« 前のページ | 次のページ »

6月30日(火)

 私は、18歳のとき、もうこんなだらけた生活はやめようと、働きだした。その最初の職場は、東京駅前にある八重洲ブックセンター本店であった。週5日、10時から18時のアルバイトで、真新しいタイムカードを押すと、理工書のフロアーである3階に連れていかれた。そこが私の配属先で、担当は医学書だった。もちろん上司や先輩がいて、知識のない私には簡単な仕事しかできなかった。でも仕事は楽しかった。毎日パチンコや麻雀をしているより、ずっと楽しかった。

 しかし厳しくもあった。
 1冊の本を売るために、誰もが本気だった。平台に数分穴が空いていただけで、フロア長の呼び出され、「あの瞬間に本が売れたかもしれないだろう!」と怒鳴られた。月曜日の朝には新聞の書評に載った本をテストされ、閉店後には問い合わせリレーが行われた。そして各フロアのバックヤードで多くの涙が流れていた。仕事ができない自分が悔しくて、みんな泣いていた。でも鉄扉を開けて売場に出るときは、みんなその気持ちを胸の奥にしまい、笑顔になっていた。

 当時、1階のフロア長を勤めていたMさんと出会ったのは、そうやって働いた後、先輩と向かった居酒屋だった。それまでフロアが違うので話をすることもなかったし、何よりMさんはいつもバックヤードで叫んでいた。あれはどうした? これはどうした? だから私は怖かった。怖いから近づかないようにしていた。その日の飲み屋でもMさんは同僚の人たちと本のことや売場のことで激論を交わしていた。「バカヤロー」、お互い怒鳴り合っている姿を見て、私は本を一生の仕事にしようと決めた。

 そのMさんが店長になられたので、いろんな出版社が集まりお祝い会をすることになった。私は幹事でもなんでもなかったのだが、とにかく下働きをしようとお店に向かったのであるが、お店に着くなり、Mさんがこう叫んだ。

「オスギ! お前は八重洲の人間なんだからこっちに座れ」

 そんなことを言われたら、涙が止まらないではないか。

« 前のページ | 次のページ »