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9月28日(火)

平成大家族 (集英社文庫)
『平成大家族 (集英社文庫)』
中島 京子
集英社
572円(税込)
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 中島京子作品のなかでなぜか唯一未読だった『平成大家族』(集英社文庫)が、文庫になったので読む。

 一度は出て行った娘たちが、それぞれ問題を抱え、実家に戻ってきて気づいたら大家族へ。ただしそれがいわゆる「大家族」でなく、現代的な大家族であり、どのような結着を見せるのか、山本幸久と似たような温かさとユーモアをもった小説だ。

 大好きな書店さんのひとつ、清澄白河のBOOKSりんご屋さんへ。
「どうしたらもっと売れるか、そればっかり考えている」とH店長さんが話されるとおり、品揃えはもちろん、雑誌前のちょっとした棚など30坪の店内は工夫があちっこちになされている。

 しかしそんな工夫も吹き飛ぶほど景気は悪く「なんだかバブル崩壊のときみたい」とのことで、一生懸命やっても数字が上がらないと、なんだかやる気もなくなってきちゃうよねと落ち込んでいらした。

 お茶を飲みながら、「町から◯◯屋さんがどんどんなくなっているよね」という話になり、そんな中で増えているのはなんだろうと考えていたら「パン屋さん」だった。確かに町のあちこちにパン屋さんがあるのだが、それは「食文化が変わったからだよね」とH店長さん。

 ならば「本を読む文化」はどうなんだろうか。
 おそらくかつては「本を読んでいるのはカッコいい」あるいは「読んでいないと恥ずかしい」というのが、ある種の層にはあったと思う。だからこそ、読まない(読めない)ような本まで売れていたのではないか。私の十代後半から二〇代前半にかけて、主にリブロ池袋店で買った本は間違いなくそういう本だった。そしてそれらは今も読めずに実家の本棚にささっている。本を読むことと同様に持っていることに意味があった時代(文化)があったのだ。

 今はどうだろうか。
 「本を読む」というのにはどういう意味があるだろうか。いや「本」はどういう認識で理解されているのだろか。

 なんだか随分話がこんがらがって来てしまったのだが、私が一番考えたいのは、ここまで本が売れなくなっているのはおそらくどこかで「本を読む文化」がなくなってきており、ならばそういう人たちに「本を読む文化」を伝えるにはどうしたらいいのかということだ。

「本の雑誌」も本屋大賞も私の気分としては「本って面白いんだよ!」というのを伝えているもので、だからこそ一生懸命関わっているのだが、もしかしたら面白いとか楽しいとかを伝える以前に、本を読むという行為そのものを伝えなければならない時代なのではないか。

 あるいはもしかしたら、新古書店の台頭や図書館の発展など実は「本を読む文化」はまったく変わっておらず、単に書店さんや出版社にお金が落ちてこないだけなのかもしれない。

 人はどうしたら本を読むのか。
 私はなぜ本を読むのか。

 随分長い間、二人で話し込んだ後、喫茶店を出て、H店長さんと歩く。

 頭のなかはぐるぐるしているのだが、でも、結局、私たちに出来ることは、H店長さんのようにいいお店を作ることと、そして私は、いい本を作り、営業するだけのことなのではないかと思ったりもした。

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