第132回:池井戸潤さん

作家の読書道 第132回:池井戸潤さん

すべての働く人を元気にさせるエンターテインメント作品を発表し続け、昨年『下町ロケット』で直木賞に輝いた池井戸潤さん。幼い頃から「みんなが元気になる小説が書けたら」と思っていたのだとか。大学卒業後は銀行に就職、その経歴も作品世界に多大な影響がある模様。その時々にどのような本を愛読してきたのか、小説執筆に対する考え方の変化についてもおうかがいしてきました。

その3「デビュー後の執筆姿勢の変化」 (3/4)

下町ロケット
『下町ロケット』
池井戸 潤
小学館
1,836円(税込)
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空飛ぶタイヤ(上) (講談社文庫)
『空飛ぶタイヤ(上) (講談社文庫)』
池井戸 潤
講談社
700円(税込)
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新装版 銀行総務特命 (講談社文庫)
『新装版 銀行総務特命 (講談社文庫)』
池井戸 潤
講談社
751円(税込)
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オレたちバブル入行組 (文春文庫)
『オレたちバブル入行組 (文春文庫)』
池井戸 潤
文藝春秋
710円(税込)
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シャイロックの子供たち (文春文庫)
『シャイロックの子供たち (文春文庫)』
池井戸 潤
文藝春秋
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七つの会議
『七つの会議』
池井戸 潤
日本経済新聞出版社
1,620円(税込)
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――受賞してすぐに専業になったのですか。

池井戸:そうです。でも今でも役員をやっている会社がありますよ。それはとても重要で、実務をやっていると今の経済が分かる。元銀行員の作家はたくさんいるだろうけれど、今も実務に携わっている人間は少ないんじゃないかな。

――実体験に基づいたリアリティがあるのは、そうした要因があるのですね。ただ、ご自身の小説が「企業小説」に分類されることに違和感をおぼえた時期もあったそうですが。

池井戸:自分はエンターテインメントの一般小説を書いているつもりなんですが、本を出すと企業小説の棚に入れてられてしまう。それで、どんなものだろうと他の企業小説を読んでみると、面白くない。小説の体はなしているけれど、実際にあったどの事件のことかを分かる程度に設定を変えつつ、あの事件の裏にはこんなことがあったんですよ、という情報を提供しているだけなんですよね。小説であれば書かれてあるはずの人間の内面や葛藤を書こうとしていないんです。結局ジャーナリズム的なことがやりたいんだろうなと思いました。それと、企業小説の読者ってほぼ10割男性なんです。確かに女性は読まないよな、と思う。だって、小説の中で今の時代の働く女性が「私のことを自由にして下さってかまいませんわ」みたいな口調で話して、意味もなく脱ぐんです。それじゃあ女性は読まないでしょう。それで、僕は女性が読める小説にしよう、と考えるようになりました。等身大の働く女性たちを出すし、これからは名前で書かず男性と同じように苗字で書こうと思っている。『下町ロケット』は男ばかりの話ですが、実は連載時には女性も出てきていました。でも女性編集者から「男社会でみんな一生懸命になっている話は女性も感動するのだから、ヘンに女っ気を入れてほしくない」と言われ、それは一理あるなと思って単行本にする時に削りました。

――"企業小説"をエンタメとして書いたのが『空飛ぶタイヤ』だったそうですね。それと、最初の頃は書名も『銀行総務特命』など漢字のみの硬いイメージのものが多いですが、途中から『オレたちバブル入行組』など、柔らかいイメージのタイトルに変わっていったという印象がありますが。

池井戸:最初の2~3年は、自分の書いた小説が生きている気がしなかったんです。これはなんだろうなと思っていたんですが、ある時、人の描き方が違うんだと気づきました。僕はそれまで、作家はまっさらなカンバスに自分の思うようにどんな絵でも描いていい、というイメージを持っていたんです。でもそれは間違いなんですよね。小説というのは、こういうものを書こうと思ってプロットを作っても、その通りになるとは限らない。人間はそこまで綿密に想像できないから、500枚先の台詞までは分からないんです。だから登場人物を出したら、その人をどう動かすかではなく、その人がどう動くかを考えなくてはいけない。プロットの都合上ポンと出した登場人物でも、その人のヒストリーによってどういう考え方を持っているのかは変わってくる。作家が自分の都合でその人の生き方や考え方を変えていいものじゃないんです。人に対するリスペクトがなくてはいけない。そういうことに気づいて、それまでの小説観をすべて捨てました。すべての人を人としてリスペクトする書き方のエチュードとして挑戦したのが『シャイロックの子供たち』です。ある銀行で現金紛失事件が起きるんですが、周辺の10人ほどの人間の人生を語りながら、事件との関わりも書いていく。この小説から変わっていきました。銀行や会社は舞台でしかなくて、そこで動いている人間の人生そのものを読んでもらおうと思うようになった。それが、その後の小説のタイトルにも表れているんだと思います。『シャイロックの子供たち』は『七つの会議』の原型ともいえますね。

――その新作の『七つの会議』は、視点を変えながらひとつの会社の中のいろんな会議を通して、その中の人間模様や社員ひとりひとりの人生模様を浮き上がらせる内容でとても読み応えがありました。しかも、大・大・大不祥事が明るみになっていく。

池井戸:仕事場が原宿にあった頃に近所の蕎麦屋に入ったら、サラリーマン2人の会話が耳に入ってきたんです。「知ってる?あいつパワハラ委員会にかけられるらしいよ」と言っていて、思わず盗み聞きしたんですよね。それが状況に関して非常にクレバーな分析をしているんですよ。ああ、サラリーマンは営業をやって業績を上げるだけではなくて、パワハラやセクハラといった会社内部の問題にも対応しなくてはいけないんだな、と改めて思ったんです。それで全方位的にサラリーマンの実態を書くような、歳時記的なものをできないかなと思っていたんです。それが最初の発想。日経からwebでの連載の依頼がきた時に、それをやってみようと思いました。このなかにオフィスでドーナツの無人販売をやろうとする女性の話が出てきますが、あれは『ヤバい経済学』という統計学の本がきっかけです。オフィスでベーグルの無人販売を始めたらフロアごとに現金の回収率が違う。調べてみたら若手のいるフロアではなくて役員のフロアの回収率が悪い、という話が載っていて面白いなと思っていたんです。あとは社内政治家の男が出てくる章もありますが、もともと会社の中で主義主張なくやりくりする奴に昔から嫌悪感があって、どうしてそういう行動をとるのかずっと分からなかったんです。でもある時「社内政治家」という概念が頭に浮かんだ時に、一気にそういう人物の行動の謎が解けた(笑)。そんな風に、この数年の間につらつらと体験したり読んだり考えたりしてきたことを、七つの会議に投入していきました。

――会社の不祥事も浮かび上がってきますが、池井戸さんの作品はいつも絶体絶命&四面楚歌状態からの再生を鮮やかに描きますよね。

池井戸:企業小説は敬遠する人も多いなかで、難しいことを書いてしまうとなおさら読者はつかない。それで、できるだけ分かり易いハリウッド的エンタメの基本構造で書いています。「これはエンタメですよ」ということをはっきり分かるようにしている。読者からの感想を見ていると「会社って怖い」「銀行ってこんな嫌なところなんだ」という声があるんですが、僕はあくまでもエンタメの舞台として使っているだけで、リアルな会社や銀行の姿ではないのですが、そう思ってもらえない。情報として役立つ読み物ではなく、もっと空想のレベルのものとして楽しんでもらえたら、とは思っています。

――働く人間にとって共感したり身につまされたりする場面も多いから、ついこんな会社が実際にあるのでは...と思ってしまうんですよ。でも確かに、『オレたちバブル入行組』『オレたち花のバブル組』『ロスジェネの逆襲』のシリーズの主人公・半沢の、たとえ相手が上司でもやられたら「倍返し」の姿勢はありえない(笑)。だからこそ、私も半沢ファンなんですが。

池井戸:これは最初シリーズ化は考えていなかったんですが、書いてみたら評判がよかった。半沢には言いたい放題やらせていますね。サラリーマンが普段は言えないようなことを半沢が代わりに言っているので、スカッとしてもらえるんでしょうね。いちばん「次が読みたい」とせっつかれるキャラクターです。『ロスジェネの逆襲』が出た時、三省堂書店有楽町店で箱から出して並べようとしていたら、その箱から本を取ってレジに持っていったお客さんがいたそうです。それくらい待っていた人がいてくれたんですね。

ヤバい経済学 [増補改訂版]
『ヤバい経済学 [増補改訂版]』
スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー
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ロスジェネの逆襲
『ロスジェネの逆襲』
池井戸 潤
ダイヤモンド社
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