第127回:青木淳悟さん

作家の読書道 第127回:青木淳悟さん

今年『私のいない高校』で三島由紀夫賞を受賞した青木淳悟さん。デビュー作「四十日と四十夜のメルヘン」から独自の空間の描き方を見せてくれていた青木さんはいったい、どんな本を好み、どんなきっかけで小説を書きはじめたのでしょう。それぞれの作品が生まれるきっかけのお話なども絡めながら、読書生活についてうかがいました。

その2「小説を書き始めた大学生時代」 (2/4)

風の歌を聴け (講談社文庫)
『風の歌を聴け (講談社文庫)』
村上 春樹
講談社
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神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)
『神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)』
村上 春樹
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罪と罰〈上〉 (岩波文庫)
『罪と罰〈上〉 (岩波文庫)』
ドストエフスキー
岩波書店
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戦争と平和〈1〉 (新潮文庫)
『戦争と平和〈1〉 (新潮文庫)』
トルストイ
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異邦人 (新潮文庫)
『異邦人 (新潮文庫)』
カミュ
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――三者面談で「小説家になる」という発言をして、その後早稲田大学の第二文学部で表現・芸術専修に進まれたわけですが、周囲に本を読む人は増えたのでは。

青木:文学部の創作科みたいなところなので高校よりは読んでいる人がいましたが、自分とは読む本が違っていました。僕は古いものばかり読んでいたんですけれど、まわりはみんな村上春樹を読んでいました。僕はそれまで全然村上春樹の存在を知らなかったんです。あ、これはやばい、と思って手に取りました。『風の歌を聴け』は名作だと思います。大好きです。それ以降の『1973年のピンボール』とか『ダンス・ダンス・ダンス』あたりで少しつまずいて...。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』も『ねじまき鳥クロニクル』も面白いんですが、長編よりも『神の子どもたちはみな踊る』に収録された「かえるくん、東京を救う」とかの短編が印象深いです。

――そこから読書傾向も変わっていったのでしょうか。

青木:授業で海外の小説が取り上げられることも多くて興味がわいたので、最初はドストエフスキーの『罪と罰』を読み、そこから世界文学を読む時期がスタートしました。トルストイの『戦争と平和』は1か月くらいかけて読みました。あとはヘミングウェイとか、『ハックルベリー・フィンの冒険』のマーク・トゥエインとか、シェイクスピアも読んだしディケンズの『大いなる遺産』なども。セルバンテスの『ドン・キホーテ』、マルケスの『百年の孤独』、ナボコフの『ロリータ』...、カフカを読んだのもその頃です。

――フランス文学がないですね。

青木:フランスはカミュの『異邦人』とサルトルの『水いらず』くらい。ロシアと英米が多かったです。これは読んでおかないといけないというものを教養として読んでいたんですが、名作といわれているものってたくさんあるので、それだけで終わってしまったようにも思います。

――そういう時って読書記録をつけたりはしなかったのですか。

青木:あ、僕はそういうのはまったく...。日記っていまだにつけたことがないんです今でも文章を書くのがあんまり好きじゃなくて...。例えば自分のHPを作ったりもしないし、ツイッターもいつの間にかつぶやかなくなってしまったし、FACEBOOKは無理だと思っているし。飽きっぽいといいますか、持続しないんです。

――では小説を書くモチベーションって何だったんでしょう。

青木:書きたいことはないんです。というか、自分を表現したいというのがない。書きながら考えるのが好きなんです。文章を書いているという感覚がなくて、何かを引用したりそれを切り貼りしたりして、外部から取り入れたものを紙の上で再構成して、これが自分の書いたものです、っていう感覚です。そういう意味では本当に文章を書くのが嫌いな作家なんです。

――大学では小説を書くための授業はありましたか。

青木:1年生で履修する基礎演習で小説を書く課題がありました。それで小説を書き始めました。そこで最初に書いたのが先ほど言った、大江さんの文体を真似よう真似ようとして書いた、自分が主人公の何も起こらない中編だったんです。今では考えられないペースで、1か月で中編を書きました。今は全然そんなにはやく書けないのに(笑)。たぶんその時は小説を書いていること自体に感動していました。

――その原稿はまだとってありますか。

青木:それが、新潮新人賞に応募しようと思った前日にデータを消してしまったんです。 ショックでしたけれど、でもまあ、全然駄目な内容だったので送らなくてよかったと思います。

――もったいない...。応募するなら新潮新人賞と決めていたのですか。

青木:やっぱり新潮文庫で育ったという思いがあったんです。でもその中編を書いた後は、全然書けなくなってしまいました。大学2、3年の頃も短編を3つか4つくらいしか書いていません。それも10枚とか20枚程度の、どうでもいい内容で。自分の日常から外に踏み出さない小説ではダメだという思いが強かったんですけれど、書きあぐねていまして。自分には才能がないんだと、絶望していました。その頃は自分の中から何かを生み出そうという意識が強かったんです。自分を掘り下げていくような、いかにも純文学とか私小説みたいなものでなくてもいいんだと分かってからようやく、何か書けるんじゃないかと気楽になりました。それでようやく書いた小説が、デビュー作となった「四十日と四十夜のメルヘン」でした。

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