第98回:藤谷治さん

作家の読書道 第98回:藤谷治さん

現在、青春音楽小説『船に乗れ!』が話題となっている作家、藤谷治さん。主人公の津島サトルと同じく音楽教育を受けて育った少年は、どのような本と出合ってきたのか。幅広いジャンルの本と親しみ、大学生の頃にはすでに小説家を志していた青年が、デビューするまでに10数年かかってしまった理由とは。藤谷さんが経営する下北沢の本のセレクトショップ「フィクショネス」にて、たくさんの本に囲まれながらお話をうかがいました。

その2「川端の死んだ日」 (2/7)

はつ恋 (新潮文庫)
『はつ恋 (新潮文庫)』
ツルゲーネフ
新潮社
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二都
『二都』
藤谷 治
中央公論新社
1,728円(税込)
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モーツァルトとの散歩
『モーツァルトとの散歩』
アンリ ゲオン
白水社
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船に乗れ!〈1〉合奏と協奏
『船に乗れ!〈1〉合奏と協奏』
藤谷 治
ジャイブ
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日本沈没 上 (小学館文庫 こ 11-1)
『日本沈没 上 (小学館文庫 こ 11-1)』
小松 左京
小学館
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月と六ペンス (新潮文庫)
『月と六ペンス (新潮文庫)』
サマセット・モーム
新潮社
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お菓子と麦酒 (角川文庫)
『お菓子と麦酒 (角川文庫)』
サマセット・モーム
角川グループパブリッシング
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――他に読んでいたのは。

藤谷:『少年チャンピオン』、『少年マガジン』。この2つは僕にとって大きかったですね。『少年マガジン』に「愛と誠」という漫画が連載されていて、その中にツルゲーネフの『はつ恋』が出てくるんです。それではじめて自分で買った文庫が『はつ恋』。小学校4年生の時でしたね。

――小説に関しては海外モノばかりですね。

藤谷:祖父が学校の先生をやっていたので、鎌倉の文士ともつきあいがあったんです。『二都』にもちょろっと書きましたが、親がいっつもお辞儀をして挨拶をしているおじいさんがいて、誰だろうと思っていたら「有島生馬も知らないのか」って。近所の名士だったんですよ。川端康成が死んだ日のこともよく覚えていますね。みんなで遊んでいたら、友達が一人自転車に乗ってバーッと来て、「川端康成が自殺したんだよー!」って。川端の家は長谷の消防署の奥を入ったところだっていうのは誰でも知っているから、そこに行こうと思ったら、逗子マリーナで死んだっていう。それでみんなで小坪トンネルをくぐって行きましたよ。そしたら警察やマスコミの車が並んで、大人がいっぱいいて殺気だっていたから、怖くなって帰りましたが。

――そうした身近な作家の作品は読まなかったのですか。

藤谷:文士といえども、僕らにとっては近所の人ですからね。近所のちょっと偉い人。うちのお袋が永井龍男の娘と友達、という感じだったんです。だから改めてその人の小説を読んでみようという気持ちは、子供にはなかったんじゃないかな。もちろん、後から川端だって読みましたが。

――それにしても、お家に相当数の本があったのではないでしょうか。

藤谷:応接間にも本棚があって、2階の奥の部屋にも本棚があって...。藤谷家が祖父母から借りているわけですから、おじいさまおばあさまが来たら汚れていないようにしなさいと言われていたけれど、どんどん勝手に入っていきました。音楽関係の本もたくさんあって、アンリ・ゲオンの『モーツァルトとの散歩』なんか好きでめくっていました。あとはオペラの対訳本。オペラのセリフを戯曲のように訳している本が、音楽の友社から出ていたんです。と同時に「少年探偵団」なんかを読んでいるんだから、大人なんだか子供なんだか分からないですね(笑)。

――藤谷さんの『船に乗れ!』三部作の主人公、高校の音楽科に通うチェロ奏者の津島サトル君の家庭環境は、そのまま藤谷さんと同じだと聞いています。祖父母を「おじいさま」「おばあさま」と呼んでいたのもそのまんまだそうですね。おじいさまが音楽の先生だったそうですが、チェロはいつくらいから習っていたのですか。

藤谷:小学5、6年か中1ぐらいからじゃないかな。ピアノは小さい頃から習わされていました。

――サトル君は最初、自信過剰なところがありましたが、その頃、今思うと藤谷さん自身はどんな少年だったと思います?

藤谷:ませていたということだけは間違いないですね。自意識が過剰だったと思います。普通に友達づきあいもあったけれど学校に行きたくなかったし、心の中で自分は特殊であるかのように思っていたのかも。周囲の生徒から見て僕が特殊に見えたという気はしませんが。でも高校生の頃は目つきがきつかったって、友達にメールに書かれましたねえ。

――音楽のレッスンなどの時間も必要だったのでは。読書の時間がよくありましたよね。

藤谷:放課後友達の家に行ったことって、覚えているだけで全部だと思うんです。それくらい少ない。友達が来たことはあったけれど。それに小中学生の頃なんて、友達の家に遊びにいっても晩御飯の時間までには帰るでしょう。そこから寝るまでは、夜だから楽器も弾けませんし、ずっと本を読んでいました。

――では、中学校時代の読書生活はどうだったのでしょう。

藤谷:そこからSFの時代が始まります。小松左京の『日本沈没』や星新一のショートショートが中学生の頃ものすごく流行っていました。映画で『スター・ウォーズ』も公開になりましたし。ショートショートはすぐ読めていいということで、フレドリック・ブラウンや筒井康隆ら短いものを書く人を読みましたね。『SFマガジン』『奇想天外』『SFアドベンチャー』といったSF文芸雑誌が3つも4つもあった時代です。短編を読んでいくにつれて、SFというのは「サイエンス・フィクション」じゃなくて「スペキュレーティブ・フィクション」、思弁的な小説だと言い出すようになって。僕が、じゃないですよ、SF作家が、ですよ(笑)。そこからJ・G・バラードや、アルフレッド・ベスターの『虎よ、虎よ!』などが好きになったんですが、僕の中で特権的な存在になっていたのが小松左京と筒井康隆。この2人については、文学についても教わった気がします。彼らの書評や読書論には、本当に純文学や海外小説が多かった。小松左京はダンテの『神曲』をイタリア語で読むために京大でイタリア語を専攻したくらいですから。で、2人の影響を受けて、そこからカフカ、ニーチェ、ドストエフスキー、ディケンズを読むようになって。サマセット・モームも短編は読んだら忘れちゃうんだけれど長編の『月と六ペンス』と『お菓子と麦酒』は面白かったですね。全集好きなので(笑)、カフカも家にあった初期の全集で読みました。

――星、小松、筒井に続いて現代国内作家は読まなかったのですか。

藤谷:小松左京と筒井康隆に関しては、対談から雑文まで全部読んでいたんです。そこから小松左京の友達だから開高健を読むようになり、田辺聖子を読むようになり。

――どうしてそこまで2人の作品に惹かれたのだと思いますか。

藤谷:想像力の筋肉がついていくのが分かって嬉しいんですよ。人間の想像力ってここまで果てしないのかと思って。あとは笑いの要素があったからですね。本当にあの頃は、競い合ってデタラメなことを書いていたと思う。ある日突然地球がべちゃっとつぶれた。太陽系もべちゃっとつぶれて、銀河系もべちゃっとつぶれる。今まで一斉に落ちてたんだっていう(笑)。何その想像力! って思いますよね。小松左京の「タイム・ジャック」なんてタイムマシンが故障して、江戸時代がめくれるって。めくれるって、何それ!って。そういうのが面白かったですね。その一方で、小松左京は戦争小説も書いている。「召集令状」や「春の軍隊」、「戦争はなかった」...。それらが直接心にきましたね。今でも小松左京は日本の文学が作った最高に素晴らしい人だと思う。紫式部の頃からこっちに至るまで。文明批評をする作家はいたけれど、それはたいてい偏った見方の人間だったし、それに小説が面白くない。ここまで小説が面白くて文明批評もできたというのは小松左京の他に知らないですよ、日本では。

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