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2月21日(月)

 最愛の母親をがんで失う私小説『母子寮前』小谷野敦(文藝春秋)を読んでいると、妻から友人が、初期のがんで手術することになったとメールが届く。

 神奈川を営業。
 店舗縮小で約3分の1の大きさになった書店さんを訪問すると、「規模によって全然棚作りが違いますね、いろんなお店を訪問し勉強しています」と担当者さんが話されていた。

 一言に本屋さんといっても立地、規模によって、求められる売り場はまったく違うもので、ある駅中の書店の店長さんは、「仕掛ける本は2日で見切る」と言っていたのが、記憶に残っているが、坪効率やストック場所などを考えると、本当にそれくらいで判断していかないと、そのお店では売上を作っていけないんだろうと思った。

 どちらにしても手の入った、棚が耕されたお店は、店の大・小に関係なく魅力があるというものだ。

 その後、訪問したお店では、お店の入り口の数と仕掛け販売の関係やお客さんの動線の話などを伺う。こういうお話を聞いているのが一番楽しい。

★   ★   ★

 本日より、白水社さんのホームページで「蹴球暮らし」という連載を始めさせていただきました。私の周りの「みる」「やる」「教える」のサッカーを、書いていく予定です。「炎の営業日誌」と合わせて、お読みいただければ幸いです。

2月18日(金)

 埼玉を営業。
 昨年末に何軒かの書店で担当者さんが退職されてしまったりしているので、新しい担当者さんにご挨拶。初対面のときは、とにかく緊張し、余計なことを言ってしまったり、何も言えなかったりで、失敗ばかりだ。また名前を覚えてもらって、信頼してもらえるようになるまでどれくらい時間がかかるだろうか。

 そんななか浦和のK書店では旧知のSさんから、「この間、杉江さんそっくりの女の子が来たけど、あれ娘さんかな?」と言われ、たしかにこのパルコには家族で来ることもあるし、母娘で来ることもあるようなので動揺するが、レジに差し出した本が、メッシが表紙のサッカー雑誌ということで、人違いであることが判明する。娘が買うのは青い鳥文庫とつばさ文庫ばかりだからだ。

 夜、池袋の「連家」にて、浦和レッズ観戦仲間と新年会。
 昨年、イギリスの留学していたキリから散々プレミアリーグの話をされ、「杉江さんは来ると思ったのに残念だったなあ」と嫌味を言われる。

 そりゃあ、私だって行きたかったのだが、「ひとり営業の会社で、12月に1週間休みが取れるか」と反論すると「そう思っているのは本人だけですよ」と、その12月にイギリスを旅し、プレミアリーグに、チャンピオンズリーグに、阿部勇樹のいるレスターの試合など1週間で5試合観戦してきたヒラサワが、口をはさむ。

 私の手元には、頼んで買ってきてもらったスパーズの帽子があった。
 いつか私の夢は叶うだろうか。

2月17日(木)

 なんだかみんなインフルエンザとか身内の不幸とかで休んでいるので、私も昨日、一昨日と休みを取って、第2の人生を歩むべく候補地である長野県の秋山郷を下見しに行ってきた。IMG_0921.JPG

 苗場山と鳥甲山に挟まれた秘境であり、かつ鈴木牧之の『北越雪譜』や『秋山記行』で描かれるように豪雪地帯であり、私はそういうところで誰にも会わず、晴耕雨蹴の暮らしをしたいと願っている。

 実際に行ってみると想像した以上に素晴らしいところで、これは明日にでも引っ越して来ようと思ったのだが、地元に人に「外から来る人もいるんですが、収入が安定しないのとこの雪に驚いてリタイアしちゃうんですよ」と言われる。除雪車を動かす仕事と思ったが、これには大型特殊免許と建設機械施工技士がいるようだ。暮らしていくというものはそういうものなんだろう。

 私は雪は大丈夫だと思うのだが、浦和レッズがないのとランニングができないのがネックかもしれない。北国のランナーはどうしているのだろうか。

 しかし帰って来てみて、この雪のない風景の物足りなさに、今、すっかりやられている。


2月14日(月)

 営業から帰ると、浜田を筆頭に、みんなが私の机に集まっている。

 すわ! ヤバい資料かつい買ってしまった『少女時代』(アスペクト)がバレたのかと思ったら、机の上に24本入のビールのケースが置かれているではないか。しかもそれは私やスタッフが日頃飲んでいる第3のビールではなく、プレミアム・モルツだ。椎名さんのところからおすそ分けされる以外目にしたことがない高級本格派ビールではないか。

「どうしたの?」と目を血走らしヨダレを垂らした浜田に聞くと
「カクヤスが持ってきたんですよ、てっきり椎名さん宛かと思ったら杉江さん宛で......」と答える。

 それにしてもなぜにみんなでそのプレミアム・モルツを取り囲んでいるのかと思ったら、盗まれないように守っていたらしい。誰が盗むんだ?!......って椎名さんか?

「もういいから」とみんなを追い払おうとするが、全員が一斉に手を出してくるではないか。

「守っていたんです」
「無事なのは俺たちのおかげだ」
「世の中には報酬というのがあります」

 今、私の机の上には24本あったビールが私の机の上に3本しかない。
 その3本を立て続けに飲み干す。しかしなぜ内澤旬子さんはこんな立派なビールを贈ってくれたのだろうか。
 もしや原稿が......。


2月8日(火)

 昨日追加注文いただいた『だいたい四国八十八ヶ所』と『世にも奇妙なマラソン大会』を直納しに秋葉原の有隣堂さんへ。自分が作った本2冊を自ら直納する編集者というのも出版業界広しといえどもそうそういないだろう。まあ私の場合は営業兼編集なのだが。

 相変わらずこちらのお店はそこかしこで面白いフェアや本が並べられており、見ていて一向に飽きない。世界に誇るバカ本フェアみたいなことをやっているかと思ったら、最近流行りのちらエロ系の『少女時代』(アスペクト)や『絶対領域』青山裕企(一迅社)がドーンと売れているようであった。ちらエロにも大変興味がある私であるが、一番気になったのは『ソコトラ島』新開正/新開美津子(彩図社)という不思議な植物の写真集だった。

 納品を終え、次なるお店で聞いた話が衝撃的だった。

 そちらのお店は、最近とある取次店の販売システムを導入したのだが、そのシステムの基本方針は常にお店の棚に売り上げベストを並べるというもの。まさにコンビニ的発想なのだが(ってコンビニだってもっと面白いだろう)、なんとそこではそれらのベストに入っていない本を「ランク外商品」と呼び、ランク外商品を発注すると指導されるそうだ。

 まさか私たちの手塩にかけて作っている本たちが「ランク外」と呼ばれているとは。しかも書店員さんたちがそれらの本を注文すると怒られるとは......。そしてそしてすべての注文をそのデータ上にのせたいがために、出版社の営業に注文するのを控えるようにとも言われているようだ。

 いったい何が目的でそのようなシステムが進められているのだろうか。効率化だろうか。返品の削減だろうか。あるいは人件費を削減したい書店経営者にとってはありがたいシステムなのだろうか。例えそうであったとして、このような販売システムを進めると本は売れるようになるのだろうか。

 少なからず私はそういう本屋さんで本を買いたいとは思わない。いや私が買いたいような本はそういう本屋さんには置いてないだろう。

 こういうシステムが進んでいくと、10年後、もしかしたら出版点数は1万点とかになるかもしれない。なにせ「ランク外」の本は店頭に並べてもらえないのだ。ドードーやニホンオオカミやトキのように「ランク外」本は絶滅させられてしまうかもしれない。

 しかしそのとき気づくのだ。出版の多様性について。そして突然、少部数の本は大事だと声高に叫ばれるのかもしれない。だけど、そのときには、それらの本を作れる編集者がいなくなっているかもしれない。いや、ネット書店が「ノアの方舟」となって、「ランク外」の本を生き延びさせているだろう。

 ちなみに思わず大爆笑してしまったのだが、それらのシステムを進める人たちが同じ口で「これからの書店は個性が大事」と言っているようだ。個性ってなんだ? もしかして書店員さんがお気に入りのキャラクターにコスプレでもすることだろうか。

 うーん、わからない。
 売上ベスト、すなわちデータとはすべて過去のことではないか。
 未来はどうやって作るのだろうか。

2月7日(月)

『だいたい四国八十八ヶ所』を直納しに、八重洲ブックセンターさんへ。

 仕入れのある地下2階へ降りて行く階段を、20年前の私は、毎日何度も上り下りしていた。

 当時私は、こちらのお店でアルバイトしていたのだが、毎日失敗ばかりで、フロアー長はじめ社員の方々にバックヤードに呼び出され叱られていた。仕事というものは真剣に取り組むものだと教えてくれた大切な場所であり、時代だった。そして本というものはそうやって向い合っても尚、越えられないような大きな存在だと教えてもらった。

 その階段を、自分が作った本の追加納品で下りていく。
 誇らしいような、随分と時が経ったことを実感したのであった。

2月4日(金)

 企画会議。
 よくわらかないうちに私がすべての企画を考えることになっていた。
 会社には人が何人もいるのに、ひとりで働いているような不思議な感じだ。

 会議が長引いたので、そのまま書店さん向けダイレクトメールの作成と注文書を何種類か作る。

 帰りにブックファースト新宿店へ本を買いに行く。
 相変わらず面白いフェアがそこかしこでやられており、素晴らしいお店だと思う。

2月3日(木)

 何ごともなかったかのごとく浜本が出社。

 実はこの浜本、松村の不在の間、とてつもなく大切な役割を私が果たし、しかもそこでありえないミスを発見し、会社の損害を数十万〜数百万円単位で阻止していたのである。

 だからこの日は栄えある私のファインプレーに対し、金一封はもちろん、社員栄誉賞の授与及び特別リフレッシュ休暇とヤクルト一年分の授与が行なわれると思ったのだが、一切そのことに触れられずに、仕事が始まってしまった。

 ありえない......。

 しかし私はものすごく恥ずかしがり屋の上、このような自分の成功話をわざわざ人に言うほど厚顔ではない。なんとなくみんなが気づくように該当箇所を開いたりしてみるが、一向に気づく様子がない。

 会社を飛び出し、バイクに乗ってグレることにした。

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 丸善ラゾーナ川崎店だけでなく、各書店で『だいたい四国八十八ヶ所』が売れていて、追加注文をいただく。自分が作った本がこのように売れていくのは、本当に楽しい。重版がかかったら、ファインプレーとともに増長することとしよう。

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 夜、紀伊國屋書店新宿本店で行なわれていた『苦役列車』西村賢太さんのサイン会に並ぶ。丁寧にひとりひとり深く頭を下げお礼を言っている西村賢太さんの姿が印象に残る。

2月2日(水)

 松村はインフルエンザから復帰したものの、社長は函館から帰って来ず。
「海炭市叙景ごっこ」の結末やいかに?

 とか言っていたら、自分も風邪をひいてしまい、鼻水が止まらない。

 飲み会を早めに切り上げ、『千年を耕す 椎葉焼き畑村紀行』上野敏彦(平凡社)を読みながら帰る。

 宮崎県椎葉村といえば、古本屋で見つけお宝本となった『秘境を行く』宮内寒弥(人物往来社)でいの一番に紹介され、『罠猟師一代』飯田辰彦(みやざき文庫)のあたりで、なんとこちらでは一年目にソバ、2年目にヒエやアワ、3年目に小豆、4年目に大豆と輪作したのち、その土地を雑木林に戻す、焼畑農業がいまだに行なわれているそうだ。

 この本では、そんな土地で暮らす人々と暮らしが紹介されているのだが、いやはや生きるとはいったいどういうことなんだ!

2月1日(火)

  • 土を喰う日々: わが精進十二ヵ月 (新潮文庫)
  • 『土を喰う日々: わが精進十二ヵ月 (新潮文庫)』
    勉, 水上
    新潮社
    572円(税込)
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 通勤読書はまたもや食べもの本の定番『土を喰う日々』水上 勉(新潮文庫)。まさにタイトルにあるとおり、土から出てきたものを食べる料理エッセイだが、いやはや前日同様の書き方で恥ずかしいのだが、料理とは、あるいは食事とはなんて豊かなことなのだろう。エッセイとしても素晴らしい。

 久しぶりの訪問となってしまった流水書房青山一丁目店を覗き、ひっくり返る!

 なんじゃこりゃ?! 文芸書の棚に坪内さんのエッセイの出て来るようなシブい作家さんたち本がズラズラと並んでいるではないか。一瞬古本かと思ったが、もちろんそうではなくということは新刊でこれだけまだこれらの作家さんの作品が読めるということなのか。ここ数年で一番驚き、感動した棚かもしれない......と思いつつ、担当者さんを探すが本日はお休みとのこと。この棚の秘密を知りたいのだが、それは次回のお楽しみだ。

 興奮しつつ、246沿いに営業していき、青山ブックセンター本店へ。
 青山ブックセンターの面白さはいまさら書く必要もないのかもしれないが、それでもここ最近のこの面白さは何なんだろうか。フェアはどれも突き抜けているし、とんでもない本がとんでもない感じで置かれている。恐るべし。

 夜、高野さんに追加でサイン本と作っていただき、その後、中華の鍋家で打ち上げ。

1月31日(月)

 通勤読書は、『世界ぐるっと肉食紀行』を読んで、頭が食べものに占領されたため、料理本の定番中の定番であろう『料理歳時記』辰巳浜子(中公文庫)。花の名前や樹木の名前同様、料理というものも知れば知るほど世界が楽しくなりそうだ。日本の食卓はこんなにも豊かなのだった......ってほとんど好き嫌いが多くて食べられないのだが。

 インフルエンザでダウン中の松村とともに、編集兼発行人の浜本もお休み。こちらは病気ではなく、『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)を読んであまりに感動し、その舞台でもあり、浜本の出身地でもある函館を突発的に旅しに行ったらしい。今頃「海炭市叙景ごっこ」とか言って、思いでの地を歩いているのだろう。

 3月の新刊は、宮里潤編集の『何もしないで生きていらんねぇ』ECD著で、こちらは著者がラッパーのためお店によっては音楽書の棚にふられることもある。

 というわけで日頃慣れ親しんだ文芸書から音楽書へドキドキの飛び込み営業をしているのだが、神保町のS書店の音楽書担当は、いつも浦和レッズの試合を一緒に見ているUさんだった。

 顔を見た瞬間、営業のことを忘れ、浦和レッズに新加入したエメルソン2世ことマゾーラの話題に盛り上がってしまい、最後に慌ててチラシを出すというおバカぶりを発揮。

「あっ、杉江さんが営業しているの初めてみた。ふーん、こんな営業スタイルなんだ」

 とサッカーばりに冷静に評価を下されてしまった。

1月28日(金)

 行きの電車のなかでは読めるが、腹ペコの帰りの電車のなかでは絶対読めない文庫が出た。

『世界ぐるっと肉食紀行』西川治(新潮文庫)。

 今まで『世界ぐるっと朝食紀行』、『世界ぐるっとほろ酔い紀行』とシリーズが出ていたのだが、今度は「肉」だ。 牛、豚、羊、鳥などなど世界各地の肉を追い、歯切れの良い文章と美味そうな写真で綴られる。たまらん!

★   ★   ★

 とある書店で、文芸担当の方と話していると、隣で別の出版社の若い営業マンが、実用書担当の書店員さんに見本を差し出しながら営業を始めた。

「◯◯の本なんですけど......」
「そのジャンル、うちのお店、売れないのよ」

 その後、書店員さんが語られた売れない理由はたしかにごもっともな内容で、要するにその手の本を必要とする人がこの界隈にいないのだ。それを聞いた営業マンは「ああそうですか......」ととても残念に見本を見せるともなしにペラペラとめくっていた。

 もし押しの強い営業マンなら、「いやこの本は......」なんて改めて売り込むだろうが、無理矢理注文を取ったところで返品されたらおしまいで、しかも書店員さんに悪印象の残すのもよろしくない。出版営業の難しいところなのだが、私は思わず、その会話に割って入りそうになってしまった。

「売れるのはどの辺の本なんですか?」

 売れない本の話をするのは書店員さんも営業マンも苦しいだけで、だったら売れる本の話をしたほうがいいと思うのだ。何も会話が弾むというのではなく、それこそ営業マンにとって数字以上に大切な情報を手に入れるチャンスではないか。

「いやうちのお店は、こっちのほうが売れるのよ」

 具体的にそういう話を引き出せたら、企画会議や報告書で役立つだろうし、出版社なんて突然どんな本を出すかわからないのだから、本当にその手の本が出たときに、いの一番に営業に行ける。

 いや、そんなことよりも営業とはコミニケーションなわけで、こういう会話の蓄積が人間関係を作り、そのお店を知ることになる。そう、一番大切なことはその書店を知ることなんじゃないかと思うのだ。そして知るためには興味を持って訊ねることが一番重要だと考えている。

 私のほうが早く終わったので、その後の展開はわからないが、あの営業マンがまたそのお店を訪問することを祈っている。

 今日はダメでも、今度は大丈夫かもしれないから。それも営業の鉄則だから。

1月27日(木)

 昨日、営業から会社に戻ると、編集の松村がコートを来て首にマフラーを巻いていた。
「もう帰るのか」と思ったが、その格好で机に座り、相変わらず仕事を続けている。
 そういえば、昔、うちの会社には一年中、首にタオルを巻いて、スウェット姿でふらふらしている人が、今はもうみんな普通の格好で働く普通の会社だ。

「どうした? 松村」と訊ねると「寒い」という。
 たしかに今は季節が冬で、特に今年は寒い気がするが、それにしたってここは会社の中である。先ほどまで寒風吹きすさぶ外にいた私からみたら天国であり、それじゃなくたって空調は28度に調整され、心地良い風を吹きつけているのだ。いくら氷結と異名を持つ、冷たい女松村でも異常なのではなかろうか。

「それ、熱があるんじゃない? インフルエンザだよ」
「いえ、そんなことないです。花粉症かも......」

 今朝、松村から連絡が入る。
「や、やっぱりインフルエンザでした」

 というわけで医者から1週間休むよう宣告された松村の仕事をみんなで振り分けていると、再度松村から連絡があり、なんと旦那さんの会社は家庭で誰かがインフルエンザにかかったら出社できないらしく、家に帰ってきたという。

「本の雑誌の人、大丈夫ですかね......」

 その瞬間、大きな声で「みんな、帰ろう」とうれしそうに叫んだのは編集発行人の浜本であった。
 「それ逆でしょう!」と思い切り突っ込んだのは、事務の浜田だった。

 そうか、私たちは家に帰ってはいけないのだ。家庭にインフルエンザを持ち込む可能性が高い。
 
「今夜は鍋でもしますかね」とキッチンに置いてあった日本酒を大事そうに抱えてきたのは、編集の宮里だった。

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