« 前のページ | 次のページ »

7月9日(木)

 部活を終えて帰ってきた息子がシャワーを浴び、髪の毛から水をポタポタ落としながらリビングにやってくる。

「父ちゃん、小遣いくれよ。約束しただろ」

 実はこれまで息子どころか娘にも月の決まったお小遣いというのをあげたことがなかった。なし崩しにしてこの世に小遣いというものがあることを教えずにきたのだ。

 しかしさすがに高校男子。2時間目の休み時間に弁当を平らげ、昼飯には学食に行って大盛りの大盛りのカツカレー550円を食べ、帰りにコンビニに寄って肉まんを食べたりするだろう。

 というわけでさすがに親心が湧き上がり、息子の高校入学が決まったとき、月に1万円お小遣いをやろうと宣言していたのだ。

 ところが息子の高校入学はコロナ感染拡大により延びてしまった。本来であれば桜咲く4月に親子揃って学校に出向き、校門の前で無精髭生え出した高校一年生と記念撮影して祝うはずだったのに、入学式も延期、5月になっても学校は始まらず、ついにやっと6月から分散登校というのが始まる次第であった。

 その間も息子は毎月月初になるとニタニタと近寄ってきて右手を差し、「父ちゃん小遣いくれよ」と、まるでカツアゲかのようにしつこく執拗ににじり寄ってきたのである。

 息子の身長はこの春で170センチを越え、我が家初の天空を眺められる人間となっていた。サッカーで鍛えた両腿や胸板は私の2倍はあるだろう。殴り合ったら一撃で床にへばりつかされること必至。ここは中学生のときに春日部のゲームセンターのトイレで脅されどうにかかわしたように、ジャンプしてお金を持っていないことを証明し、それでもダメなときは、学校が始まっていないから小遣いを渡す義務はないときっぱり拒み、七帝柔道に持ち込んで、どうにか支払いを拒んできたのである。

 だが、しかし。7月からは学校も始まり、部活も正式入部とあいなった。これでさすがに小遣いなしでは厳しかろう。ここはひとつ約束を守って小遣いを渡してやりたい。

 しかししかし、厳しいのは父親である私も一緒なのだ。君の父親である私だって毎月お小遣い3万円で、"人はパンのみにて生くるにあらず"と日々つぶやきながら本を買って生きているのだ。しかも今月からはそこから浦和レッズのチケット代やグッズ代も捻出せねばならぬのだ。それが君に1万円を渡したらかわいそうな父親の手元に残るのはなんと2万円。49歳にして2万円。大学生の娘のバイト代が月6万円。しかもなぜかそれは娘の丸取り。勤続年数でなく成果主義が導入され、家庭内でも格差社会は広がるばかりだ。

 それにしてもどうして息子の小遣いが私の小遣いから支払われることになるのかよくわからない。親亀の背中に子亀を乗せて、子亀の背中に孫亀乗せて、とやっているとたしか皆こけるのではなかったか。

 どんなに考えたってよくわからないのだが、よくわからないことを正すことが世界平和につながるかというと、それはこれまでの歴史が証明しているだろう。私がここで妻に問いたださないことで、息子はいつか「人生で大事なことはすべて父親のおよび腰から教わった」とヒーローインタビューで答える日がやってくるはずた。

 とりあえず息子に何にお金を使うのか聞いてみる。

「あのさ、学校に行っているとペットボトルの水を毎日4本買うんだよ」
「4本?」
「そう、4本くらい毎日飲むんだよ」

 ペットボトル4本といえば500ミリ×4本で2リットルだ。2リットルの水は痛風患者が一日の飲むべき水分量ではないか。

「お前、いつの間にか痛風になったのか?」
「はあ? おれ、父ちゃんみたいに痛風じゃねえし。とにかく早く小遣いくれよ」

 息子に1万円渡したあとの私の財布は定規で測れないくらい薄くなってしまった。とりあえず明日から水を飲んで暮らそう。もちろん水道水である。


« 前のページ | 次のページ »