10月18日(土)ケア

先週は下鴨中通ブックフェスで施設に預けっぱなしだった母親を迎えにいき、週末実家介護が始まる。もはや何日施設にいたのかもわかっていない様子なので、罪悪感を覚えずに済む。

午前中、新しいケアマネージャーさんがやってくる。これまでお世話になっていた人が体調を崩されたということでの急遽交代となったのだが、今度の人はケアマネージャーと想像したらこんな人というそのもので、頼りになりそう。

午後は往診のお医者さんが来て、インフルエンザの予防接種をしてもらう。

ケアマネージャーさんにしてもお医者さんや看護師さんにしても、手続きや検診だけをすれば仕事は済むのに、「私もこの間まで母親の介護してたんです」とか「今、96歳の叔母の面倒をみてます」なんて雑談混じりにしてくれ、私の苦労が私だけではないというか、気軽に相談していいんですよという空気を伝えてくれるのが本当にありがたい。

人は、何気ない一言で傷つくこともあるけれど、何気ない言葉で救われることもたくさんある。これが「ケア」というものなのかもしれない。

10月17日(金)早朝出社

仕事の山積み解消のため7時半に出社。着いてコーヒーを淹れていると事務の浜田からスマホにメッセージが届く。

「おはようございます!
神保町ブックフェスティバルの在庫移動、月曜日で間に合うので、代休取って下さい!!」

働きすぎを心配してくれて大変ありがたいのだが、もう会社に着いているのだった。

とにかく今日中に作られねばならぬのは書店さん向けDMなのだった。これがいつもなら新刊のチラシに、本の雑誌通信という月刊情報紙と一覧注文書の3種三枚なんだけれど、今回は一月の新刊が2点あり、特大号になる一月号の定期改正用紙も同封せねばならず、4種7枚を作られなばならないのだった。

InDesignを開き、コーヒーを一口飲んで、手を動かしていく。

出版業というのはつくづく不思議な業界だと思う。たった紙っぺら一枚に書名と著者名とちょっとした内容紹介が書かれたチラシだけで注文が集まるのだ。

もちろんそれまでの信頼の積み重ねというのもあるのだけれど、このチラシ一枚から売れ行きを想像できる書店員さんの能力というのは特殊能力なのではなかろうか。

逆にいえば出版社の売上の最初の一歩は、すべてこのチラシ一枚にかかっているのである。「千里の道も一歩から」というが、「10万部のペストセラーもチラシ一枚から」なのだった。

『おすすめ文庫王国2026』.近藤康太郎『本をすすめる』、伊野尾宏之『本屋の人生』のチラシを黙々と作り、作業開始から4時間が過ぎた11時半にはDM4種7枚が出来上がる。

昼、偕成社の営業・塚田さんがやってくる。その手には定年を記念して作られたZINE『旅する、本屋巡る。』(ツカヌンティウスよしゆき名義)が握られていた。早速、購入。

塚田さんは書店営業で全国1000軒以上の本屋さんを訪問しており、今回のこのZINEはその集大成のようなものだ。

素晴らしいのはこのお店で何冊の注文をとったとか自慢話は皆無で、まるで旅行記のように食や酒やサウナと共に記しているところである。働いているところを見せないのが真の営業なのだ。

その塚田さんとランチ&コーヒーし、午後も集中してデスクワークを処理していき、勤務時間が11時間を過ぎた頃、だいぶ見通しが立つ。

10月16日(木)山積み

昨日に引き続き都内某所にスッキリ隊精鋭部として出動する。午前中から本を縛り、どんどん車に積んでいく。

長期出張明けでいきなりのスッキリ隊出動は、本の整理はできても私の仕事は整理できずでどんどん山積みになっているのたけれど、蔵書整理はお客さんの都合もあって待ったなしなのだった。

10月15日(水)古書会館に着くまでが買取

朝8時に出社。久しぶりの神保町。京都は木の匂いが、しかも時の経った材木の匂いがするけれど、神保町はどこかしら紙の匂いがするのだった。

出張中に溜まっていた郵便物やデスクワークを片付けるのも大変なのだが、本日は午後にスッキリ隊精鋭部として出動せねばならず、その前に10時からオンラインの座談会の収録と、さらに10月の杉江松恋、マライ・メントライン『芥川賞候補作全部読んで予想・分析してみました 第163回~172回』の初回注文締め作業をしなければならないのだった。

年に1日あるかないかの超多忙日なのだが、中学の同級生から麻雀のスケジュール調整を頼まれるわ(しかも二度再調整させられる)、AISAの渡さんからは忙しいと伝えた2時間後に、「オーストラリアからいとこがくるのでいい居酒屋教えてください」なんて能天気なメッセージが飛んでくるはで、キリキリ舞させられる。

そういえば京都で食事した鴨葱書店の大森さんが、ChatGPTを利用して、将来私が独立したときの出版社の理念を作ってくれたのだった。

す すこし変でも、面白ければいい。
ぎ ぎりぎりまで悩んで、笑って、本を出す。
え えらそうな本より、ええ本を。
よ よむ人も、つくる人も、たのしめる場所を。
し しずかに見えて、実は大騒ぎ。
つ つまらない世の中を、ちょっとひっくり返す。
ぐ ぐっとくる一冊を、今日も探している。

声に出して呼んでいるうちに精神が落ち着き、諸々のデスクワークと座談会の収録を無事終える(トーハンのEN-CONTACTは登録する段になって事前注文の取り出しを忘れていたことに気づくといういつものポカをしたけれど)。

昼過ぎに会社を飛び出し、都内某所へ。立石書店の岡島さんの車に乗り込み、住宅地の一軒家にたどり着く。

引っ越し間近で部屋中段ボールで埋め尽くされているのだけれど、そのすべてが本だそうで、その数約180箱。これらとは別に床からにょきにょきと生えている本タワーが本日の整理依頼分であり、こちらは約4000冊。いったいこのお宅にどれだけの本があるのか想像するも、その前に床がべこべこしていて、足元に気を付ける。

まずは二階からということで、岡島さんが本を縛り、私が運ぶを繰り返す。急な階段を二本の本の束を持って降りるのはかなり不安定なのだが、そこは「階段のファンタジスタ」と呼ばれる私である。足元に力を入れ体幹で踏ん張りながら登り降りを繰り返す。

しばらくすると全身から汗が吹き出し、鼓動が強くなり、息も荒くなってくる。いつ終わるのだと思う気持ちを必死に抑え込み、ただ本を運ぶマシーンになりきるのだ。この無心の瞬間こそが買取の楽しさである。

3時間ほどかけてワゴン車一台分約2000冊の本を運び終える。残りは明日の作業とする。

しかしこれでスッキリ隊の任務が終わったわけではなく、この後神保町の古書会館まで車を走らせ、市場への出品用に本を下ろさなければならないのだった。

「家に着くまでが遠足」ならば「古書会館に着くまでが買取」なのだった。いや、この後、出品用に本の組み替えもあるのだから、古本屋さんの仕事というのはつくづく大変な仕事である。

夜、そんな本の雑誌スッキリ隊がバズる。

10月14日(火)玉置標本feat.スズキナオ『大阪の奥深き食文化を巡る旅』

16:01発のぞみ32号に乗車し、インバウンドでごった返す京都駅を出、四泊五日の出張を終える。

たった5日なのに妙に疲れているなと思ったら、出張が5日なだけで仕事自体は8連勤中で、勤務時間を出張でリセットしてしまうのは勘違いにも甚だしい。

さらにいつも悩ましいのが出張から帰る時間なのだった。

本の雑誌社の通常の勤務時間というのは10時から18時で、それにならえば18時まで京都で働いて新幹線に乗るのが正しいような気がするのだが、例えば京都の場合、ここから東京に着くまで2時間14分ほどかかり、神保町で働いているときなら終業時間=東京で、ならば18時に東京に着く時間配分で京都を発のが正しいのだろうか。

とりあえず本日は18時15分東京着でそちらの時短コースを選択したのが、これもまた若干腑に落ちないところがあり、東京駅に着いたときに「あゝ出張」が終わったとほっとするのも束の間、私の家は埼玉にあるため東京駅から約1時間ほどまだかかるのだった。

出張帰りに東京に着いたところで安心感をもつのはまやかしであり、その先にまだ新幹線に乗車した時間の半分ほどもあるということを忘れてはらない。

というかそもそも祝日も含め休日出勤を三日もしており、いまさら勤務時間など気にする必要はないのである。

その帰路の新幹線で読んだ玉置標本feat.スズキナオ『大阪の奥深き食文化を巡る旅』がばつぐんに面白かった。

この本は玉置標本さん自身が刊行したZINEであり、toi booksさんで購入したのだけれど、まず本ではなかなか目にしない「feat.」の文字に惹きつけられたしまった。しかも「feat.」に続くのが「スズキナオ」さんだ。

どういうこっちゃ?と本をめくると「まえがき」のようなところに、「(収録原稿を)一通り読み終えて気付いたのだが、そこには必ずスズキナオが存在していた。ならばと著者名を『玉置標本 feat.スズキナオ』としてナオさんを巻き込み、二人で記事を振り返る対談コーナーを設けて、当時の思い出話や最新情報の補足をしようじゃないか。」とあり、「その結果、この本は大阪および関西の食文化探求レポートであり、書いた本人も今すぐ行きたくなるグルメガイドであり、読むとニヤニヤが止まらない愉快な旅行記であり、スズキナオのファンブックである」とある。

たしかに読み終えた今、まさしくそういう本であり、この本はスズキナオファン必読必携の一冊であることは間違いないと思った。

ただ、それだけの本ではない。いや、それどころの本ではない。

ここで探求され記される「シチューうどん」や「安い店」やじゃりン子チエに代表される「ホルモン」、さらに「冷やしあめ」といった大阪(および関西)の食文化というのは、われわれそのほかの地域に住む人間にとって最も大阪を象徴する文化であり、それこそが知りたかった代表なのである。

そしてそれを作り上げる大阪人の気質というようなものもしっかり描かれており、ひとつの大阪論にもなっているのだ。

だから読み出したら最後、よだれとともに知的好奇心があふれ出し、まさしく今すぐ大阪に行きたくなる一冊なのだった。

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