第137回:いしいしんじさん

作家の読書道 第137回:いしいしんじさん

幻想的、神話的、寓話的な作品で読者を魅了する作家、いしいしんじさん。その独特の物語世界は生まれる源泉となっているものは? 幼い頃から人一倍熱心に本をめくっていたといういしいさんの読書体験やデビューの経緯などについてうかがいます。

その6「東京を離れてからの読書生活」 (6/6)

トリツカレ男 (新潮文庫)
『トリツカレ男 (新潮文庫)』
いしい しんじ
新潮社
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ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)
『ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)』
村上 春樹
新潮社
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完本 ジャコメッティ手帖 1
『完本 ジャコメッティ手帖 1』
矢内原 伊作
みすず書房
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マイルス・デイビス自叙伝〈1〉 (宝島社文庫)
『マイルス・デイビス自叙伝〈1〉 (宝島社文庫)』
マイルス デイビス,クインシー トループ
宝島社
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2666
『2666』
ロベルト ボラーニョ
白水社
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――浅草から神奈川県の三崎に移ったのはその頃ですか。

いしい:01年の秋です。『ぶらんこ乗り』の後に『トリツカレ男』を出したんですが、ずっと小説を書いていてライター業を一切しなくなりましたから、お金がなくなったんです。それでマンションに住めなくなって三崎に越しました。

――読書生活は変わりましたか。

いしい:近所に本屋もなく、その頃はまだネットで本を買うということもしませんでしたから、浅草から持っていった本を繰り返し読んでいました。それまで本を処分したことはなかったんですが、引越しの際に5分の1くらいに減らしたんです。「これは持っていこうかどうしようか」と迷ったものは全部処分することにして、迷いなく持っていくと選んだものだけにしました。残ったのは安部公房の全集の一部だったり、『ねじまき鳥クロニクル』だったり、ボルヘス何冊か、小島信夫、ナボコフ......。

――そのなかでもとりわけ繰り返し読んだものは何でしたか。

いしい:彫刻家のジャコメッティ関連の本。彼の語った言葉を集めたものなどです。ジャコメッティはあらゆる表現者のなかでいちばんすごいと思う。でもどうすごいのかを語り始めたら6時間くらいかかるので、ここでは「すごい」というだけにしといてください(笑)。あとは『マイルス・デイヴィス自叙伝』。「オレの人生で最高の瞬間は...セックス以外のことだが、それは~」という出だしではじまる本です。あれもすごかった。

――いしいさんはWEBで「いしいしんじのごはん日記」 というサイトで1日も欠かさず日記をつづっていますが、それはいつ頃から始めたのですか。

いしい:セプテンバーイレブンの翌日、01年9月12日からです。それまで知り合いのホームページで料理で遊ぶコーナーをやっていて、「本当のかに道楽」といって蟹同士を相撲させたり、断層が七色のとんかつを作ってみたりということを書いていた時期があったんですが、その人から「いしいくんは食生活がむちゃくちゃだから、また書いてみないか」と言われて翌週から始めて、それから12年間毎日毎日書いていますね。1日多くて原稿用紙10枚くらいになることもあります。それなら小説書けよって話ですが(笑)。自分にとってはタイムカプセルみたいなものです。例えば2006年の何月何日に何をしていたなんて、たいていの人は憶えていないしどうでもいいだろうけれど、僕の場合は日記を見れば小箱を開けたみたいに全部思い出すことができる。

――現在、最新のページを見ても、数か月前の日記になっていますが、更新が遅れているのでしょうか。

いしい:平日しか更新していないんです。1週間7日のうち5回しか更新しないので、当然2日ずつ遅れていって、ずれてずれて結局今は4か月くらい遅れています。でも毎日更新はしているんです。

――三崎、松本と移り住んで現在は京都にお住まいですね。読書生活に変化はありましたか。

いしい:変わったのは子どもが生まれてからですね。1日2時間昼寝をさせるんですが、その横にいてむずがったりした時にだっこするのが僕の役目なんです。まとまった時間ができるわけですから、その時に小説を読むことにしました。去年の5月だったと思いますが、ドストエフスキーの全部の翻訳を読むことにしたら、ひと月で読めたんです。それでやっぱり江川卓さんの訳がいちばん馴染むなということが分かりました。辻原登さんの本の解説を書くから、せっかくだからデビューから最近のものまで全部読んでみたり、プルーストの『失われた時を求めて』の新訳が出たので、訳者の違う3冊を並行して読んでみたり。そうすると不思議なことがあるんです。面白い小説って子どもの頃の読書のように、自分が話の中に入っていくような瞬間があるんですが、その時に必ず隣の赤ん坊が目覚めてむずがるんです。佳境に入ると必ずそうなるんです。僕らの目に見えない世界で、夢とか無意識って思いもよらないつながりをしていて、言葉を使う前の赤ちゃんはそれに敏感に反応しているんじゃないか、と思うくらい不思議ですね。ボラーニョの『2666』なんて読み進められなくて困りました。しょっちゅう起きるから。

――『2666』がそれくらい、のめり込ませる小説だったということですか。

いしい:これはごっつかった。小説を書いている人はみんなこれを見上げているんだろうなと思う。よじ登ろうとする作家もいれば、「すごいなあ」と見上げながら遠くに歩いていく作家もいるだろうけれど、いずれにせよあれは無視できるもんじゃないと思います。何より赤ちゃんがあれだけぱちぱち目覚める本は他になかった。

いしいしんじの本
『いしいしんじの本』
いしい しんじ
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悩む力
『悩む力』
斉藤 道雄
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――他に印象に残っている本はありますか。新刊の『いしいしんじの本』にもいろいろ載っていますが。

いしい:そこに載っているものでいうと『ウォーターランド』『悩む力』『ペルソナ』、あとは莫言とかですかね。

――『いしいしんじの本』は読むことをめぐるエッセイや書評を集めた一冊。今回こうやってまとめてみて、改めて読むこと、書くことについて思ったことはありますか。

いしい:読むことと書くことって、互いの尾をおっかけまわしている二匹の犬みたいなものだなと思いますね。やっているうちに同じようなことをしている。書くっていうのは自分の書いたことを読むという行為でもある。同じようなことの、違う側面だと思いました。

――ところで、執筆時間は1日のうちのいつですか。

いしい:朝から11時すぎくらいまで。午後は子どもとずっと一緒です。

――以前、いしいさんは1行書いたらその1行を何度も何度も読み直して、そこから出てくる1行を書いて、またその1行を繰り返して読む...という執筆の仕方をしているとうかがいましたが。

いしい:『ある一日』まではそういう書き方だったんです。最近は1行ではなく1ブロックとか、1エピソードになってきていますね。このままいって、いつか最初に小説全部が見えるようになったらいいのに(笑)。

――1ブロックごとになったというのが、今書いているものということですよね。

いしい:短編のつもりだったのが文芸誌に1回では載りきらない分量になっていますね。それが夏ごろには『文學界』に載ると思います。内容は秘密。

――他に今後のご予定は。

いしい:同じ文藝春秋から、掌編を集めた小説集が出る予定です。それと『MOE』という雑誌で連載していた「そのように見えた」という連載も単行本になると思います。これは絵ではないものが絵に見えてくる瞬間を書いたエッセイ。あとは弟の石井孝典が写真家なんですが、彼の写真と僕の小説を合体させた本がFOILから出ます。集英社からは歌舞伎についての小説を書く予定で、リトル・モアからは『真夜中』という雑誌で書いた「雪」が1章で終わっているので、2章を足して本にしたいと思っているんですが、これは2年後くらいになるのかな。他にも正式決定はしていないけれど、やろうと話しているものはいくつかありますね。

(了)