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6月24日(日)

 山の中で熊に出会ったら死んだふりをしろとよく言われますが、では木々生い茂る手付かずの自然あふれるペルーとブラジルの国境付近のアマゾンで、未開の人類に出会ったらどうすればいいのでしょうか。しかも相手は素っ裸のうえ木の枝を鋭く加工した矢を手にし、筋骨隆々で大きな身体から好戦的な様子も伺えます。

 ずっと昔、この地をエルドラドと呼んで金を採掘にきた征服者や百数十年前、黒い黄金と例えてゴムを採取していたパトロンならば、何も考えずに手に持つ鉄砲の引き金を引いたことでしょう。

 でも二十一世紀の今、あなたの目の前に立つのは、最後の未開の人類"イゾラド"と呼ばれる、これまで文明社会とまったく接触せず、正確な人数も把握できていない、ずっとずっと深い森の中で原始的に暮らしてきた人たちです。

 もちろんあなたは欲にまみれた人間でもありません。文明の差こそあれ同じ人間を殺したくないし、彼らに殺されたくもありません。さて、いきり立つようでいて、怯えているようにも見える彼らになんと声をかければいいのでしょうか。

 答えはこの本のタイトルです。イゾラドと交流することになった、元々自身も先住民のロメウがかけた言葉、それが「ノモレ」というイネ族の言葉でした。

 その言葉の意図は、まずはじめに敵意がないことを伝え、互いを確認しあい、できることなら手にしている槍を地面に置いてもらうことにありました。それから自分たちのことを語り合い、理解を深め合う。深め合うことができるのか? そもそも理解ってなんなのか? そういうことを考えさせられるのも、この本の読みどころです。

 森で暮らす彼らは、私たちと同じ感覚で暮らしているわけではないかもしれません。時間の概念も数の捉え方も思考や感情もまったく異なる可能があるからです。まさにファーストコンタクトなのです。

 その隙間を著者の国分さんは詩的な表現で埋めていきます。それがとてもいい。とてもいいのです。まるで彼らが乗り移ったシャーマンかのように語られていきます。

 たまたま言葉が通じた彼らは、驚くほどロメウたちイネ族と顔や姿が似ていました。それはイネ族の間で百年以上語り継がれてきた逸話を思い出させました。彼らとロメウはすでにずっとずっと昔、出会っていたのかもしれないと──。

 そもそもはNHKのドキュメンタリーで取材されたものですが、内容はまったく異なります。テレビではその遭遇が第三者の視点で語られていましたが、この本では村の若きリーダーでもあるロメウの視点で紡がれていきます。

 ロメウは彼らとどう接するか悩み、どうすることが幸せなのか考えます。また自らが守らねばならぬ村人のことで奮闘します。文明社会で暮らす自身のアイデンティティに揺れつつ、イゾラドが求めるバナナを渡し続けます。

 しかし村のバナナが底をつけば自分もバナナやガソリンを購入する費用を求めて、NGO団体や国と交渉しなければなりません。実はロメウも私たちも結局は彼らとなんら変わらないのではと思えて来るのが不思議です。

 果たしてロメウは──、いや私たちは、彼らと"ノモレ"になれるのか。なるためにはいったいどうしたらいいのか。"ノモレ"になるための努力が、今このときもアマゾンで続いているのです。

 ブラジルとべネズエラに跨る奥アマゾンに生きるヤノマミ族の集落で、長期に渡って同居した価値観が引っ繰り返る傑作ルポ『ヤノマミ』(新潮文庫)から八年。国分拓さんが世に送り出した二作目は、読んでる間、鳥肌がたち続ける、この先何年もこれほどすごい本には出会えないであろう、人跡未踏のノンフィクションとなりました。

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