確にはそれはどの場所であったのかを調べるところから前掲のエッセイは始まっているが、場所をつきとめるくだりにこうある。 <それを現在の地図と重ねると、現在の住所表示では、新宿区西新宿一丁目十一番の一画になる。そこは今、ヨドバシカメラ新宿西口本店だ。>  そうだったのか。あそこに場外馬券売り場があったのか。このエッセイでは、穴あき馬券がいつごろから印刷馬券になったのか等についての言及もあり、大変興味深い。実は競馬周辺のさまざまな事柄は余り書き残されていない。

 たとえば、馬券を販売する機械が新しいものに順次切り替わっていった時期がある。穴あき馬券のずっとあと、ごく最近の話である。機械が変わることで、大きさもそれに伴って微妙に変わったが、いちばんの違いは硬い馬券から柔らかい馬券になったこと。その時期がちょうどディープインパクトが大活躍した時代と重なっていたので、馬券コレクター(こういう人たちがいたのだ)は大変であった。たとえばディープインパクトは生涯で十二勝しているが、その単勝馬券を12枚持っていてもコンプリートにはならない。硬券と軟券の両方がなければならないのだ。私は馬券コレクターではないのでコンプリートには何枚が必要なのか詳しくはしらない。ダービーが終わった時点でディープインパクトは5勝していたが、その時点のコンプリートは8枚だったとコレクターの知人から聞いたことがある。

 こういうことも競馬周辺の事柄のひとつで、さして重要なことではないと言うこともできる。しかし、その時代を生きた人には大事なディテールなのだ。だが残念ながら、まず歴史に残らない。  南口に移転してからの新宿場外しか私は知らないが、思い出はたくさんある。昔はPATも電話投票もなく、競馬場か場外に馬券を買いにいくしかなかったので、大レースのときは大変だった。昼ごろに新宿について馬券を買おうと思っても入場制限をしていて場外馬券売り場の中に入れないのだ。その列が甲州街道と明治通りが交差するところまで伸び、さらにそこでぐいっと曲がって甲州街道沿いに新宿駅の南口の前まで伸びてくる。場外馬券売り場の建物に入るのに2時間待ちなんてことはざらにあった。  その南口の新宿場外が先週の土曜にリニューアルオープンした。三年前の震災でビルにひびが入ったとかで建て直したのである。三年ぶりの売り場再開である。最近は競馬場にいくか、あるいはPATで買ってしまうので、新宿場外に行く機会はほとんどない。三年間閉鎖されていても個人的に不便と思うことは一度もなかった。でもリニューアルオープンの話を聞いたのでその初日に行ってみた。たまたまその日は仙台にいく予定だったので、東京駅に行く前に寄っていこうと自宅を早めに出たわけだ。当たり前の話だが、とても綺麗なビルになっていた。最初にこの場外に行ったのは一九七三年であるから、なんと四〇年前である。四〇年前に何を思ってここに通っていたのか、それを思い出そうとしたが、あまりに昔すぎて何も思い出さなかった。
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