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3月1日(月)

 とてつもないものを読んでしまった。国分拓『ガリンペイロ』(新潮社)。

 前作『ノモレ』のときも思ったけれど、国分拓氏はノンフィクションライティングの新たな地平にたどり着いたのではないか。そこは沢木耕太郎も開高健もたどり着けなかったノンフィクションによる文学だ。『ガリンペイロ』は文学としても極上の部類の傑作である。

 アマゾンの奥地、「勝手に森に分け入り、勝手に穴を掘り、勝手に精錬して莫大な富を得ている非合法の金鉱山、闇の金鉱山」で働く人々(ガリンペイロ)は、それはそれは過酷な労働者である。

「陽が昇ってから沈むまで、ずっと同じことの繰り返しだ。穴を削る奴はずっと削り続ける。ホースで土砂を汲み上がる者はずっと汲み上げる。一日十二時間以上立ちっぱなしだから、足はずぶ濡れ、顔は泥だらけになる。」

 それだけクタクタになって働き、ほとんど露天のようなところで暮らし、日々変わらぬ質素な食事だけで過ごして手に入れられるのは、採れた金次第なのだ。何日働いても金が採れなければそれまでの苦労は水の泡になってしまう。しかも当たり前だがそう簡単に大きな金が手に入るわけではない。

それでも様々な事情で絶望の淵に立たされた人間たちが、一発逆転の夢を見て黄金の穴に吸い寄せられてくる。その人間の、絶望と希望、欲望と虚無、生と死、が研ぎ澄まされた文章で描かれる。

 読み終えてしばし立ち上がることができなかった。ぼんやり天井を眺め、地球の裏側に今も穴を掘っているであろうガリンペイロを思う。私とガリンペイロ、どっちが生きているといえるのか。

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