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3月3日(水)

 初めてアルバイトしたのは小学生のときで、それは父親の町工場だった。父親が独立して数年が過ぎたころで、急に忙しくなったもののきちんと人を雇うわけにもいかず、夏休みで暇そうにしてる息子に声をかけてきたのだった。行きは父親と電車とバスを乗り継いで会社に行き、帰りは一人で帰った。

 まかされた仕事はプラスチックの部品にボール盤で穴を開けることだった。段ボールいっぱいの部品を手にしてはハンドルを下げ、高速で回るドリルを当てていく。出来上がったものはすぐ次の作業をしている職人さんが持っていき、また別の部品が取り付けられ、その向こうにも別の職人さんが並ぶ。そうして6人の人の手を渡って部品は製品となる。少しでも自分のところで時間がかかってしまうと他の人の手を休ませてしまうことになる。

 焦った。焦っていると50個に1個くらい穴を開けているうちにプラスチックが割れてしまう。作業を始める前に父親からうまくいかなかったのはこの袋に入れろと言われていたけれど、このかけたプラスチックもお金を出して作っていることは小学生にもわかった。

 どうにかして不良品を出さずに上手く穴を開ける方法はないか。抑える手の力加減、ドリルの向かう方向、ハンドルを下ろすスピード、それぞれ何度も何度も調整して作業しているうちに一日はあっという間に終わった。終わる頃には割れるプラスチックは100個に1個くらいに減っていた。壊れてしまった部品の袋を恐々職人さんに渡すと、「不良品これだけか?」と言われ、それに小さく頷くと職人さんは頑張ったなと微笑んでくれた。

 その仕事はどうにか納期に間に合い、僕のアルバイトは三日で終わった。父親からは小遣いよりずっと多いお金を、ちゃんと給料袋と書かれた封筒で渡された。

 家に帰ると先に帰っていた母親が笑いながら話し出した。「あんたさ、毎日夢中になって一言もしゃべらず穴開けてたでしょう。だから社員の人たちあんたのこと口の聞けない子供だと思ってたんだって。すごい一生懸命仕事するなって感心されてたわよ」

 実はこのとき僕と一緒に従兄弟の中学生のお兄ちゃんも来ていたのだけれどお兄ちゃんは組み付け作業の間にウォークマンを聞いていてしょっちゅうラインを止めていたのだ。職人さんたちはその子はもう呼ばないでくれと父親に言っていたらしい。

 僕の仕事の原点は、たぶんここだ。

 一生懸命やれば必ず誰かが見ていてくれる。逆に手を抜けばそれも必ず見られてる。人は怖い。でも人は一生懸命やってる人には優しい。そしてどんな単調な作業も工夫することで楽しくなる。

 その原点を思い出すため、ここ数年、春になると西荻窪・今野書店さんの教科書販売の手伝いに行っている。学生のアルバイトさんたちと重い教科書を運び、生徒の数に合うようたくさんの教科書をセット組みしていく。
 
 作業初日に今野さんの奥様で、日々店頭に立つ聖奈子さんが言っていた。

「教科書販売の仕事は、絶対就職したときに活きると思うのよ。例えば、はじめに本を5冊ずつ積んでおくと間違いにすぐ気づける。そうしたら最初からやり直さなくて済む。面倒くさがらずにきちんと準備する。何事も段取りが大事。神は細部に宿るのよね」

 今日でお手伝い2日目。小学生のときの自分のように夢中になって頑張る。

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