第98回:藤谷治さん
その4「知識という枷」 (4/7)
作家。2003年に『アンダンテ・モッツァレラチーズ』でデビュー。2008年『いつか棺桶はやってくる』が三島賞候補。近作に『船に乗れ!Ⅲ』など。

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――村上春樹は読まなかったのですか。当時まわり中が読んでいそうな...。
藤谷:社会人になってからですね。その時の仕事は毎日、日販に『ノルウェイの森』の注文伝票を書くこと。本屋さんに就職したんですよ、丸善ブックメイツの横浜ポルタ店。小説家になりたくて、小説を書く時間を仕事にとられるのが嫌で、残業のない、家から近い職場にしようと思ったんです。それから10年間いろんなところで働きましたが、残業がなかったことと、残業代が出たことは一度もなかった。苦しい時代だったんです。
――映画青年だった藤谷さんが、小説家になろうと思ったのはいつくらいですか。
藤谷:21、2歳の頃じゃないですかね。大学に入ってすぐの頃はシナリオライターからはじめて映画監督に...と思っていたんですが、フタをあけてみたら、映画というのはプロデューサーの意向や予算や配役の調整、そして今何が流行っているのかという時代の流れを考慮して、妥協の産物になってしまうんだなと思って。

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――でも、批評の時代を体験してきた身としては、小説を書くことに構えてしまいませんでしたか。
藤谷:構え続けたんです。それで40歳までデビューできなかったんです。批評の時代にいろんなことを聞かされたわけですが、そのひとつに、今は相対性の時代だ、というのがあったんです。メインストリームというものは存在しなくて、無限の相対性の中で我々は生きていくしかないんだ、と、ニューアカデミズムの人が言ったと僕は受け取ったんです。メインであることは恥ずべきことだみたいな空気があって、今まで読んできて面白いと思っていた、立派だと思っていたディケンズやユーゴーは「もう古い」となり、それよりもたとえば『すすめ!!パイレーツ』のほうがいいんだって言う。ということは今までにやりつくされた文学的手法というものを超える何事かがなければ、新しい小説家、文学者である意味はないんだっていう強迫観念みたいなものを持ってしまったんです。それから38、39歳くらいまで。まるまるサラリーマン時代はそう。この店を立ち上げるまで続いていましたね。
――それまでは書いては止まり、書いては止まり?
藤谷:そう。