第125回:村田沙耶香さん

作家の読書道 第125回:村田沙耶香さん

家族、母娘、セクシャリティー……現代社会のなかで規定された価値観と調和できない主人公の姿を掘り下げ、強烈な葛藤を描き出す村田沙耶香さん。ご本人も家族や女性性に対して違和感を持ってきたのでは…というのは短絡な発想。ふんわりと優しい雰囲気の著者はどんな本を読み、どんなことを感じて育ったのか。読書遍歴と合わせておうかがいしました。

その3「再び小説が書けるように」 (3/5)

――今日何冊か私物の文庫本を持ってきてくださっていますが、びっしり付箋が貼られたものもありますが、学生時代に読んだものでもずいぶんきれいですね。

村田:付箋を貼っているものは、卒論や読書会で使ったものか、それについて書評などの文章を書いたものです。もともと本はきれいに読みたいほうですね。『風葬の教室』もカバーをかけて授業中に読んでいたりしたので(笑)、汚れなかったのかも。それに同じ本を何冊も持っているんです。『風葬の教室』だけでも3冊くらい持っています。

――今でも読み返しているのですか。

村田:読み返します。記憶力はいいほうではないので久しぶりに読むとまた驚いたりするので、得といえば得ですね(笑)。でもさすがに『風葬の教室』は憶えちゃっていますが。同じ本ばかり読む癖がついてしまっているので、デビューしてから周りを見て、自分の勉強不足に気づいたんです。勉強しなくちゃ、とか、こんなに読書量の少ない私が小説を書いていいのだろうかと悩んで、それは今でも悩んでいるんですが、心を病んで本を読めなくなってしまった時期がありました。文字をいくら目で追っても意味がわからなかったり、吐いたりして、ゲラも読めなくなってしまって、心のお薬をもらったりしました。でもメールで相談した時に宮原昭夫先生が「勉強のために本を読むなんて作品に失礼で、あまり良くない発想ですよ」とおっしゃって、本当にそうだなと思って。自分でもそう思うから読めなくなっていたんだなと思いました。今は少しずつ読みたい本を、大切にしながら読んでいきたいなと思っています。本当に、本屋さんに行っても同じ本ばかり買ってしまうんです。同じ作品でも違う出版社から出ているものだと文字の感じが違うなって思ったり。それで同じ本を何冊も買って読んだりしてしまうのが悪いんだと思うんです。

――まったくもって悪くないですよ! ところで、執筆のほうは高校時代にスランプとなっていたそうですが、その後また書けるようになったのですよね。

村田:宮原先生の学校に通うようになって、再び書けるようになりました。たぶん高校時代は山田詠美さんに憧れすぎて、それまで少女小説を書いていたのにいきなり純文学っぽいものを書きたくなって、理想の小説ばかり頭の中で膨らんでしまっていたんです。その理想に自分の筆が届かなくて、1行書いては「こんなの違う」と思ってやめてしまっていました。でも、宮原先生のところに通っているうちに、書くっていうことはもっと人間らしいことで、どんなに下手でもとりあえず書き進めていって、それから直すなりしていって成長すればいいと思えるようになりました。今自分は下手だということを受け止めて、まずは書き終えることをしよう、と。肩の力が抜けたんだと思います。小説を書くことはすごいことであるとも思いますが、もっと人間らしい、柔らかいことでもあるんだと思えたんです。そこに通ってきているのが、プロを目指している方ばかりではなくて、定年を迎えたので小説を書いてみたいといったような、柔らかい気持ちで通ってくる人がいっぱいいらしたんです。それで小説を書くことはもうちょっと生活とくっついたものだと思えた気がします。

――その頃はどのようなものを書いていたのですか。

村田:今とほとんど同じです。学校で一作目に書いたものはどこにも出していませんが、二作目に書いたのが「授乳」で、それでデビューしたんです。学校に提出した時はもっと短かったんですが、応募する時に規定枚数に足りるようにシーンを増やしたりしました。「コイビト」も学校に通っている頃に書いたものです。

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――わあ。「授乳」で群像新人文学賞優秀賞を受賞されたわけですが、それがはじめての応募だったのですか。

村田:スランプだった頃に一度、山田さんが選考委員だということだけで何かの賞に送ったことがあったんですが、それは一次にもひっかかりませんでした。よく考えたらエンタメの賞だったと思います。純文学の賞に応募したのは『群像』がはじめてです。

――大学を卒業してからデビューが決まったのですよね。受賞が決まるまで、大学卒業後はどうしようと思っていたのでしょうか。

村田:3月に大学を卒業して5月に受賞できました。一応就職活動はしたんです。小説を書くことと両立させるつもりだったんですが、とにかく全然決まらなかった。ちょうどフリーターになる人が多かった時期で、自分もこのまま2、3年間アルバイトをしながら小説を書こうと考えていた時にデビューが決まったので嬉しかったです。今思えば、就職して社会を見ておいたほうがよかったかなと思うんですが。

――『群像』に応募したのは何か理由があったのですか。

村田:長編を書く力がなかったので、短編を読んでもらえる賞だったということが大きいです。でも短編でデビューできるとは思っていませんでした。50枚が私の限界だったので、それからが大変でした。書いてはボツという日々だったんです。でも周りに小説家の人もいなかったので、普通はそこまでボツにはならないということを知らなかったんです。だからボツになってもそんなに焦るわけでもなく「あー、じゃあまた書きます」と、のんびりとマイペースで書いていました。

――小さい頃は少女小説に憧れていたわけですが、その頃は書きたいものというのはどのように変わっていたのでしょうか。

村田:「授乳」を書いた時はまだ文章に対する憧れがあって、オーソドックスなストーリーでいいから自分の文章だと思えるものを書こうとしていました。濃厚な文章に憧れていたので、今よりも比喩が多くてねちっこいですね。当時は浅はかで、厚塗りすれば文がよくなると思っていたんです。でも文章って流れていくものだから、削っていくよさもあるんですよね。それに、文章が書きたくて書いているうちに、何か、真実が知りたいとか、主人公の内面を暴きたいという衝動に駆られるものなんだなと思いました。書き始める時はこれをテーマに書くぞ、というものはないんです。でも書いていくと、とことん主人公のこういうところ、人間のこういうところを暴きたいという気持が生まれてくる。言葉を書くという行為に何か宿っているからかな、と思います。

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